お茶の子ワールド

日常と、背中合わせの非日常
どちらも私の世界
お茶の子ワールドに遊びに来てください!

バスを間違えた親子

2024-05-16 00:05:48 | Weblog

 私ども家族は、ちょっと一般的でない孫とのかかわり方をしているのかもしれない。

九州から茨城県まで、間もなく後期高齢者になろうというジジババが交代で、二人の孫見に娘一家の家に飛んでくるのである。上の孫は干支を一巡してしまう年齢となって、少しは手がいらなくなるかと思いきや、娘一家の勤務体制が変わったことや、娘の怪我などで益々頻繁に飛んで来ることとなった。

 五月半ばの火曜日ババは1熊本発午前10時、成田に12時前に到着、つくばセンターにノンストップの高速バスは午後1時発で約1時間20分、つくばセンターで30分ほど待って、1日に3本とかいう石下行のバスに乗り換えて20分ほど、みどり公園停留所から娘の家までは5分もない。前後真っ白の石毛行のバス時刻表を見ると、このバスは私のためだけに運航しているかと思えるほど。

一応片手に満たない乗客を乗せて、バスは発車してまず最初の経由地の筑波大学病院へ向かう。そこでベビーカーを畳んで持って、4,5歳に見える女の子の手を引いた女性が乗ってきた。

 しばらくしてその女性は運転手にこのバスはつくばセンターに行くかと尋ねた。間違えて乗車してしまったらしい。言葉がちょっと、日本人とは違う感じだ。

ちょうど私の降りる停留所が来たので、私と一緒に彼女らもとにかくバスから降りた。戻るバスなどあるはずもない辺鄙な場所である。西大通という幹線道路まで戻ったらタクシーを捕まえることができるかもしれないが、かなりな距離をあるかなくてはならないと説明した。

私の頭はフル回転したようだ、私の目的地は歩いて5分かそこいらだから、車でつくばセンターまで送ろうと申し出たが、「大丈夫ですよおばあちゃん」と、断られた。

いくら考えても大丈夫なはずはない。私は急いで、娘の家まで行ってみると、いつものように軽自動車が止まっていたので、急いで家に入ろうとしたら、カギがなかなかあかない。慌てていたせいかもしれない。

とにかく背負っていたリュックを下ろし、車のカギを探して家を出た。多分西大通に出る前に捕まえることができると考えていたのだが、小さい子供連れの女性の歩くスピードは結構速い。

ちょうど西大通に右折するところで自転車の男性に道を訊いているようだった。見えているのだが反対車線を歩く人に、車から声を掛けることは非常に難しいということに気が付いた。

とにかく右折して西大通に出た。先回りして、右折してどこかに車を止めて声をかけるしかない。片側2車線の道路の信号から信号は結構長い。次の信号でようやく右折、さらに右折して歩道を歩く人に声を掛けられるところを探した。どこかの会社の駐車場がフェンスで歩道に接しているのを見つけ迷わず車を乗り入れるとちょうど、自転車の男性といっしょに母子が歩いて来たので、おおい、おおいと、私の通らない声を張り上げて、呼んだ。名前も知らない人だ。

 男性が気が付いたので、車で送ると声を掛けた。事情を了解したらしい男性が、母子を誘導して次の信号を右折して車通りの少ないところに連れて来てくれて、ようやく出会うことができた。

ベビーカーを後ろに積んで、二人を乗せてつくばセンターに向かった。つくばセンターのどこへ行きたいのか聞くと、つくばエクスプレスに乗るという。どういう事情か全く知らない母子であるが、大学病院からバスに乗ってつくば駅に行くということは、大学で受診しての帰りということだったようだ。

車の中の短い会話で、家は南千住で、放射線治療に通っているときいた。3時近くに診療が終わって帰るところだったのだろう。やさしく女の子に声を掛ける若いお母さんの窮地を脱出するお手伝いができたようだ。バスに乗る時に、つくばセンターに行きますかと訊いてねと、いうと、いつもはそうするんだけどと。行先の表示とかがわからないと、同じところから出るバスの違いは判別が難しいだろう。

つくば駅の周辺はわかるというのでできるだけ駅入り口に近いところで二人とベビーカーを降ろした。

がんばって病気を治してねと言って別れた。別れ際に、お礼にと袋入りのサツマイモをくれた。

 

 

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群馬県は馬の産地だった?

2024-05-10 04:41:00 | Weblog
 榛名山は今は噴煙もなく静かに佇んでいるが、過去には何度も噴火していて、古墳時代の六世紀には2度の大規模な噴火で、火砕流が村落を飲み込んだという。その遺跡が発掘されて「日本のポンペイ」と呼ばれるとか。渡来人が馬を飼う術を持たらして一大文化圏を成した集落があった。大小の古墳が日本で一番たくさんあるという群馬県のこと、草津温泉はあるけど、地味な?県だと思ってました。
 榛名山、赤城山、浅間山それぞれ誰でも知っている上毛三山、地理に時間軸をプラスしてみると、生き生きと浮き上がって来る景色があるのです。ワクワクしながら発掘現場に向かう西原無量くんを追う75歳。
 草津温泉に住み、浅間山の麓を通って小諸のセカンドハウスに通う、かつての同級生夫妻と時折の通信があることに感謝するばかりです。
スマホと車のある現代の暮らしが、どんな歴史の上に築かれたものか、時折でも想いを馳せています。
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風薫る

2024-05-09 10:26:00 | Weblog
緑が益々濃くなり、まさに風薫る爽やかな季節となりました。
庭担当が、高い木をせっせと切ったおかげで低木ばかりの草の元気な庭となりました。
植木市から頼りなく細いさくらんぼの木を買ってきてから30年を越えて、ついに昨年切り倒してしまいました。結構な大木となり毎年たくさんのさくらんぼを収穫、ジャムを作ったり楽しんできた木も、建て増しで変わった環境もあり徐々に弱っていたのです。G Wで暇だったのでしょう?その切り株を、何を思ったか、息子が掘り起こしてくれました。
結構な力仕事で、汗まみれになりながら時間を掛けて掘り出しました。
木は、ぼろぼろにもろくなっていて、ほっておいたら白蟻とかが来そうなほどでした。
昔、土木系の訓練所で穴掘りをさせられたことを、思い出したという息子でした。お陰様で駐車スペースが広くなりました。
雨の多かった春でした。其の所為か庭のあちこちで大小のカタツムリに何度か出会って、ちょっと嬉しいことでした。
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夏蝋梅そのニ

2024-05-05 07:39:00 | Weblog
太宰府茶会に席を待つことになりましたと、お聞きしてから何年経ったのでしょうか。
お水屋のお手伝いに伺いますよと、何度か伺いましたが、なにぶんにも距離があるもので、早朝のお手伝いには間に合いません。でも、嫌な顔をなさらず、お菓子の担当をさせていただいたり、楽しくお手伝いをさせていただきました。
気がつけば、10年どころではないようです。
いつもお元気でハリのあるお声のお話しが楽しみでしたが、ご主人様を突然見送ることになって以来、初めてお目に掛かった昨年の太宰府茶会で、驚いたのですが急に小さくなられたようでした。
お弟子さんが、この頃お元気がなくて心配しております、お声掛けをお願いしますと。
80代になられて、お身体も変わってこられたかもしれませんが、まだまだ会をリードしていただかねばなりません。
夏蝋梅を、手にした松下さんはこれまでと


お変わりなくすてきでした。

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夏蝋梅

2024-05-05 07:19:00 | Weblog
レンゲショウマに、似ています。
「これはね、なつろうばいって言うんですよ」
2年続いて雨天となったG W初日4月29日の太宰府茶会、大日本茶道学会松下仙豊さんの担当された余香殿は椅子のお席で、会お好みの麗澤棚がどっしりと存在感のあるお席でした。設えは「松濤」の文字に、豊かな緑の葉に夏蝋梅の白く丸い蕾がひとつ愛らしく掛け花入に、お客様を迎えています。
 お断りする理由も思い付かず、連れと3人で、正客と相伴席に案内されました。松下先生ですから、特にお聞きしなくても、席の運びをリードしてくださるだろうと、初めのご挨拶だけ考えておりましたが、特にご発声もなく、どこでお声掛けしたらと、戸惑ったりしながら小柄な若い男性のお点前に見入りました。
それでも今回のお席のテーマは、フランスオリンピックとお聞きして、見回せば蓋置は五輪、水指はオランダ焼き、白地に赤と青、などと一つ一つのお道具に心入れが感じられるものでした。
 運んで頂いた御茶碗は、国宝「卯の花垣」を連想する形の、底の広い、薄く白い釉薬のかかった清々しい姿です。ぼってりした志野焼の白と違うのは分かりますが、はて、加藤何某氏作の白楽とのこと。
 先にいただいた干菓子は、太宰府の藤丸さんの、ふわふわの生地に大徳寺納豆を一つ載せたもの。
 気がつけば、あれこれお聞きして楽しいお席でした。
午後はゆったりだったようで、終わった跡、松下先生がお花を手に出ていらして、飾ってある蕾が開くと、こんな花なんですよ、と、見せてくださったのが、夏蝋梅でした。
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欲張りなのかな

2024-04-28 11:09:00 | Weblog
角川文庫「遺跡発掘師は笑わない」(元寇船の紡ぐ夢)桑原水菜著、を読み終えたのは3月18日熊本空港でした。
空港まで送ってきた息子を待たせてようやく読み終えて図書館に返すよう頼みました。
そして今や、5月直前、3月に返してまた借り直した発掘師(鬼ヶ島の証明)を読み終わって、やっと図書館に返せます。
歴史、地理の要素にイケメンがカッコいい推理小説仕立ての劇画のような展開の娯楽小説?
鬼ヶ島の舞台は瀬戸内海の本島。
坂出に住んでいた頃、何度か釣りに行った所で丸亀港から船に乗れば15分くらい。夫が作ったばかりの眼鏡を、落として悔しい思いをした思い出の釣り場のあるところ。
百済の王族が、塩飽諸島に隠れた遺跡が?
読めばすぐにすっかりのめり込むのはわかっているのに、少しの時間も取れなかった?なんて忙しかったことでしょう。
いいえ、切り替えが下手になったというこたでしょうか?
74歳、欲張りに盛りだくさんな、時間を過ごしているんです。
ご褒美に蝶々の訪問をいただいたりしながら。
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アゲハの雨宿り

2024-04-16 23:12:00 | Weblog
一日中降ったり止んだりしていた夕方、掃除当番の札が回って来たのでゴミ収集場所にでかけました。
ちょうど箒の辺りに、黄色に黒の縞模様も鮮やかなアゲハ蝶が止まっていました。すぐに飛んでいくものと気にもしないで掃除を終わって箒を置こうとすると蝶がまだいるではありませんか。
雨で濡れて飛べないのでしょうか。
コンクリートを貼ったゴミ収集場所は近くに蝶が隠れる所もありません。近くから草を抜いてき、止まらさてみましたが、全然飛べないようなので、結局、家まで連れて帰りました。
庭にある花に止まらせてみましたが雨は降っていますし、濡れないで過ごせそうな所もないので、蝶の止まっている小手毬と山吹の枝を折って家の中に入れて棚の上に置いてみました。濡れたせいか、飛んでいく気配はありません。
結局、玄関の人の動きのない暗いところに花の枝を置いて一晩過ごしたことになります。
翌朝覗いてみると、昨夜と同じところに止まっています。小さい花は蜜があるのかないのかわかりません。でも、濡れていた羽は乾いたようです。玄関を開けても飛んで出てはいかないので、花の枝ごと外へ出してやりました。できるお節介はそこまでかなと、一夜のお客様の幸運を祈りました。
2、3時間後のことです。
勝手口の方に立てかけてある農具の柄に黄色い物が見えました。よく見ると昨夜のアゲハ蝶のようで、しかも2匹がくっついているようです。もしかして、あの子が伴侶をみつけたのでしょうか?
お節介おばさんは、ちょっと幸せな気持ちになりました。





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弥生ひな祭りの頃

2024-03-05 22:09:00 | Weblog








時期が来れば花を付ける植物たち

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2024/01/29

2024-01-29 02:33:00 | Weblog


頂きものの蝋梅の香りに癒されていると、庭の紅梅が咲きました。
水仙.椿など寒い時に咲く花は健気で愛おしいものです。


去年までしげっていた葉をこれでもかと、切り詰めた玄関先の椿ですが、がんばって花をつけています。
去年から読んでいる桑原水菜さんの「遺跡発掘師は笑わない」シリーズが9冊目になりました。
その昔、遺跡発掘のアルバイトをしたことがあるという事を思い出してワクワクします。
去年読んだ「恋ふらむ鳥」は、桓武天皇の時代が舞台で、恥ずかしくもあまり知らなかった百済の王朝が滅んだ前後、百済の王子たちが日本に亡命してきた頃を興味深く読みました。
 東北大震災の後の発掘調査を扱った巻では、その桓武天皇の「手の指」が発掘された?遺跡発掘師の掘り出す物はびっくりするようなお宝ばかり、史実を積み重ねて小説家の想像力の作り出す世界には思わず引き込まれてしまうよう。百済の王朝の再興を計る王家の血筋の者が現れて、私の中では「恋ふらむ鳥」と繋がったのでした。
朝の同行散歩をさせていただいている本田さんの膨大な読書の一部を覗いているだけだが、彼女のお勧めにはハズレがない、私の狭い世界が広がるようだ。
海堂尊著の「奏鳴曲」も、同時代を生きた森鴎外と北里柴三郎を、膨大な資料をもとに奥行きをもって描き出している。カッケという症状がそれをもたらす細菌よるのものと考えられていた時代があったのです。医療の、未知のものに対する姿勢を問われている。作者はコロナに対する姿勢にも言及している。陸軍と海軍のカッケ患者の数の差をみても、なお自分と上司の保身を優先させ、陸軍の食事を白米主食に固執した結果、陸軍では多くのカッケ患者を出し続けた。その陸軍のトップの座に鴎外は8年居た。

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迷惑そー

2024-01-23 01:18:00 | Weblog
我が家の愛犬こまきちは、昨年12月14歳になりました。
ちょっとツノをつけてみたら迷惑そーな顔。
 朝起きたら、まずご飯と要求
します。獣医さんに食欲があるうちは大丈夫と、言われましたからまだまだ元気。ふわふわの毛をたくさん製造しては撒き散らしてくれます。

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