Suzanne Vega - Luka (CND Festival, St. Wendel Germany 1989)
Mr. Summertime (a.k.a. Une Belle Histoire) / Circus 1978
多部未華子&松尾スズキ「クレームダイアリー」歌LIVE from YouTube
- The One I Love
スザンヌ・ベガとかR.E.M.。
80年代はそんな人たちの曲、というか洋楽をよく聴いていたのだけれど、その10年間はちょうど20代だったな。
皆はどうなのだろう?
どんな曲を聴いていましたか?
20代はいろいろな意味で、悶々としていた時期だった。
前半は、親友となるひとりを除いて、大体は板橋の下宿に付き合う奴もなくひとり居て、レコードを聴くか本を読んでいた。
小説は70年代の作家が好きで、庄司薫の「赤ずきんちゃん気をつけて」の赤・白・黒・青シリーズを好んで読んでいたな。
親のすねっかじりで、仕送りはあったけれど、東京での生活は思いのほかお金がかかるもので、時々バイト、月の終わりはパチプロへと変身していた。
多分、バイトで総額100万くらいは稼いだと思うのだけれど、それほど甘くはなく、パチンコ銀行へ預ける分ばかりで引き出す分は余りなかった。
つまり、当然月の最後の10日間くらいは1日一食、いや、3日は水だけなんてこともあった訳で、でも何故か好きなレコードを聴いたりしたり、飽きたら近所の公園のベンチで本なんかを読んだりしていれば、簡単に1日は過ぎていくし、食べる事も忘れていられた。
平穏な日々だったなぁ。
そんな中、ゼミクラスの物好きがいて、たまに私を連れだして高田馬場あたり繰り出して、一緒にナンパしたりして遊んでいたものだ。
ついに卒業するまで、一人も女の子をゲットすることもなく終わったけれど、私たちはそういう行動が出来たということで十分満足していた。
私達のがっこうは典型的な国立大学の滑り止め的な存在で、だからいつも劣等感に晒されていて、外からも「ああ、あそこね」的な、つまり女の子たちには目もくれてくれないところだったから勇気をだして声を掛けられただけでも良かったという訳。
そういえば、私は高校時代「頭の体操」の多胡輝教授に憧れて彼の勤めていた大学を目指していたはずだった・・・・。
それが、いつのまにかまったく違う系統の大学を受け、それに落ちてそんな大学に行ったわけだけれど、何故だったのか?
まあ、一生の親友が一人で来たし社会に出て経歴で損したことは何もなかったのだからどうでもいいことだけれども。
ここまで書いて後半のことに移ろうと思ったのだけれども、大した事書いていないのにもかかわらず何だか疲れたな。
う~~~~ん。
申し訳ない、いずれまた書くのでお許しを・・・。
って、期待なんかしてないよね。(;^ω^)
・・・・思い上がり、思い上がり、一休み一休み。<(_ _)>
Mr. Summertime (a.k.a. Une Belle Histoire) / Circus 1978
多部未華子&松尾スズキ「クレームダイアリー」歌LIVE from YouTube
- The One I Love
スザンヌ・ベガとかR.E.M.。
80年代はそんな人たちの曲、というか洋楽をよく聴いていたのだけれど、その10年間はちょうど20代だったな。
皆はどうなのだろう?
どんな曲を聴いていましたか?
20代はいろいろな意味で、悶々としていた時期だった。
前半は、親友となるひとりを除いて、大体は板橋の下宿に付き合う奴もなくひとり居て、レコードを聴くか本を読んでいた。
小説は70年代の作家が好きで、庄司薫の「赤ずきんちゃん気をつけて」の赤・白・黒・青シリーズを好んで読んでいたな。
親のすねっかじりで、仕送りはあったけれど、東京での生活は思いのほかお金がかかるもので、時々バイト、月の終わりはパチプロへと変身していた。
多分、バイトで総額100万くらいは稼いだと思うのだけれど、それほど甘くはなく、パチンコ銀行へ預ける分ばかりで引き出す分は余りなかった。
つまり、当然月の最後の10日間くらいは1日一食、いや、3日は水だけなんてこともあった訳で、でも何故か好きなレコードを聴いたりしたり、飽きたら近所の公園のベンチで本なんかを読んだりしていれば、簡単に1日は過ぎていくし、食べる事も忘れていられた。
平穏な日々だったなぁ。
そんな中、ゼミクラスの物好きがいて、たまに私を連れだして高田馬場あたり繰り出して、一緒にナンパしたりして遊んでいたものだ。
ついに卒業するまで、一人も女の子をゲットすることもなく終わったけれど、私たちはそういう行動が出来たということで十分満足していた。
私達のがっこうは典型的な国立大学の滑り止め的な存在で、だからいつも劣等感に晒されていて、外からも「ああ、あそこね」的な、つまり女の子たちには目もくれてくれないところだったから勇気をだして声を掛けられただけでも良かったという訳。
そういえば、私は高校時代「頭の体操」の多胡輝教授に憧れて彼の勤めていた大学を目指していたはずだった・・・・。
それが、いつのまにかまったく違う系統の大学を受け、それに落ちてそんな大学に行ったわけだけれど、何故だったのか?
まあ、一生の親友が一人で来たし社会に出て経歴で損したことは何もなかったのだからどうでもいいことだけれども。
ここまで書いて後半のことに移ろうと思ったのだけれども、大した事書いていないのにもかかわらず何だか疲れたな。
う~~~~ん。
申し訳ない、いずれまた書くのでお許しを・・・。
って、期待なんかしてないよね。(;^ω^)
・・・・思い上がり、思い上がり、一休み一休み。<(_ _)>