星椎水精先生の先祖供養 -正しい先祖供養で最高の幸せを手にした人たち

アトランティス神による本物の浄霊(先祖供養)の素晴らしさを紹介。

供養とは・・?

2013年10月24日 17時58分11秒 | 先祖供養
テレビドラマなどを見ていると、よく死んだ人間に対して「これが何よりの供養だ」と言っていますが、いつもそれについて凄い違和感を感じます。

例えば、海が好きだった人には、骨を海に散骨してあげて「供養」と言っています。

星椎水精先生が著書で書かれておられますが、そんなことをすれば、どざえもんとなって、ずっと海をさまようことになりますし、泳いでいる人に憑依し、道連れにするかもしれません。これでは、供養とは全くの逆効果です。

ほとんどの人は、死んだらあの世に行く(成仏する)と思い込んでおり、それが前提にあるために、このような事が供養だと勘違いしてしまうのでしょう。


私の知り合いの人が、ある宗教団体「○○の家」という所に行った事があるそうで、その時の事をこう言っていました。

「経営者クラスの人も多く来ていて、毎日先祖供養をして、先祖に仕事(経営)が上手く行くようにお願いするのだ。」と。

「先祖供養」という言葉に敏感な私は、

「そこでは、何をする事が先祖供養だというのですか?」

と尋ねると、

「自分達でお経を毎日あげる事」

なのだそうです。

これも、「死んだら、天国(あの世)に行っているのも、もしくはそうなるのが当然である」という考えが前提にあり、固定概念のようになっているので、「お経=先祖が喜ぶ=先祖供養」だと思い込んでいるのだと思いました。

本当の先祖さんの状況が見えるわけでも、感じ取れる力(霊感)もなく、実際は成仏出来なくて苦しんでいる先祖に対し、「助けてくれ。守ってくれ。」とお願いするのですから、先祖も困るし、間違った事を教えているその宗教も、良い方向へと向かうはずがありませんよね。

やはり、テレビや子供が読むマンガなどが、想像で描いた間違った死後の世界を披歴しているわけですから、一般の人達がそのような思い込みをしてしまうのも無理がない事かもしれません。

いずれにしても、生きている人間の都合の良い解釈となっているのが、現在の宗教みたいですね。


「何を先祖供養というのか?」

ハッキリ言って、先祖供養とは「先祖が望んでいる事をしてあげる事」です。

そして、その先祖が望んでいる事といえば、「成仏したい(霊界に行きたい)」という一点だけです。

その先祖を成仏させられるのは、本物の浄霊しかなく、それができるのは星椎水精先生だけ
なのです。

星椎水精先生に辿り付けた人達は、本当に幸せだとしみじみ思います。

私の個人的な思いは、お経を読んで成仏したと言う間違った供養の概念から、早く抜け出せる人が多くなればいいのに、と思います。


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悲劇

2013年10月23日 20時29分26秒 | 龍神上げ
昨日の話でも出てきたガンですが、世間ではよく「ガン」や「認知症」、また難病を題材にした本や映画が多く存在します。

私がよく読んでいるマンガの中にも最近、ガンや認知症を患った登場人物が出てくるのですが、そのお話の中でもその人たちが一生懸命に生きる姿を感動的に描こうとしています。

なんて言いますか、作者は「どうしようもない運命に立ち向かう姿」を美しく描く事で感動させようとしているみたいですが、残念ながら今の私は全く感動できません。

それは何故かと言うと、例えば今回の例にあるような「ガンと闘う姿」を見て感動するというのは、あくまで“物事の真実を知らない人”が感動するレベルであり、裏にある真実を理解できれば、そんなことで感動などは出来ないのです。

(そういう私も、星椎水精先生の浄霊に辿り付く前の私なら一般の人達と同じように感動したでしょうが、今現在はそうではありません)

どうして「ガン」になるのか?

原発事故のような、放射能による物質的な影響などを除きますが、大抵は「ガン=霊障の最たるもの」であるわけです。

ですから、「ガンと闘う人」を感動的に描く姿は、とても違和感があり、滑稽に映ります。

先祖が必死になって「これでもか、これでもか!」と訴え続けているのに、それがわからない。

そして、それが最終的にガンとなり、成仏できないご先祖が増え続け、当然「ガン家系」となって行きます。

先祖の訴えを無視し続けてきた結果が出てきているだけなのに、それを「残酷な運命」とか「必死に闘う」「一生懸命に生きる」としているので、私としてはおかしく感じるのです。


実話をもとにした映画なども多数ありますが、それにしてみても、その家の先祖さんの事を思うと、感動なんてできません。

「ガン」の真相を知っている私から見れば、このように美しく描こうとする姿は、言うなれば「自分の家は先祖がメチャクチャ荒れているんです!」と声高々に世間に公表しているように見えるのです。

ガン患者が出る事自体、その家の誰も先祖さんに気がついていないほど先祖さんへの関心が薄いという事ではないでしょうか。

それで感動、というのは無理な事だと思います。


このように、一般的な評価と真実の姿が180度違う事に気がつく事は、星椎水精先生の本を読み、先祖の浄霊(ご供養)を続けて行くと、面白いようにたくさん出てきます。

いかに浅い部分しか見ていないか、ということですよね。


ただ、このようにガンや病気になるという事は、ある意味チャンスだと思っています。

「死んだら一体どうなるのか?」「自分の寿命は一体あとどれくらい残っているのだろうか?」「残された時間で、やるべき事は?」など、健康な時には考えない事が、否が応でも考えなければいけなくなるからです。

本当に心の綺麗な人で「徳」があれば、その時に先祖さんというものにも気がつくかも知れません。

すべては「気付き」の為に用意された材料です。

ただ、何も気がつかず病気をも美談にしていると、やがて悲劇が訪れることは、まず間違いないでしょう。


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犠牲者

2013年10月22日 18時19分29秒 | 天国
先日、十数年お世話になっている方と久しぶりに話をしました。

その人は母親と愛犬と一緒に暮らしていたのですが、お母さんは老人性うつ病らしく、一緒にいると後ろ向きな暗い話ばかりしてくるとの事でした。

そんな中、癒しのために犬を飼われていましたが、昨年亡くなったそうです。

元気いっぱいだったのですが、10年も経たないうちに「ガン」となり、死んでしまったのだそうです。

これを聞いた時に、「あぁ、犠牲者が出てしまった・・。」と思いました。


そもそもお母さんの「うつ病」も先祖霊の憑依が原因ですが、そこでもおかしいと気がつかず、誰にでも起こりうる事と思い放置してきてしまった結果、今度は家で太陽のような存在だった愛犬が憑依され、そして早くに死んでしまったわけです・・。

今では慣れましたが、昔は「うつ病」と聞くと、えも言われぬ恐怖の様なものを感じていました。昔で言う「疫病」を患った人を見るような、忌み嫌う感覚だったのかもしれません。

理由も分かりませんでしたが、今ならなんとなくわかります。

「うつ病」=「相当先祖霊に憑依されている人」なわけですから、そのような“負”のエネルギーをなんとなく私は感じ取っていたのだと思います。後ろにたくさんの幽霊を背負っているわけですから、近寄りがたいのも当然ですよね。


今回、愛犬の訃報を耳にしましたが、残念ながら今後も良い事はないように思います。

いわゆる「先細りの人生」が、なんとなく見えてしまいます。

私としては、本当にお世話になってきた方なので「いい人」だと思っていますし、良くなって欲しいと思いますが、これだけ自分の大切な人や犬が犠牲になっても、気がつかないのが残念でしょうがありません。

仮に霊的な事を話しても、全然理解してくれないでしょう。変な宗教に入っていると思われるのがオチです。

実際のところ、見た目(表面)はいくらいい人に見えても、本当にいい人かどうかはわかりません。こんなに犠牲者が出ていても、先祖さんからのサインに気付けないのですから。

星椎水精先生の浄霊を続けていらっしゃる皆さんのように、見えない先祖の苦しみを理解し助けてあげられる人こそ、「本当のいい人」なのだと、今なら十分にわかります。


今回の話に出てきたこの方も、このまま先祖さんに気付かず放置しておくと、母親がもっと酷い病気になったり(うつ病の進行や認知症など)、仕事の面でうまくいかなくなってしまったりと、状況が悪くなってしまうばかりだと思います。

本人もどんどん八方ふさがりとなり苦しむ事となるでしょうが、それはしょうがない事なのだと思います。本人以上に、先祖さんが苦しんでいるわけですからね・・。

「私達(末裔)が苦しいのは先祖が苦しんでいるからだ」

早くこの事に気がつく人が増えれば、本当に世の中が安泰になるのにな~、と考えさせられた先日の出来事でした。



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アルコール

2013年10月21日 19時17分27秒 | 天国
先週の星椎水精先生のコラムにありました、ある宗教家についてのコメントで、もう一つ気になった事がありました。

『まず、大酒のみの宗教家は、偽物と思って間違いない。適度な酒は体には良いかもしれないが、度を超すと肉体の正常な判断が出来なくなる。そこへ、肉体を襲ってくるのが、狐狸の類である。酒はオーラを弱くし、隙間を作る。そこへ狐狸が忍んでくる。・・』

の部分を読んでいて頭をよぎったのが、以前星椎水精先生が著書で述べられていた「夜の繁華街には、狐狸がたくさんいる」という一文でした。

水商売をしている人は、大抵狐や狸の霊が入り込んでいるようなのですが、その理由が今まではなんとなくしかわかっていませんでした。

でも、この星椎水精先生のコメントを読んだ時、ここにその理由が凝縮されているように思いました。

「お酒が自身を護るオーラを薄くしてしまうため、そこに出没する狐狸や浮遊霊に入り込まれてしまう」のだという事です。

「あ~、なるほどぉ!」と思いながら読ませていただきました。まさに点と点が繋がったカンジです。

お酒が、このようにオーラを薄くしてしまうなど、一体今まで誰が説明できたでしょうか?

世間では霊能者がオーラの色がどうとか騒いでいますが、そんなことは取るに足らないどうでもいい事であり、大事な事が何もわかっていないんだという事が、よーくわかりますよね!

星椎水精先生のお話というのは、虚構や妄想ではなく、真実を述べられておられるので、この様に一本の筋がピシッっと通っています。

私のように、本やコラムを読んで、例えその時は意味がわからなくても、頭の片隅に「気になる事」として残っているため、ある日「これかっ!」と気付く事ができるのだと思います。

これは本当に嬉しい事ですよ。謎が解ける瞬間を味わえるのですからね!


私の知り合いが水商売をしており、その人が「店のママの顔がキツネにすごく似ている」と以前言っていたのを、このコラムを読んでいる時に思い出しました。

長い間このような仕事をしてどっぷりと夜の世界に浸かっていると、自分ではわからないうちに、どんどんキツネやタヌキなどの霊が自分の中に入り込んできてしまうのでしょうね。

普通の人はわからなくても、私の知り合いのように霊感の強い人には、なんとなくわかるようです。

お酒が好きな霊能者やスピリチュアルの人は数多くいると思います。テレビにも、よく出てきますよね。ホストクラブにはまっていた人とかね・・。

そんな彼らの顔をよく見ると、不思議とタヌキやキツネの顔に見えてきます。

自分自身が、タヌキやキツネの霊に取り憑かれている事すらわかっていない霊能者の言う事が、果たして正しいと言えるのかどうか?

また霊的な事も、間違っていない正しい映像が見えているのか?


星椎水精先生の浄霊を進めながら日々勉強していると、メディアなどに騙されない、正しい目というものが養われていくと思います。

やはり、星椎水精先生の浄霊は「凄い」の一言に尽きますね!



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ニセモノの宗教家

2013年10月18日 20時00分50秒 | 宗教ビジネス
今週はじめの星椎水精先生のコラムに、ある宗教団体の実情を書いた体験談が載せられていましたね。

戒名であの世に行けるなどと言うのは、すごいこじつけだな~と思って見ていました。

そもそも戒名が存在しているのは、日本だけです。葬式仏教ですから‥。

もともと戒名は、釈迦様の始めた仏教には存在しておらず、後世になって作られたものなのだそうです。従って、「戒名がなければ死者が成仏できない」あるいは「極楽浄土に行けない」などというのは、仏教の基本を知らない人の言葉なのだそうです。

という事は、「戒名」は寺の都合という事に他ならないわけです。

そして、日本人の特徴として「みんなが付けているから、必ず付けないといけない」というような、変な風習が人々にあり、またそれに疑問を持たないから始末が悪いですよね。


さて、このような宗教ビジネスも数多く存在していますが、やはりそこで問題となってくるのが、お寺の住職や宗教団体のトップが優雅な生活を送り、豪遊していることではないでしょうか。

特に新興宗教では、教祖が大豪邸に住み高級車に乗りおいしいものばかりを食べ、愛人がたくさんいた、なんていうのはザラにありますよね。

さらに、知り合いから聞いた話ですが、昔よくテレビに出ていた「織○無道」という僧侶がいましたが、夜の銀座の高級クラブで飲み歩いていたのをしょっちゅう見たとの事。

他にも、身なりも普通の人なのに、毎晩毎晩銀座に出没し、豪遊していた人がいたそうです。

「なんであんなにお金があるのか?」と同僚に尋ねたら、「お寺の住職らしい‥」という返事が返ってきたそうです。

髪型も今風で、全然僧侶らしからぬ風貌なのだそうですが、それでも住職として崇められ、優雅な生活を送っていたそうです。

こういうのを本当は「俗人」と言うのではないでしょうか?


宗教、特に新興宗教などでいつも問題になるのが、このような教祖や幹部の贅沢な暮らしぶりです。

信者には多額のお布施を強要し教団のグッズを買わせ、根こそぎ財産を奪っておきながら、自分たちは豪勢に生活する。

信者たちには、「今頑張れば、死後に報われる(よい世界に行けます)」と嘘ばかり述べて騙し、自分たちを正当化する。

信者も哀れですが、こういう実情を見ていると、本当に宗教って言うのは「ビジネス」なんだな~としみじみ思いますよね。

新興宗教によくあるのが、教祖が「救世主」とか「神」など言って信者を集めることですが、救世主がこのような豪勢な生活を送る事に大変違和感を感じます。

釈迦様やキリストが、果たしてそんなに優雅な生活を送っていたのでしょうか?

過去の偉人たちは、当時庶民を救うために頑張っておれらたし、ましてやいつも質素な生活をされていたようです。それと比べて現在の「自称 救世主」などはどうでしょうか?

豪華で悠々自適な生活を送りながら、一体どうやって人々を救うつもりなのでしょうか?

新興宗教を見る度、このような嫌悪感をいつも抱くのは、私だけの思いでしょうか。

皆さんはどう思われますか?


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