徒然にっき'18

OCNブログから引っ越してきました。
文華の日常を綴った、プライベート日記です。

怪獣Hくんのその後

2011-09-05 21:44:00 | 教育
週明けの月曜日。
思い通り仕事の宿題が進まず、超ブルーマンデーの私。
「うう、学校いぎだぐない…orz」
と思ったけれど、Hくんのことが心配だったし、私が行かないと職場が成り立たないので、重い腰を上げ、野菜ジュースを胃袋に押し込んで出勤する。


「おはようございま~す。」
ちょうど職場に着く頃、子ども達の登校班と遭遇。
Hくんの姿が見えない。
お母さんの車もない。
ひょっとして……。
嫌な予感を感じて、校舎内に入る。


校長から、
「すでに教室に入って、一人で待っていますよ。」
と言われた。
「えっ!?」
これにはビックリ。
教室に行くと、H君がぽつんと暗い教室の中で、自分の席に座っていた。
私「おはようございま~す。」
Hくん「おはようございま~す。」と蚊の鳴くような小さい声。
私「早かったね。ランドセルの中身は入れたの?」
Hくんは、こくりと頷く。
私「じゃあ、運動着に着替えてね。」
しかし、Hくんは、みんなが入ってきて、みんながランドセルの中身を入れ終わるまで、ずっとその様子を眺めていた。
一人で着替えするのが、恥ずかしかったのかな。


その後、1時間目から5時間目までみんなと元気に過ごした。
唯一泣きべそをかいたのが、国語の時間、字を直してくるように言ったとき。
うお~、これはしまつたw
他の子らは、私の「ここ違うよ。もう一回やり直し。」
ていう冷たい言い方に慣れているけど、きっとHくんは今まで優しい先生だったんだろうなぁ。
慌てて「学校は、間違えたことを直して覚えるところだから、泣かなくていいんだよ。」
と慰めた。


おもしろかったのが、5時間目の生活科。
先週の金曜日、去年担任をしていた子ども達が、クラスに金魚の赤ちゃんを届けに来てくれたのだ。
さっそく1,2年生に観察をさせた。
小さな水槽に、小さな金魚が三匹。
一度に全員で観察するのは難しいので、二チームに分けて観察をさせた。
すると、チームごとに金魚の名前を相談し始めたのだ。
「ぼくたちは、○○ってつけました。」
「じゃあ、ぼくたちは、もっとかっこいい名前にしようよ。」


…orz


あのさ~、いろんな名前で呼ばれたら、金魚たちも困ると思うんだけれどw
てなわけで、金魚の名前については、次回の授業で決めることにした。


そんなこんなで、先週怪獣のように暴れたHくんは、今日は終始ご機嫌で下校していった。
きっと、みんなの思いが通じたんだよね。
「どうして、この間は暴れたの?」
とか、
「今日はちゃんと勉強しているね。」
なんて、余計なことを言う人は、誰もいなかった。


~連絡帳から~
Hくんのお母さんは、学校へ迷惑をかけたと、とても気にしていた。
また、クラスの子ども達の手紙に感動したとのこと。
一方で、同級生Kくんのお母さんも、Hくんの様子を心配していた。


学校が○○してくれないじゃなくて、
「ありがとうございます。大変ですが、よろしくお願いします。」
って反応がとてもありがたい。


さて、明日は今年度唯一のプール指導。
体調をしっかり整えて、楽しく泳ぐぞ~♪
(多分、お子さま達の能力から、泳ぐのは無理だと思うけどw)


子どもの頃、作曲したやつ

2011-09-03 14:59:04 | 音楽
YAMAHAには、昔から「ジュニアオリジナルコンサート(JOC)」という15歳以下の子どもを対象とした作曲のコンクールがある。
1987年から10年間、テレビ朝日系列では、このコンクールの模様を放送する番組もあった。


センター教室に移ってからすぐの頃、先生から
「作曲のコンクールに出てみたい人~」
という声かけがあり、自分はなんちゃって耳コピをアレンジした曲(笑)で、出場してみた。
そして、幼稚園生から大曲を作曲していることに驚き、自分はなんて場違いなところにきてしまったんだろう…と後悔する。
その当時の録音がこれ。

「野原で遊ぼう」(小2:7歳の作曲…というかある曲をモチーフにしたアレンジ)



エレクトーンでの演奏だが、この頃は二段譜中心のグループレッスンだったため、弾き方は全くの自己流であるw


その後、エレクトーンに転向するため、個人レッスンへ。
一年半の個人レッスンを終えて、エレクトーンのグループレッスンに編入した頃から、
「今度はJOCにアンサンブルで出てみたいな。」
という野望が沸いてくる。


そして小5になった私は、すでにエレクトーンソロでは作曲の完成していたもの(採譜なし)をもとに、アンサンブルスコアを作り始めた。
先生への相談は一切なし。
だって、「駄目」とか「無理」って言われるのが怖かったから。
うちの両親は音楽には疎いので、親の助言もなし。
自己流で作った楽譜をもとに、MIDI音源で再現したのがこれ。

組曲「動物村の行進曲」(小5:10歳の作曲)



子どもの頃の私は、一体頭の中で何を考えていたんだろうね。
不協和音とか多々あって今聴くと、
「なんじゃこれ?」
って思うところもあるけれど、リズムなんかは子どもらしいアレンジで、大人の私が思いつかないような組み合わせをしている。


結局、子どもの私は、アンサンブルスコアを途中で挫折したのと、先生に相談するのが遅かったため、先生が手直す時間もなく、この時は
「ソロで出場したら。」
と言われて、一人バージョンでコンクールに出た。


そして、六年生の時。
レッスンでモチーフ作曲の宿題があり、最初はみんな真面目に作っていたんだけど、最後まで続いたのは結局私だけだった。
「じゃあ、文華が作曲したやつで、みんなでJOCに出ようよ。」
ってことになり、家で演奏した録音を基に、先生がアンサンブルスコアを作って下さった。


んで、JOC予選出場の時の録音がこれ。

My Sunday(小6:11歳の作曲。先生が編曲)



片面5分テープなのに、うちの母が
「プログラム○番…」
などの余計なアナウンスから録音してしまったため、演奏の最後が切れている。


モチーフのネタがだんだん思いつかなくなり、最後の方に
「サザエさん」
が出てきたりするw
みんなで出場という願いが叶って嬉しかった。


中学校三年間は、アンサンブル三昧だったため、JOCネタはここでおしまい。


子ども達の優しさに感動する

2011-09-02 22:32:00 | 日記・エッセイ・コラム
学校に着くと、転入生Hが登校を渋っていて、昇降口でだだをこねていた。
久しぶりに来た、「不登校」の兆候だ。


初めて一年生を担任したときも、夏休み明けに同じことがあった。
そして、その「登校をぐずる」行動は、2学期5ヶ月間の間ずーーーっと続いたのだ。


お母さんとH君、校長&教頭で話し合いをする。
本人の意見を要約すると、
「学校は嫌。お母さんと一緒がいい。家に帰りたい。」
ってことである。


埒があかないので、学級に帰ってそのことを伝えた。
すると、我が子達がいろいろ考え始めたのだ。
「きっと、楽しい授業だったら来てくれると思うな。」
「先生、一時間目は体育にしようよ!」


学級のリーダーM君を連れ、校長室へ。
M君「一時間目、一緒に体育やらない?」
H君「やだ。」
M君「だめかぁ…。」


しばらく校長室であーだこーだした後、再び学級に戻ると、我が子達はまだ考えていた。
「好きな勉強なら、きっとやってくれると思うんだよ。H君、なんの勉強が好きなのかな。」
ってことで、今度は同級生のK君を校長室へ派遣。
K君「なんの勉強が好き?」
H君「算数。」
私「じゃあ、一時間目は算数にしようか?」
H君「やだ。」
K君「だめかぁ…。」


そんなこんなで一時間目が終わり、二時間目に突入。
再来週研究授業をする都合上、算数は計画通りに進めなければならない。
K君にトランプ(10~13、ジョーカーを抜いたもの)を渡し、
「校長室に行って、『10をつくる神経衰弱やらない?』って誘ってきてごらん。」
と派遣し、その間に二年生の授業を進めることにした。


K君「トランプならやるって。」
と戻ってきた。
教室の隣の部屋でH君とトランプ開始。
トランプが終わると、次は、
「形の勉強だよ~。」
と言って積み木セットを渡した。
教科書では、ながさくらべの勉強をする予定だった。
二年生の勉強の合間を縫い、長さがばらばらの鉛筆を五本持って隣の部屋へ。
わざとえんぴつの先を全部同じ高さにそろえて見せる。
「くじ引きだよ~。」
二人が一本ずつ引く。
「どっちが長いかな?」
「どうやってくらべたらいい?」
少しだけけれど、予定していた勉強を進めることができた。


お母さんとは、
「二時間目の休み時間が終わったら、迎えに来てもらう。」
という約束をしていたみたいだけれど、雰囲気で三時間目の体育へ連れて行く。
みんなと元気に運動していた。
三時間目が終わる頃、
「お母さんは…?」
とH君が言い出した。
ああ、今日はもう限界ね…。
ということで、迎えに来ていただいた。
(お母さんは予定の時間に来たが、元気に体育をやっている様子を見て、一旦家に帰ったそうだ。)


五時間目は道徳。
「たのしいがっこう」という勉強をした。
いろいろ学校の楽しさについて考えた後、
「みんなが、学校が嫌になるときって、どんなとき?」
と聞いてみた。
「勉強が難しいと嫌。」
とか、
「登校が、歩いてくるのがめんどう。」
「荷物が多いと、足が痛くて大変。」
などと、いろいろ出てきた。


「そういう、みんなも嫌な時があるよってこと、H君に手紙で伝えたら、『みんなも嫌なことがあるのか。』って、安心するかもしれないよ。」
ってことで、手紙を書いてもらった。


放課後、H君宅へ。
みんなからの手紙を渡すと、食い入るように見つめていた。


H君のだだをこねる様子に、
「それって、ただのわがままだよね。」
と言いつつも、どうしたら教室に来てくれるか、真剣に考えてくれた我が子達。
今日は本当に嬉しかった。
このみんなの気持ち、H君にも届くといいな。


二学期がスタートしたよ

2011-09-01 22:35:00 | 教育
子ども達が来ると、途端に怒濤の忙しさになるんだよなぁ…。


先日、避難民とさようならしたばかりだが、ナント2学期から新たなお友達が増えることになった。
今度は、同市内で放射線の高い地域からの転校。
お陰様で、ロッカー、机、下駄箱などなど名前の入れ替え作業が大変だった。
まぁ、もともと人数の少ないクラスだから、増えるのは大歓迎だ。


そして、「着任式」にて、また「離任式」と同じ災難がやってくる。
司会&ピアノの一人二役。
「アンジェラ・アキのような、くの字に曲がったマイクスタンドが欲しいよね。」
なんて笑ってしゃべっていたけど、そんな物が職場にあるわけはないので、今回はピアノ近くにマイクスタンドを置いてもらった。


「一同礼」
とマイクに向かってしゃべった後、
「ジャーン、ジャーーーーン、ジャーーーン」
と弾く。
おおっと、ちょい間違えたw
しかも、
「開式の言葉」
というべきところを、
「はじめの言葉」
と言ってしまったしw


という感じで、いろいろとやらかした(-。-;)


教室に飾っている写真が「入学式」の物だったので、新たなメンバーでの写真を撮ってみたよ。
相変わらず女っ気のないクラスなのだ。
頼もしくていいけどね(^^)
Children_2


そして、首から下げているのが、全国の注目を集めているガラスバッジ。
お子さま達の反応。
「先生、なんか、数字とか何も出ません…。」
うん、放射線を量るための道具って言われてもさ、うんともすんとも言わない道具じゃ、「何これ?」って思うよね。
こういう、
「何で?」
って子どもが質問したくなるようなことが、震災後当たり前のように起きている。
あーあ、2学期も放射線関連でいろいろ面倒臭いことになりそうだなぁ…。


たった1日で、明日は週末気分の労力を使った。
明日の授業、二学年分の計画(詳細)は今から構築する予定。