からくの一人遊び

音楽、小説、映画、何でも紹介、あと雑文です。

Phantom Planet - California

2020-04-24 | 小説
Phantom Planet - California



Salyu Iris-しあわせの箱 Live



3rd LIVE DVD「FUN!FUN!FUN!」より『愛してやまない音楽を』



Carole King - You've Got a Friend (Live at Montreux, 1973)



これ、いつ書いたんだろう?

まあ、再掲でござる。


 かなたくんのこと 

 かなたくんが我が家に現れるようになったのは次男が小学校六年生のころである。
たしか息子の友人の一人として紹介されたような気がする。
 息子が”芝崎かなたくん”と私に紹介したとき、ああ、あの芝崎さんちの・・・、と私は眉をひそめた覚えがある。
 なぜ眉をひそめたかというと、かなたくんのおとうさんは地域で有名な反社の人間だったからだ。
 父ひとり、子ひとりの環境で育ち、父親は近所の人に会っても挨拶一つ交わさないはぐれもので、阿久根組に所属しているとのもっぱらの噂だった。
 なんで連れてきたんだと後で息子を問いつめたところ、友達じゃん、どうして駄目なのさと逆にたしなめられた。
 私は職業の貴賎で人を選ぶなと息子たちに教育してきたので、大いに恥じ、子供に罪はないものなと思い直したものだ。

 そんな環境で育ったかなたくんはうちで飼っている黒芝の”コロ”がお気に入りだった。
 彼が初めて対面したとき、コロは吠えなかった。気性の荒いコロが初対面の人間に吠えないということはまずありえない。だが、吠えるどころかコロは丸まった尻尾をふりふり彼に近寄り彼の顔をぺろぺろ舐めだしたのだ。私は驚き、そしてかなたくんはきっと心根が優しい子なのだなと思った。


 それからかなたくんは息子の友達というより、コロの友達としてちょくちょく我が家を訪れるようになった。
 月に二、三回、時には毎日のように学校帰りにコロの様子を見に来た。
 私はそんな2人(?)をいつも微笑ましくみていて、私が声を掛けるとかなたくんは、えへっ、と笑い、「こんちわ」と挨拶をする。挨拶された私も嬉しくなり、彼らの仲間に入ってコロと遊びながらかなたくんといろいろなことを話した。家族のこと、学校でのこと、一人ぼっちであること、息子だけが普通に接してくれるんだと、とつとつと語ってくれた。

 私はそんな彼が愛おしくなり、自分の三番目の息子のような気がしてしかたなかった。
 真っ直ぐ育って欲しい、そう痛切に感じていた。
 学校で暴力事件を起こしたと聞いたこともあったが、コロの前にいる彼はあくまでも純朴で素直な少年だ。
 私は、自分の目で見、耳で聞いたことを信じた。

 そんな関係が三年近く続いたころだろうか、中学の卒業式まであと三か月にせまったある日、かなたくんはコロの前で暗い顔を浮かべていた。
 私はそれまで彼のそんな顔を見たことがなかったので、不安になり声をかけた。
「どうした、そんな深刻な顔して」
「うん」
「なんかあったのか?」
「・・・・・」
「俺には話せないことか?」
「いや、そんなことない」
「じゃあ話してみたら?」
 かなたくんは私の顔を見てそれから目を伏せた後、こうぽつりと言った。
「千葉に行くんだ」
「えっ?」
「・・・・・・お祖父ちゃんのとこ行けってさ」
「誰が?」
「親父。・・・お祖父ちゃんのとこ行ってまっとうな人間になれってさ」
 私は驚いた。驚いたが一瞬にして冷静になった。冷静になって彼の父親がどういう思いで彼に対してその言葉を口にしたのか理解した。
「・・・そうしたほうがいい」
「うん」
「はっきり言って今のお前の周りの環境は良くない。来年は高校生だ。将来を考えるなら今かもしれない」
「・・・・俺は捨てられたんだろうか」
「いや、そんなことない。お父さんだって、別れたくないさ。でもお前の将来を考えるとそうしたほうがいいと考えたのだろう」
「・・・・そうかな」
「そうさ、きっとそうに違いない」
「うん」
 彼はそう返事を返すとコロの鼻先をちょんと指先ではじいた。
 コロはびっくりして目を丸くしながら彼を見つめていた。

 それから後、かなたくんと私の特別な物語は、ない。
 その日から彼は卒業を迎えるまで我が家を訪れることなく、やっと卒業式を終えた3月の日の午後に息子とともにコロに最後のお別れをすべくひょっこりと現れた。
 彼はコロを前にして照れくさそうにしてつぶやいた。
「バイな」
 それがコロに対するかなたくんの別れの言葉だ。
 あっさりしているくらい潔いコロと彼との別れの瞬間だった。

 あれから五年が過ぎた今、私は写真を眺めている。かなたくんと息子とコロが並んで写っている写真だ。三人(?)仲良く満面の笑みを浮かべて(?)写っている。この写真はかなたくんの手元にはない。送ろうとも考えていたのだが、何故だか躊躇していた。
 そろそろ彼のもとに返してやるか・・・・
 最近やっとそんな気になって私は彼への手紙をしたためている。
コメント (2)
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Liam Gallagher - Once (Official video feat. Eric Cantona)

2020-04-23 | 音楽
Liam Gallagher - Once (Official video feat. Eric Cantona)



遠い世界に 五つの赤い風船



HIKAKIN × SEKAI NO OWARI「RAIN」



Paul Simon & Goerge Harrison- Here Comes The Sun




大阪府が自粛に応じない店舗とかを公表するって言っていたら、どうやら国の方でも似たような動きがあるようだ。

晒しものにするという訳だ。

いいのか悪いのかねぇ。


岡江久美子さんが新コロナで亡くなったというのは結構ショックが大きい。

乳がんで放射線治療をしていたのだし、当然免疫が落ちているとわかるだろうし、熱を出したときにそのことも申告したんだと思うんだけれどなぁ。

3日間だっけ、自宅で。そして4日目に急変?

即入院、即検査じゃないのか・・・・・。

合掌。


・・・・悲しすぎるぜ。




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Noel Gallagher’s High Flying Birds - The Death Of You And Me

2020-04-22 | 小説
Noel Gallagher’s High Flying Birds - The Death Of You And Me



安藤裕子 / パラレル



自由に歩いて愛して PYG



Jeff Beck and Johnny Depp - Isolation [Official Lyric Video]   John Lennon cver





てのひらの闇

https://www.amazon.co.jp/%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%81%B2%E3%82%89%E3%81%AE%E9%97%87-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%97%A4%E5%8E%9F-%E4%BC%8A%E7%B9%94/dp/4167614022


藤原伊織
昭和23(1948)年、大阪府生まれ。東京大学文学部仏文科卒業後、大手広告代理店に勤務の傍ら、執筆活動を始める。昭和60年に「ダックスフントのワープ」で、第9回すばる文学賞を受賞。平成7年には「テロリストのパラソル」で第41回江戸川乱歩賞を受賞。翌年には同作品で第114回直木賞受賞。


〇あらすじ
会社の早期退職勧奨を受け入れ、退職間近の飲料メーカー宣伝部課長の堀江雅之はある日、会長の石崎に呼び出される。ビデオ撮影が趣味だという石崎が朝の散歩中に偶然撮影したという人命救助の瞬間の映像を見せられ、この映像をCMにできないかと相談される。
だが堀江は、映像がCG合成であることを見抜き、会長に進言する。「感謝する」、そう謎の言葉を残し、会長はその日の夜に自宅で首を吊って死んだ。遺書には社の業績不振の責任を取る旨が記されていた。
会長が自殺したのは、自分が映像の秘密を暴いたせいなのだろうかと堀江は自問する。会長室のテープも、堀江が内密にダビングしておいたテープもなくなっており、堀江は自殺の真の原因が自分の知らない悪意によるものではと直感する。


〇レビュー
藤原伊織の小説の主人公はいつもカッコいい。
大抵いつも私生活が破綻していて、この小説も酔っ払いサラリーマンが深酒をしたのか朝、道路にだらしがなく寝転る姿があり、気が付と急ぎ会社に行くが…みたいなシーンから始まるのだが、実はとても優秀でセンスは凄いものがある、という設定である。そしていつも羨ましく思うのであるが、一匹狼的なところがあるのに、「美人で優秀な部下も彼を慕って何かと世話を焼いてくれる」のである。そんな中年男が探偵のように謎解きに挑み、その影に反社がいることを突き止めて、さあラストはいかに!これは本当に世間から存在感が薄れている中年男が一度は憧れる理想のパターンの一つであると思う。
作者の藤原伊織は電通出身である。だからこそこのような広告業界の内幕みたいなシーンはとてもリアルで、主人公のモデルは彼ではないのかとさえ思ってしまう。
この小説もそうであるが、藤原作品の魅力はキャラクターが立っているところである。美人で優秀な部下はもちろんのこと、バーでの揉め事をきっかけに親しくなった経営者姉弟、バイクをかっ飛ばすお姉さんとマイク・タイソンみたいな腕をした経済通の弟くんなんて進んで主人公を助けてくれるのである。今は昔かたぎの親分さんなんていうのも出てきて、ハードボイル小説なのに「情」みたいなところもちりばめられており結構感動もので、それが読者の心拍数を高くする。
まあ、いろいろと述べたが、この小説は周りのキャラクターの視線が主人公にとても優しい。「キュン」なんて言葉があるが、この小説はとても「キュンキュン」する「萌え」なハードボイルド小説なのだろうと思う。(汗)



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メレンゲ『underworld』映画「暗いところで待ち合わせ」主題歌

2020-04-21 | 音楽
メレンゲ『underworld』映画「暗いところで待ち合わせ」主題歌


久しぶりに聴きました。曲もいいですがやはりこの声が魅力的です。

Tom Waits - "Downtown Train"


渋い~~。(^^♪ 実は私は渋好みなんですよ。だからサッカーでも渋いプレーをしていた中田英寿が未だに一番の選手です。

寺山修司作詩カルメンマキ:戦争は知らない: 時には母のない子のように


カルメンマキさんは実際には、父がいませんでした。駐留軍にいた父は彼女と母を残して米国へ帰ってしまったということを聞いた憶えがあります。

だから、「 時には母のない子のように」は父のいない彼女が 時には母のない子のようになりたい、と唄っていることになります。

それは恐らく10代のころの母との関係性・葛藤が背景があって、だからこそ時には「母のない子のように振舞ってみても」実際にそうなったことを想像すると、もう私には「愛を語れる人」がいないではないか、とそのような唄なのだと私は考えました。

そして、作詞者の天才寺山修司はその歌詞の中に、自分と寺山の母とのその想いまでも、投影させているのだとそうも感じます。

Eurythmics - 17 Again (Official Video)


ユー・リズミックスのこの曲は、「偽の有名人」「悪質な女王」「愚かな論文と愚かな雑誌」によって私たちは甘い夢を見せられる、といった意味の詩を歌っているのだと思います。

つまり、彼らのキャリアの中での経験、その中の嘘に対して糾弾しているともとれるのだと考えられます。

それと、MVの場面と考えあわせると、私たちは常に「戦のような」そういう経験をしながら生き抜いてきたのだと、そして再び・・・・、と私はそう勝手に解釈いたしました。
ニュアンスの読み違えがあり、まったく違う意味なのかもしれませんが。
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七尾旅人 "サーカスナイト" (Official Music Video)

2020-04-20 | 音楽
七尾旅人 "サーカスナイト" (Official Music Video)



XTC-The Disappointed -Official Promo Video



日食なつこ「エピゴウネ」弾き語りバージョン 5th MV



"Audizione a Cremona" | Gabriel's Oboe - Ennio Morricone | by Lena Yokoyama | PRO CREMONA




※・・・・ちょっとね、二年ほど前に書いたヤツ。読んでみてまた載せたくなった。
        ☟

赤塚不二夫のもーれつア太郎が好きだった。

なんてえか、「フーテンの寅さん」をより戯画化(マンガだから当然か)したような、人情なんてあったりして好きだった。


そういえば、一説には日本にLoveという概念が入って来たときに、それに対する人々のイメージは「情」だったようだ。

つまりLoveする対象は一つではなく、恋人でもあり親でもあり兄弟姉妹でもあり隣人でもあり、そうするとやはり日本人のイメージとしては「情」ではないかというわけだ。

それがなぜ日本語で「愛」という言葉に決まったのかは分からないが、ならば「愛」は「情」で「情」は「愛」で、なんて考えてもいいんじゃないかなんてなんて思うのだ。

そうすると、「人情」は「人の愛」ということで・・・・、なるほど、「フーテンの寅さん」や「もーれつあ太郎」は人間の愛について問う物語で、それらは人間としては究極の物語なのだな、と思うのである。


考えるに最近、日本では人情なんて感覚は廃れてきているように思う。

それはいろいろと原因はあるのだろうが、一つには人間が人間に無関心になってきたことに関係あるのではないかと思う。

(いけない!)

私はこれは非常に由々しき問題だと思っている。

何せ愛の反対は無関心なのだしね。無関心なら「情」の入る隙間などない。

とすると、だんだんこれからの日本は「情(愛)のない社会」になっていくということになる訳だ。

いや、もうなっているのかもしれない。

最近起こっている様々な事件、政府の社会保障費の削減、逆の結果になるのではないかと当事者の遺族が反対しているのにも関わらず、長時間労働の犠牲者を出さないという名目で、「働き改革法」を成立させてしまう社会・・・・。



・・・いやいや、これは「情(愛)のない」どころではなく「情(愛)を破壊する」世界だ、と実は私なんぞは秘かに震えているのである。


こわいです。ホントに。
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