2012年7月30日に「火葬場から」を記した。読み返すと、ずいぶんいい日記を記している。ペットの火葬について記したものだ。妻がこんなことを今日口にした。妻の実家の近くにいる親戚の家で飼い犬が死んだ際に、火葬場に持ち込んで「火葬にして、あとは処分してくれといってすぐに帰った」と言う。妻にしてみれば「ひどい話」と憤慨したわけであるが、実は「火葬場から」に「火葬場によれば火葬に持ち込んだ後、そのまま骨の処分も依頼してすぐ帰るケースもある」と当時記している。ようは当時のペットの火葬場は、「処分場」のような存在であったとも捉えられるもの。そのことが日記には綴られている。なるほど「処分場」か、と納得してしまうわけであるが、当時はペットの火葬が当たり前ではなかったのかもしれない。この記事はラブが亡くなった際に、火葬場で火葬にした日に記したもの。妻にとっては実家でずっと犬を飼い続けてきたという経験の中で、初めて火葬にした例であった。
そして今日、シロの火葬をしてもらった。ラブのときと同じ火葬場。実はラブの後にも妻の実家で飼っていた犬は亡くなっているが、火葬にはしていなかった。ラブ以来の火葬、当時とは少し様子が違った。ラブの遺骨は、小さな骨壺に入れられて、今も居間のピアノの上に置かれている。小さな骨壺だから目立たないということもあって、ずっと身近に置いてきた。大型犬であるラブだったから、火葬にした後に骨はたくさんあっただろうが、一部だけが骨壺に入れられて持ち帰られた。記憶は定かではないが、火葬場からそう勧められた結果だと思う。ラブもまた妻にとっては子どものようなものだったから、「全部持ち帰ってあげたかった」とは、シロを火葬している間に口にした言葉だった。
ラブに比べたら小さなシロは、骨はもちろんわずかだった。火葬場から骨壺の大きさを問われ、3寸のものにしたが、一応全ての骨が納まった。しかし家に帰り、ラブの遺骨の横に並べると、それより一まわり大きい。ラブの遺骨は、本当に一部分だけだったのだと、あらためてわかったしだい。
さて、ラブは人懐こかったが、シロはクールだった。でもお母さんとは、常に一緒に実家と家を行き来した。3年半もの間、ずっと食事を食べさせてもらって過ごした。ここではシロの一生を振り返ってみることにする。
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