「AIJ被害基金別に多額損失か」、先日10月6日のNHKニュースの見出しのひとつ。「AIJ投資顧問による巨額の詐欺事件で被害を受けた年金基金が、信託銀行などに委託した別の運用でも多額の損失を出している」というもの。長野県内では長野県建設業厚生年金基金が揺れていたが、この発覚も長野県建設業厚生年金基金にかかわるもの。そもそも信用第一の世界なのにこれほど嘘がまかり通っていたというのは、監督指導するべき役所の責任もあるだろう。とはいえわが社もいわゆる企業年金を導入したのは今から15年ほど前のことだろうか。当時は運用益が出るという見込みがあって参加したものだったが、会社の誰もが導入に肯定的だった。金融に疎いということもあるだろうが、運用益についての報告が適正だったのだろう、5年もするとこのままでは欠損が嵩むと判断してすぐに企業年金を廃止した。早かったものの加入していた者には損益が少なからずあった。しかし運用益が出ていると報告されていたらすぐさま廃止するところまで至らなかっただろう。もちろんこの時代にあって運用益が発生しているという報告が正しいとはなかなか思えない。疑わざるを得ないと素人でも思うところであって、信頼しきった人たちにも少なからず疑問を持つべき人たちがいてよかったはず。
あとの祭りではいけないが、世の中にはそんな事例が多い。かろうじて被害にあっていないとしても、団体行動を信じるということは日本人らしい行動かもしれない。とはいえちっとも実情を認知しない人たちがこうしたことにかかわっていると、とても大きな損益を被るという事例だ。かつてわが社が立ち行かなくなりそうだという将来予想を抱え、中長期計画を考える組織が立ち上げられたとき、当時職員組合のトップを張っていた者は、会社が赤字になっていることすら認知していなかった。いちおう組合員のトップであるにもかかわらずだ。あまりの無知さにもう何年も前からそのことを指摘していたわたしは呆気にとられたわけであるが、この無知な組合に席を置くことを無駄だと思った瞬間であった(それ以前からそう思っていたが)。人が何を考えているか、すべての人の言葉に耳を傾ける必要はないものの、それを知った際、わたしのそれまでの言葉は届かなかったのか、と悲しくなったものだ。自らの無能さも認識したが、自らの組織での信用の無さも知った。その当時の組合のトップが今や我が社の中枢にいる。そうした人材しかいないのも事実だが、果たして本人がどれほどあの無能さを認知した上でわが社の社員の言葉を聞こうとしているか、疑いはまったく晴れない。
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