『オリンピックがやってきた 1964年北国の家族の物語』
堀川アサコ 著
角川書店
最近『昭和』を懐かしむ企画は多い。
その九十九パーセントは、『徒ら』だ。
それは、昭和の本質を無視した、『手前勝手』な懐古趣味の手慰み、に思われてならない。
二十年の悪夢、と、二十年の奇跡、と、二十年の迷路。そして、新たな悪夢の始まり。それが、わたしが親世代から受け取った昭和のイメージだった。
堀川アサコさんは、この物語で二十年の奇跡の頂点、東京オリンピック、というクライマックスを背景に、東京から遠く離れた、青森のある町、の家族の群像を描いている。
その町の原型は、わたしが幼少期に暮らした町だ。
悪夢から覚め、誰もが必死に生きて、やがてそれはひとつの奇跡を産んだ、時代。だが、決して『浮足立たない』歩みの中にあった、庶民の、生きた証。
人間は悪いこともすれば、良いこともする。人間は短所があり、長所がある。人間は冷たく、でも温かい。
だから、人間は愛おしき存在なのだよ、と語りかけてくる、堀川さんの声が聞こえてくるような、読後感を得た。
『毎日は、シャボン玉みたいに、あぶくみたいなことが起こっては消えてゆく。
オリンピックの開会式でさえ、そんな感じだった。
そしてずっとずっと先には、リラも民子も居なくなるころには、この懐かしい町も、すっかり変わってしまうのだろう。』
そう、すっかり変わってしまった、『壊滅的』に。
けれど、わたしは諦めてはいない。
夢はシャボン玉のように儚い。けれどわたしは、子どもたちとシャボン玉を飛ばすひとで、ありたい、のだ。
2017/09/02
23:30 pm
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