まだ9月のうちだっただろうか。しばらく前、夜になると「寒い」と思うときがあって、「こたつが欲しいね」と妻とやりとりをしたことがあった。もちろんまだ真夏の暑さが癒えて間もないころだっただけに、実際にこたつを出すことはなかったが、数日の間、転寝をするにも「眼が覚める」ということが何度かあったものだ。その後真夏の暑さが戻って夜も涼しくはなったものの、「こたつが欲しい」ということはなかったのだが、ようやく本格的にその気持ちが高まってきた。以前「こたつが欲しい」と話したころに、すでに妻はこたつ掛けを用意して、いつでも出せるように用意をしていたらしく、「いつでも出せるよ」という。ということで「今夜は寒いだろう」と思われる今日、こたつ掛けを出して一応いつでも使えるように準備をした。
以前「こたつを入れる日」というものを記した。日付を見ると10月25日だから、今回より10日ほどあとのこと。今年の夏は暑かっただけに、今年のこたつ開きは早いということになるだろうか。以前にも触れたように「こたつを入れる」と記述したが、本来は「こたつを明ける」という言い回しがただしいのだろう。もちろんそれはこのあたりのことであって、標準語的には「こたつ開き」が一般的なようだ。我が家ではこの夏を前にして、こたつを閉まったのが6月だっただろうか。こたつをしまうといっても、夏場もこたつのやぐらをそのままテーブルとして利用しており、さらに掘りごたつ風の造りになっているため、しまうといってもこたつ掛けを外すだけのこと。だからこたつをしまうのも遅くなりがちなのである。ほぼ気温20゜ラインがこたつ欲しさがなくなる気温であって、夜遅くまで居間に留まる我が家の生活では、どうしてもこたつをしまう期間は短くなる。おそらく北国並みのこたつ依存度かもしれない。
さて、こたつといえばこれも全国的なことのようだが、亥の日に明けるのが普通のようだ。ヤフーの知恵袋にも「戌の日にコタツを出すと火事にならないって聞いたことがあるんですが・・・。」というものがある。しかしこの回答には「戌の日ではなく亥の日(イノシシ)です」とある。「戌」と思っていた質問者もこれで満足してしまったようだが、質問者の地域では本当は「戌」だったのかもしれない。クリナップの「江戸散策」というコーナーに“炬燵(こたつ)を出すのは、十月の初亥の日”という記事かある。
ちょっと寒くなったなぁ、と思えば、今ならエアコンのスイッチひとつですぐ部屋は暖かくなる。江戸時代はそうはいかない。寒いと感じたら、炬燵や火鉢(ひばち)を出して暖まればいいと思いがちだが、このような暖房器具を使い始める日というものが決められていた。寒かろうが、暑かろうが、十月の亥(い)の日である。幕府から強制されたわけでもなく、江戸の人々はこの日を守っていた。この日を「炬燵開き」とか「炉(ろ)開き」と呼んだ。亥の日に暖房器具を出すことは一種の行事であり、習慣でもあったようである。
とある。さらにその理由については「旧暦では、月にも日にも十二支(子、丑、寅、…)が割り振られている。十月は亥の月である。亥の日の亥(イノシシ)は、火(火難)を免れるという信仰があった。そこから亥の月の亥の日に火(暖房器具)を使い始めれば、その冬は火事にならないと信じられていたからである。なお陰陽五行説では、亥は「水性の陰」としてとらえられるため、火に勝つとされている」と記している。同じようなことは長野県内でも言われているものの、わたしの周囲では「戌」の日という言い伝えをよく聞く。「亥」と「戌」、同じ「い」を冠するわけであるが、知恵袋の回答にあるような単なる読み違えではないはず。『長野県史』民俗編第四巻(一)北信地方 日々の生活には、「10月上旬の戌の日に作った。戌はずくがあってこたつなどに入っていないからだという。(三水)」というような説明がある。また、同書同項目の前書きに「こたつを入れる日は戌の日を選んで作るムラが多い」などとあり、北信では戌の日が多いようだ。
我が家の今年の“こたつ開き”はまさに戌の日に行なった。とは言っても、実際は電気を入れなかったから、「火を入れてない」から開いたうちにはいるかどうか。ようはこたつ掛けをかけることによって、転寝の際にこたつ掛けが寒さよけになるから入れたかっただけのことなのだ。もちろんもっと寒さを感じれば電気を入れることになるのだが、一応“こたつ開き”は10月14日の戌の日に行なわれた。
追記
実は本ページのアクセス解析を参照したら、検索キーワードのトップが「戌の日 2013 こたつ」だったことを知り、たまたま今日こたつフトンを掛けたことを記したくなったわけである。
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