彫刻家の独り言

北海道出身の彫刻家 黒田栄一のブログです。Yahoo!ブログ「彫刻家 黒田栄一 山のアトリエ」も見てください。

アートスクランブル展作品紹介 ラスト

2011年01月31日 20時07分56秒 | 日記
昨日無事にアートスクランブル展終了しました。

帰ってから、菅原氏のお宅でミニ打ち上げをして頂き

家に帰ると、カギがない!!!

途方に暮れたものの、秘技で(???)何とか家にもぐり込んで 一安心。

ホントに酔っぱらいはいかんともし難い。


終わってしまいましたが、アートスクランブルの作品紹介を続けます。







中谷洋子作品




椎屋 功作品





田代 実作品




小澤 秀龍作品






大塚 宏作品




田中作品




おぐら とうこ作品






遠竹弘幸作品

誠に失礼ながら 撮り忘れの作品がありました。

もしご覧になっていましたらご容赦下さい。

他意は有りません。


とうとう 今日地デジアンテナが設置でき、視聴可能になりました(バンザ~イ)

BSデジタルも視聴可能になり メデタシメデタシでした。

これで、ケーブルテレビがやめることが出来ます。





アートスクランブル展最終日

2011年01月30日 08時22分02秒 | 日記
アートスクランブル展いよいよ今日が最終日です。

グループ展もいいもんですね。

なかなか刺激になりますし、知り合いも増えます。

今日も作品紹介をします。




加藤世紀作品




佐藤俊男作品


春原 武彦作品






小澤恒二作品




森下芳行作品




菅原 靖作品

今日はもう少ししたら トラックで会場に向かいます。

午後6時から搬出です。






アートスクランブル展作品紹介 その2

2011年01月29日 09時53分45秒 | 日記
今日は午後からアートスクランブル展の会場当番。

仲間達との会話も楽しみの一つです。

せっかくなので徒歩1時間余を楽しみながら、会場に向かう予定です。

いよいよ明日は最終日です。

明日は搬出があるのでトラックで行かなければなりません。


昨日に引き続き展示作品の紹介をします。


蜂須 保作品  (額のガラスに写り込みがあります。ゴメンナサイ)


富永之廣作品


吉澤繁子作品


伊藤洋子作品




関根英二作品


宮内 さとし作品


内山純子作品




小林光男作品




三堀和男作品

明日も作品紹介を続けます

アートスクランブル展作品紹介 その1

2011年01月28日 09時07分41秒 | 日記
さすがに3日間の深酒は身体にこたえている。

今日は酒抜きの日にしたいが・・・どうなるか・・・わかりません

これから数回に分けて、アートスクランブル展の出品作品の紹介をします。


会場入り口付近


春原武彦作品


富永之廣作品


中村眞弥子作品




山口通三作品


小林由紀乃作品


福田きくの作品


望月洋史作品


湯浅由美子作品

酒浸り

2011年01月27日 23時56分29秒 | 日記
今日も 今 帰ってきました。

ア-トスクランブル展の当番を終えてから仲間達7人と飲んでました。

昨年知り合った方達ばかりですが、そんな感じは全くしません。

随分前からの仲間達の気がしています。(私が1番年下ですのに、生意気かも・・・)

気兼ねなく、色々の話が出来て 今宵もご満悦でありました。

ただ 連日の飲酒で 身体がいささか異議を唱えてはいます。

明日も別の展覧会のオープニングに来ないかと誘われており、

いささか心は揺れております。


やはり なんだかんだと言っても 刺激は必要のようで 今回のグループ展を通して

やる気の内圧が上昇していることを感じています。

明後日も午後から会場当番です。





体育会系!?

2011年01月26日 23時04分52秒 | 日記
先日 親しい友人と飲んだ際に「あんたは体育会系だ」と言われ、

ビックリするやらがっかりするやらでした。

確かに 小学校5年から高校1年まで柔道は続けていましたが、

その間 書道部に入ったり、演劇部に入ったりしていました。

自分でも格闘技系であったことは認めます。

相手と向き合う時のゾクゾク感は結構好きで、

あの緊張感はちょっとしたエクスタシーでした。

でも、トータルでは文化系の人間だと思っていたのです。

自分のことは結構見えていないものなので そうかも知れないと渋々思いました。

体育系人間・・・・複雑です・・・・


今日は小田原カマボコ君と飲みました。

ずけずけと色々言ってくれる友人がありがたくて、嬉しくて。

何を言われても、なんか イイもんです。

干物ありがとう。

奥様によろしくお伝え下さい。


アートスクランブル展2日目、作品1点増やしました。


アートスクランブル展 展示風景

アートスクランブル展初日

2011年01月25日 23時37分53秒 | 日記
アートスクランブルの展初日でした。

彫刻は私一人で 2点搬入しましたが、いかにも寂しく感じ、

出来れば明日 もう1点の作品搬入が必要そう。

ちょっと元気が欠けていて、今日はもう1点の搬入が出来ませんでした。

明日何とか もう1点の搬入展示をしたいと思っています。

今 オープニングパーティーから戻った所です。

お陰様で かなり酔っています。

体調は万全で奨められるお酒は全て受けました。


明日は小田原カマボコ君が来てくれます。

とても楽しみです。

作家活動をしていて ありがたいと思う時でもあります。

明日も 浴びる程飲む予定です。


オープニングパーティーで色々語りあいました。

これについては後ほど 詳しく語りたいと思っています。


「おっとっと」アイディアスケッチ


今日はこれまで。

お休みなさい。


アートスクランブル展その2

2011年01月24日 20時11分49秒 | 日記
明日から始まるアートスクランブル展のパンフレットを紹介します


















以上 32名が出品します。

お近くの方はどうぞご来場下さい。

明日は朝から アートスクランブル展の搬入ですが、

未だ作品をトラックに積み込んでいません。

本当は今日の内に全て準備するつもりでしたが、

急に入った野暮用で出かけてしまい出来ませんでした。

明日の朝早くに積み込み作業をするつもりです。

アートスクランブル展

2011年01月23日 20時56分42秒 | 日記
相変わらず 天井でネズミらしき物音がしますが、

あれ以来ねずみ取りの罠には何もかかりません。

地デジアンテナの工事は アンテナの品不足とのことで延期。

今アナログからデジタルへの切り替えで、アンテナ工事を頼んでいる人が多く、

どこの電気屋さんもアンテナの入荷待ちとのことでした。

何とか 今月中にとお願いしてはありますが、どうなることですか。


明後日から「アートスクランブル展」が始まります。

明日は 以前作った作品を2点用意して、トラックに積み込む予定です。





どうぞ お近くの方はご覧下さい。


今日、シャガールの息子ダヴィットが書いた

「シャガール 天使とぼくのあしあと」を読み終えました。

意味のよく分からないところも多く有ったが、シャガールとマティス、

ピカソなどとの関係がわずかながら記述されているところや、

息子から見たシャガール像が窺えるなど、興味深い所もありました。

今日から「岡本太郎が愛した韓国」平井敏晴著、岡本敏子監修を読み始めました。

岡本太郎が韓国から何を感じ取ったか大いに興味が湧きます。




アルバイト その3

2011年01月21日 05時17分55秒 | 日記
今手がけている 作品の磨きが終わりました。このまま終えるか、

作品表面を装飾するか未だ考え中。

しばらく眺めながら考えることにします。

新作の発表は次回の個展までお預けです。

今年の個展の予定は未定です。

費用などの関係もあり、決められずにいます。

今のところ 後数日で始まるアートスクランブル展、

5~6月に多摩美術家協会展招待出品、6月の全道美術協会展への出品が

決まっているだけです。


昨日に引き続き、今日は大学時代のアルバイトについて書きます。

大学時代、家からの仕送り額が部屋代以下だったので、

当然 多くのバイトをすることになりました。

それでも、特別奨学金を頂いていたので アルバイト量は かなり軽減されました。

基本方針は 「本当に困らない時にはアルバイトをしない」「勉強最優先」でした。

かなりの覚悟で大学に行きましたから。

それでも 石等の材料を買う為にアルバイトをしましたが、

遊びのためにはしなかったと思います。

ですから 多くは単発で、なるべくバイト料の高いものを選びました。

当然、今で言うところの3Kが多くなります(危険、きつい、汚い・・でしたっけ?)

横浜の港で船への荷物運びは印象的でした。

夕方になると人集めに来ます。

それに応募して、近くの安食堂で夕食をとり終えて約束の場所にいると、

迎えに来たトラックの荷台に乗せられ 船まで連れて行かれます。

それから 朝まで荷運びの仕事です。

バイト料はかなり高く、そこで働く人の多くは近くのドヤ(ベットだけの安宿)に住み

お金が無くなるまで飲み食いし、無くなると働くという生活をしているのだと

そこで働いていた以前大学生だったという人から聞きました。

その人は大学時代にアルバイトでそこに来て 

そこの気ままな生活に溺れて大学をやめて、ドヤ暮らしをしているとのことでした。

私に、自分のようになる前に こんな仕事を辞めるよう諭してくれました。

1回のバイトで大体1週間近く、ブラブラ飲み食いして暮らせる程のバイト料でした。

荷物運びの途中で休憩があり、その度に博打を始める人もかなりいました。

サイコロでするトバクでした。

お金をじかにかけているのです。

見ていると、私も参加するよう誘われましたが、とんでもない話です。

魂胆は見え見えです。

せっかくのバイト料を巻き上げられてなるものですか。

そそくさと、その場から離れました。

目の前で 一晩のバイト料を失っていく人たちを見て 信じられない思いでした。

夜の船での作業ですから 海に落ちて亡くなる人もいるという話でした。

そのほとんどは身元不明者だと言うことでした。

仕事そのものは そんなに辛くは感じませんでしたが、

先輩の忠告に従って 以後、そこに近づくのを止めました。

ある時は 何やら怪しげな工場のタンクの清掃作業もしました。

これも 当時としてはかなり高額なバイト料でした。

しかも 昼食付きです。

しかし、命の危険を感じたので 長くはやりませんでした。

会社の人は一人も清掃場所に入らないのですから、かなり怪しい感じでした。

喫茶店などでバイトしている学生をうらやましく思いましたが、

そんな暇はないと、敢えてきつい仕事をしてました。

ガードマンの仕事もしました。

3日3晩ぶっ続けで仕事すると、1回石が買いに行けました。

さすがにぶっ続けですので、途中に仮眠時間がありました。

昼間は車の誘導で夜はデパートの見回りです。

恐がりでしたので夜の見回りは かなりキツく感じました。

特に怖かったのは 屋上と地下の機械室でした。

この2ヶ所は暗くて 物陰から何やら出てきそうで怖くて仕方有りませんでした。

しかし、短期で稼ぐには良いバイトでした。

工場の守衛もしました。

工場は広いので夜中の見回りは怖くてたまりませんでしたが、見回り以外は

自由に本を読んだり絵を描いたり出来たので大変ありがたい仕事でした。

その会社には図書室がありましたので本が読み放題でした。

電機工場の部品の選別や検査もしました。

これも 食事付きで良かったのですが

何せ夜中の単調な仕事で、ともかく眠くなって困りました。

比較的楽なバイトとしては入試の試験監督や

昼休みの学生食堂の皿洗いなどがあります。

学食の皿洗いは午前の授業が終わるやいなや、すっ飛んで行きます。

普段、月に1~2度さえ学食で食べることが出来なかったので、

昼食付きでありがたいバイトでした。

単発ですが砂利を山の上まで担いで行くというのがありました。

1袋持ってあがるとその場でお金をくれたのです。

ほとんど毎日その山に登っていたので、1日で11袋くらい担ぎ上げました。

大学時代の最後を飾ったバイトは、

美大生だったのでありつけたデパートのディスプレーでした。

これも夜中の仕事で途中で夜食が出るのも魅力でした。

ただ 朝方になると眠くて困りました。



  黒御影石








アルバイト その2

2011年01月20日 05時08分08秒 | 日記
最近寒さが身にしみる

少しエネルギーが低下しているのかも知れない。


昨日に引き続き 今日もアルバイトの思い出第2弾です。

中学でアルバイトをした記憶はありません。

高校は一応アルバイト禁止だったはずですが、それほど厳しくはなかったのか

やっている人も結構いたようです。

私もご多分にもれず やっていました。

よくやったのは日通の荷物運び。

こちらの都合の良い日に行けばほとんど雇ってくれたからです。

大学生と偽ってやっていました。

これは1日4回、駅に到着した貨車から荷物を運び出して

パレット(フォークリフトで運べるように作った木の台のこと)に

荷物を積んでゆく作業です。

何が出てくるかはその時のお楽しみ。

お菓子の箱など軽いものなら大喜びでした。

しかし、そうは問屋が卸してくれません。

自動車部品のような物や金属製品、大きな缶入りの品物などかなりの重量物も多く、

結構な肉体労働で、「大体の大学生は2~3日で辞めてしまう」と現場の社員の言。

大学生なんかに負けるものかと頑張り、よく働くとおホメにあずかりました。

私は柔道をやっていたこともあり、いささか体力には自信がありました。

肉体労働といえば、旧国鉄の除雪作業もしました。

これも重労働でしたが休憩時間が長かったので比較的楽でした。


変わったところではプロレスの特設リング作りもしました。

テレビでよくコーナーポストに頭を打ち付けたりしているのを見ていたので

手でコンコンと叩いてみました。

正真正銘、固い鉄で、「こりゃあ痛い!」とビックリでした。

又、リング内の床マットは、テレビで見ていた時にはもっと柔らかいのではないかと

想像していましたが、かなり堅くて 床にたたきつけられると

さぞや痛かろうと思いました。

プロレスはかなり危険で大変な仕事なのだと思った次第です。

興行を見ても良かったのですが、夜の興行でしたので親からの許可が得られず、

見ることは出来ませんでした(タダで見られる機会でしたのに大いに残念です)

高校でのアルバイトはそれくらいでした。


浪人時代(1年間)にやったのは、青果の卸売市場の荷物運びです。

これは毎日早朝から正午近くまでの間、仲買店から買った商品(青果)を、

買いに来た小売り店の車まで運んで積み込む作業でした。

ネコ車(リヤカーを小さく細くしたような運搬器具)に商品を満載して

車まで運ぶのですが、体重をかけてもなかなかネコ車のおしりが持ち上がらず、

自分の身体が宙ぶらりんになることもありました。

それでも うまくしたもので コツがつかめると何とか運べるようになります。

他に大変だったのが広い駐車場(すご~く広い上1ヶ所ではないのです)に

駐車した小売り店の車を見つけることです。

いつも買ってくれる小売り店はほぼ決まった場所に駐車してくれているので、

慣れてくると見つけやすくなりました。

リンゴの箱詰めを運ぶのが1番大変でした。

ともかく重いのです。

これを運んでいて 初めてギックリ腰になりました。

全く 何も持ち上げられなくなり、驚きました。

それから 長~い 私のギックリ腰の歴史の始まりです。

今日まで何十回もギックリ腰になりました。

よく、ギックリ腰は癖になるといいますが、本当です。

お陰様で 少しくらいのギックリ腰では驚きません(えっ?自慢になるの!!?)

嬉しかったのは少し傷んだ果物をいただけることです。

パイナップルなどは少し痛んでいるくらいの方が甘くて美味しいのです。

パイナップルは結構頻繁にいただいて帰りました。

暇な時間には傷んだ果物を検査して抜き出すことも仕事ですが、

痛みの少ないものは食べました。

それは黙認されていました。

その日の卸値が分かるものですから、

お店で売っている果物を普通に買う気がしなくなりました。


このアルバイトのバイト料は月払いで毎日の仕事でした。

そのお金で美術の予備校の授業料を支払っていました。

このアルバイトは父が亡くなるまで続けました。

このあたりの顛末は 又後の機会に記します。



「アラヨッ」 大理石 黒御影石






アルバイト その1

2011年01月19日 09時11分27秒 | 日記
昨日、今朝とネズミがワナにかかっていませんでした。

昨日も壁や天井などでガサゴソ音がしているので、未だ何かいるのは間違いないのです。

明日の朝 ワナにかかっているかどうか楽しみです。

やはり 夜中に盛んに活動しているようですから。


最近 遅寝になってしまい、早起きが私の信条だったはずなのに 

かなり遅い起床になってしまっています。(これはマズイ・・・^^;)

今日から何回か過去のアルバイトの話を書いてみます。

小学校時代から書き始めます。

「えっ、小学校!!?」って思われた方もいらっしゃるでしょうね。

単発ではチラシ配り。

小銭を与えて 通りかかりの子供達に配らせる人がいたのです。

もちろん喜んでやりました。

それくらい 遊びの延長ですからね。

次に新聞配達。

小学校5年生の頃です。

学校の授業で見た顕微鏡が欲しくてしょうがなくなりました。

その資金作りで新聞配達を思いつきました。

当時は極少数ですが小学生の新聞配達人も見かけていましたので、

自分も出来るのではないかと思いました。

父は大反対でしたが母が後押ししてくれました。

始めてみると思ったより大変でした。

新聞の重みが肩に食い込んで痛いのを我慢しながら走って新聞を配るのですから。

そのうちに慣れてくると重さも気にならなくなりました。

走って配るので 知らないうちに体力がつきました。

それまでは弱虫小虫でした。

外にいじめっ子がいるというので

家の中でお絵かきや塗り絵、積み木などをしているような子のくせに、

学校ではケンカばかりしていました。

母は学校に呼ばれ「ケンカというと必ず黒田君が居る」と言われて 

怒りながら帰ってきたくらいです。

でも、弱っちいので連戦連敗。

それが 新聞配達で気づかないうちに体力がついていたのです。

ある時 同じ新聞配達をしていた中学生が「気にくわない」と、急に殴ってきました。

弱いくせに気だけは強い私は、中学生にかかってゆきました。

結果は?

勝っちゃいました!!(全くの 予想外、大穴だ~)

中学生に勝つなんて自分でも信じられませんでした。

それ以後、がぜん 自信がつきました。

その後しばらくして 柔道の道場にも通い始め すっかり自信を持つようになり、

ケンカも売られない限りしなくなりました。

当時 その新聞販売店には私を含めて2人の小学生が居たと記憶しています。

ある時、高校生のお兄さんが中心になり、賃上げを目的とした配達ボイコットをしました。

配達しないで 集団で逃げたのです。

大の大人が本気で追いかけてくるのですから、すごいスリルです。

事の重大さを、少しは感じていましたが 遊びの延長の気分の方が大きかったのです。

途中、あるラーメン屋さんに逃げ込みました。

そのラーメン屋さんは私たちの話を聞いて全員に無料でラーメンを食べさせてくれました。

なんとも親切なラーメン屋さんでした。

みんなで ホコホコして外に出たところで 販売店の人に捕まりました。

販売店に連れ帰られた私たちは年齢順で1列に並ばされました。

何をされるのか恐怖でいっぱいになり、大変なことをしたのだと 

その時ようやく思いました。

年齢の大きい順に端から殴られてゆきます。

私の下にはもう一人の小学生が居ました。

私の隣にいた中学生が殴られました。

次は私の番です。

恐怖で固まっていると、販売店の人はジロッと睨んだだけで通り過ぎました。

さすがに 小学生は殴れないと思ったのでしょう。

私ともう一人の小学生だけ殴られませんでした。

次の月からバイト料が倍近くに値上げされました。

私にとっては棚からぼた餅です。

又、販売店にはエロ本が普通に置いてある上、露骨な会話も聞こえてきます。

誰も 小学生なんか気にもしていません。

当然のごとく耳年増になってしまい、思春期に突入です。

小学生の私にとっては全てが遊び気分。

時間の許す限り、チラシの準備も手伝いました。

今はそれもお金になるそうですが、

その時は バイト料の他に映画の招待券をもらい、満足していました。

私に自信を与えてくれたケンカ相手の中学生は

私が新聞配達を辞めた後も 長い間、我が家に無料で新聞を入れてくれました。

そうそう、新聞配達の目的だった顕微鏡を買いましたがあまり性能がよくなくて、

直にあきてしまいました。

ですが、今でも 極小の世界には惹かれるものがあります。



「杜の詩」 御影石 1部個人蔵

自然賛歌がテーマの1品です。


ペンパル

2011年01月18日 06時34分33秒 | 日記
起きる間際の夢の中で一生懸命英作文に挑んでました。

単語が思い浮かばなくて悩んでるうちに目が覚めました。

気分的に引きずり、英語の本と辞書を引っ張り出してきました。

(テーブルに置いただけですけど)

今年こそ、韓国語と英語のレベルアップしたいとは思ってるんですが・・・

(いつも思うだけ・・・出来ればすごいんだけれどな~)

私の英語力は全くお粗末そのもので語彙力もペケ。

海外旅行も韓国以外は行ったことがありません。

今年こそは韓国以外にも行ってみたいのですが・・・(先立つものがない~ ^^;)

英語と言えば中学時代に無謀にもアメリカの女の子と文通を始めたことがあります。

確か「中学時代」とか言う雑誌のペンパル募集欄か何かから申し込んだ気がします。

英語は初級も初級、何にもわからないのに始めようと言うのですから

もう狂気の沙汰としか言いようがありません。

早速 役立ちそうな本を買ってきてにわか勉強を始めて、何とかオレゴンの女の子と

文通が開始しました。

相手から来た手紙を見て愕然としました。

手紙の字が読めないのです。

筆記体の上、かなりのクセ字で、学校で習った字ではないのです。

教科書や本は活字体でしたからなんとか辞書がひけますけれど、

判読できないのでは辞書がひけません。

頭を抱えてしまいました。

お手上げです。

仕方なく わからないところを中学の英語の先生に教えてもらいに行きました。

本当は英語の先生に文通を始めたことを知られたくありませんでした。

だって ちっとも優秀でもない子が文通を始めたなんて知ると

呆れられると思ったからです。

でも、こうなったら聞くしかありませんでした。

何とか 数回は文通が続きましたが、いかんせん私の英語力があまりにもお粗末すぎて

長続きはしませんでした。

その後数年して、懲りずに雑誌を通してマレーシアの女の子と文通を始めました。

その頃にはさすがに以前より英語力はマシになっていて、

先生の手を借りることもなかったと思います。

その子は写真で見る限り スゴ~イ美人でした。(彫りの深い彫刻的な顔)

当然、熱心になりました(オイ、オイ 鼻の下が伸びてるぞ~)

彼女のお父さんは昔、日本軍の手伝いをしたとかで日本語がぺらぺらで、

彼女の英語の手紙の他にお父さんからの日本語の手紙が毎回添えられていました。

それで、彼女への手紙の他にお父さんへの返信も同封していました。

そこまでは良かったのです。

そのままなら 文通は続いたはずです。

ところが 悲劇が訪れました。

ナ、ナント 彼女が日本に来るというのです。

「会いたい」とのこと。

えっ、えっ・・・!!!

頭を抱えてしまいました。

なぜって、お金がかかりそうだからです。

だって、日本に来るといっても、着くのは東京でしょうし、

日本に来たら当然案内とか期待してるはずだし、

お金が必要なことは目に見えてました。

当時、自分の自由になるお金はほとんど有りませんでしたし、

家も裕福ではありません。

とても 父にお金を出してくれとは言えませんでした。

父には文通していることさえ 知らせていなかったはずです。


かくして、私の文通は終わりました。

返事を出さなかったのです。(あ、あ~ はかない憧れが・・・ サヨナラ!!!)

相手も 薄々事情を察したのだと思います。

完全に文通が途絶えました。

正直に私の事情と気持ちを伝えたなら何とかなったかも知れませんが、

そこまで知恵が回らなかったのです。

せめて大学時代なら何とかなったのでしょうが・・・・(残念無念!!!)



「HAND」 黒御影石

手から発する優しさやいたわりが表現したかったのです

今でも手には不思議なパワーを感じています

大きなサイズで作ってみたい作品です







ネズミ騒動

2011年01月17日 21時33分33秒 | 日記
今日 屋根葺き替え代金の残額を全額支払い終わった。

なかなか キビシイ暮れ、正月であった。

最初に出たから、後は入るばかりか・・・(そうあって欲しいものだ)

サービスの地デジ工事は1週間以内にやるとのこと。

来月から ケーブルテレビが解約できる。

まずは一安心。


屋根工事をしてから 天井や壁でたびたび何かが走り回る音がする。

台所の食材に被害が及んできて、ネズミの仕業と当たりをつけて

ねずみ取りを仕掛けておいたところ、今朝までに2匹捕獲。

数年前からしばらく姿を現さなかったが、

屋根工事の何かが影響して又活動が始まったようだ。

家の主の大蛇が工事に驚いて1時引っ越しをしたせいではないかなどと

想像している。

何にしても ネズミの好き勝手にさせるわけにはいかない。

大蛇は驚きこそすれ悪さはしないが、ネズミは食材を食い荒らしたり、

電線をかじったりと 我々にとっては傍迷惑な行動を取るからだ。

今 台所には3つのねずみ取りが仕掛けてある。

前回のネズミ騒動では十数匹のネズミを捕獲した。

さて今回は 落ち着くまでに何匹捕獲できることか。



「風洞」 大理石






フリーダム・ライターズ

2011年01月16日 08時21分28秒 | 日記
何となく何の覚悟もなく成り行きでブログを始めてから、もう半年余が過ぎた。

自分でも、どういう書き方をしてよいか分からずに戸惑いながら。

何とか立ち位置を決めてからようやく3ヶ月目。

果たしてこれで良いものやら 悪いものやら・・・


昨日 録りためた映画から「フリーダム・ライターズ」という映画を見ました。

全てのことが偶然ではないというが、

「この映画と出会ったことにどんな意味があるのか?」と自問させる映画でした。

全く 期待していませんでした。

TVで放送された気になる映画はなるべく録画するようにしていますが、

貯まるばかりでなかなか見きれないでいます。

最初、題名のライターズをライダーズと読み違えて、

アクション映画か何かだと思いました。

実際は学校を舞台にしたドラマで、実話に基づいていました。

私は 学校で教えた経験も多くあるので、

教師もののドラマは苦手でなるべく見ないようにしていました。

多くは 現場を知らない人間が脚本を書いたとしか思えないもので

心穏やかに見ることが出来なかったからです。

この映画は高校に赴任した新米教師が落ちこぼれ学級を再生させていくドラマで、

舞台はアメリカ。

私は、正直「又か。いやだな~」と思いました。

ところが・・・期待は良い方に裏切られました。


彼女が受け持ったのは雑多な人種の子供達が互いに反目しあっているクラスでした。

ほとんどの子供達は悲惨な現実の中で暮らしていました。

勉強の意欲もなく、嫌々通っている子がほとんどです。

最初、子供達の反応は彼女の想像していたものとは大違いでした。

全く 学ぶ意欲も気配も有りません。

「いったいどうしたらいいのか。」

「何が出来るのか。」

彼女の戸惑いが分かる気がしました。

私も現場で同じような思いを何度も感じたことがありますから。

私なら「何を、どうできるのか?」と 見ながら自分に問いかけました。

恥ずかしながら 何も思い浮かびません。

完全にお手上げです。

現場でも、そんなお手上げ経験はたくさんしました。

そこからが 私と主人公の先生との違い。

私なら 迷わず逃げ出したに違いありませんが、

彼女は自分を投げ出して 子供達のために出来ることを1つずつ実行していきます。

決して押しつけにならないように細心の注意を払って。

押しつけでは、子供達は決して心を開きませんからね。

映画を見ながら、寄り添う心が大切なのだと、しみじみ思いました。

彼女は私財を投じて「アンネの日記」等の迫害されたり、

彼等と同じような状況に置かれた人々を扱った教材本を与えていきます。

子供達は本を通して、自分とその人達とを重ね合わせながら 感じ、考えてゆきます。

更に各自に日記帳を与え、過去のこと現在のこと、将来のことなど

何でも思いつくままに書くように、又先生がその日記を読んでも良いという人は

ロッカーに入れるようにも指示します。

すると、予想に反し多くの子供達が日記をロッカーに置きました。

それを読んで、先生は子供達の悲惨な現状を知るのです。

それらが彼らを少しずつ変化させていきます。

ですが、あまり熱心にやりすぎたため、夫とは離婚し家庭は崩壊してしまいます。

それも とてもよく理解できました。

当然の結末だと思いました。

尋常ではない何か一つのことを達成しようとすると、

当然のごとくそうしたことは起こりうることですから。

バランスをうまく取ることは非常に困難です。


それにしても アメリカの恐ろしい現実、

格差社会の行き着く先を見せつけられた気がしました。

単なる 非行なんてものではない、

生存をかけた血みどろの生活の中に置かれた子供達の姿に戦慄を感じてしまいました。


綺麗事が全く通じないような過酷な生活の中で育ってきた子供達が目覚め、

行動や思いに変化が生じる様子に涙を禁じ得ませんでした。

良い映画でした。

感動しました。



 「おっとっと」 黒御影石、大理石  個人蔵

石でバランス遊びをしてみたものです。