何だか すっかりブログにハマってしまいました。
実は こんなにブログを書きたいと思ったことはないのです。
自分の足跡を残せるかもと、思い始めたからかも・・・
そして読んでくださる方がいるということが力づけられて。
では、話の続きです。
大学で授業が始まりました。
初めての彫刻の授業で西常雄先生が仰ったのを聞き、「あ~あ、これが大学なのだ」と感動したのをよく覚えています。
(西 常雄 東京美術学校在学中に帝展入選。新制作派(新制作協会)展で新作家賞、第2回中原悌二郎賞受賞。
戦後、新制作派協会会員となる。
武蔵野美術大学、東京造形大学などで教官、多摩美術大学教授を歴任。
多摩美術大学美術館、いわき市立美術館などに作品が所蔵されている他、各地の公的施設の敷地などに野外彫刻が多数ある)
「君たちの中で自分に才能が無いと思ったものはすぐにやめなさい。
才能のないものが、続けるのは不幸のもとになる」と、
そのような意味のことを、仰った。
今までの学校生活では はおだてられたり、「何事も諦めるな!」と励まされたり、叱咤されることはあったがこのようなことは言われたことがない。
何という素晴らしい先制パンチであろうかと感動したのだ。
この厳しさが大学なのだと・・・
(もちろん自分に才能が無いなどとチラリとも考えなかった)
もっとも、才能があろうが無かろうがやめる気などサラサラ無かったが。
佐藤忠良先生は頻繁にはいらっしゃらなかった。
時折 塑像の授業中にいらっしゃってそれぞれの制作途中の作品について指導してくださった。
私は恋する乙女のように一番後ろから一言も聞き逃すまいと、師の言葉を聞いていた。
(とんでもなく尊敬し、畏怖するあまり、とても目前で聞くことができなかったのです・・・・本当に愚かでした)
嫌われても もっともっと 近づいていけばよかったのに・・・
入学するまで知りませんでしたが佐藤先生の娘さんが 当時超有名だった 佐藤オリエさんだったのです。
佐藤オリエさんといえば当時の人気ドラマ「若者たち」に出演しており、俳優座の素敵な女優さんでのした。
又 「男はつらいよ」シリーズではマドンナ役もなされたはずです。
佐藤先生ならそんなこともあろうと なんとなく 納得してしまったものです。
実は こんなにブログを書きたいと思ったことはないのです。
自分の足跡を残せるかもと、思い始めたからかも・・・
そして読んでくださる方がいるということが力づけられて。
では、話の続きです。
大学で授業が始まりました。
初めての彫刻の授業で西常雄先生が仰ったのを聞き、「あ~あ、これが大学なのだ」と感動したのをよく覚えています。
(西 常雄 東京美術学校在学中に帝展入選。新制作派(新制作協会)展で新作家賞、第2回中原悌二郎賞受賞。
戦後、新制作派協会会員となる。
武蔵野美術大学、東京造形大学などで教官、多摩美術大学教授を歴任。
多摩美術大学美術館、いわき市立美術館などに作品が所蔵されている他、各地の公的施設の敷地などに野外彫刻が多数ある)
「君たちの中で自分に才能が無いと思ったものはすぐにやめなさい。
才能のないものが、続けるのは不幸のもとになる」と、
そのような意味のことを、仰った。
今までの学校生活では はおだてられたり、「何事も諦めるな!」と励まされたり、叱咤されることはあったがこのようなことは言われたことがない。
何という素晴らしい先制パンチであろうかと感動したのだ。
この厳しさが大学なのだと・・・
(もちろん自分に才能が無いなどとチラリとも考えなかった)
もっとも、才能があろうが無かろうがやめる気などサラサラ無かったが。
佐藤忠良先生は頻繁にはいらっしゃらなかった。
時折 塑像の授業中にいらっしゃってそれぞれの制作途中の作品について指導してくださった。
私は恋する乙女のように一番後ろから一言も聞き逃すまいと、師の言葉を聞いていた。
(とんでもなく尊敬し、畏怖するあまり、とても目前で聞くことができなかったのです・・・・本当に愚かでした)
嫌われても もっともっと 近づいていけばよかったのに・・・
入学するまで知りませんでしたが佐藤先生の娘さんが 当時超有名だった 佐藤オリエさんだったのです。
佐藤オリエさんといえば当時の人気ドラマ「若者たち」に出演しており、俳優座の素敵な女優さんでのした。
又 「男はつらいよ」シリーズではマドンナ役もなされたはずです。
佐藤先生ならそんなこともあろうと なんとなく 納得してしまったものです。
この度は、黒田様より読者登録を頂戴しておきながら、しばらく放置致しました事をお詫び申し上げます。
実は我が娘が高校生時代に美大進学を目指し精進しておりました。 その際に夜間通った美大予備校にてお世話になったのが、東京造形大学ご出身の、まさに「石の彫刻」をご専門とされる先生でした。 その先生より大いなるご影響を受けた事も有り、娘は第二志望として「東京造形大学」への進学を希望しておりました。(参考ですが、第一志望は武蔵美でした。) 私も娘に付き添って2度程東京造形大学オープンキャンパスを訪れております。学生さん達の意気も高く、自宅からは遠いものの娘がここで学んでくれたら素晴らしい!、との希望を親として一時抱いたものです。
その後残念ながら、娘は予備校のデッサンにつまずき、高3進学時点で「きっぱりと美大進学を諦める」と大粒の涙を流しつつ母の私に伝えたものです…
現在、我が娘は全く分野の異なる大学を卒業後、昨春またもや分野の異なる業界にて新社会人として世に出て今に至っております。
長々と私事を述べました事、心よりお詫び申し上げます。
今回、黒田様のブログバックナンバーを拝見し、「東京造形大学」との我が過去の共通項にいたく感動申し上げまして、ついついコメントを記させて頂きましたこと、再度お詫び申し上げます。