児童生徒 学級 学年 学校の取り扱い説明書

教育のことや子育て 不登校問題への対応等について、考えてみます。

理想的にいけばいいけれど・・・

2017-08-23 15:18:17 | 教育相談
理想的にいけばいいけれど・・・ 

今日は表題のような題にしてみました。

8月も下旬に入り、夏休みも残りが少なくなってきました。宿題やら何やらで、本人も保護者さんも、少し気ぜわになってきているところでしょうか。

もしかすると、不登校の人が見てくれているかもしれませんので、それらの方々へもちょっとこんな風に考えてみたらどうだろうか、という意味で題を決めました。

人生は本当にいろいろなことがあって、自分の思うようにいかないことが多いですよね。
また、今の時代は複雑で、情報もたくさんあって、何が何やら、どう思ったら考えたらのことが多いですよね。

不登校の子どもたちは、かなり繊細な感受性を持っていることが多いように感じることが多いですね。

周りの人が自分をどう思っているのだろうか、嫌われているのではないだろうか、とか、教室に行ったらみんなはどんな反応をするだろうか、教室でみんなとうまくやっていけるだろうか、とかの思いを持っている人が多いかと思います。

自分が受け入れられるかどうか、自分への評価はどうかなどの気持ちがあって、心配になってしまいますよね。

そんなことが続いて、心のエネルギーを使って疲れてしまうこともあるかもしれませんよね。

周りの人が、そんなこと気にしなくてもいいよ、とか、そんな風には思っていないよ、思っていないと思うよ、そんなに気にしてないよ、とか言われても気になってしまうことはそれはそれで仕方ないかもね。

それでね、その辺をどうしたらいいだろうか、どのように考えてみたらいいだろうかということで、考えてみましたよ。

理想のようにいけばいいけれど、自分の思っているように進めばいいけれど、望んでいるような状態になれたらいいけれど、かならずしもそのようにならないので苦しいんだよね。
つらい状態が続くんだよね・・・。

そこでなんだけどね。
理想的であれば、それが本当はいいけれど、いろいろな条件があって、そうならないときも多いし、そうならない時の方が多いのが普通かな。

で、理想であることがいいのだけれど、そうでなくてもやむを得ないかな、と考えてみるのもいいかなと思うのだけれど、どうかな。

今の人はこんな言い方はあまりしないと思うけれど、以前の人は、「・・・・に越したことはないけれど・・・」とかの言い方をしたよね。

・・・の方がいいのはその通りだけれど、そうでなくてもやむを得ない、仕方ない、そんな意味かな。


やわらかい考え方やとらえ方がけっこう大切かなと思うよね。一人の人が、相手の人や自分の周りの環境を変えるのはなかなか難しいけれど、自分があることを受け止める、受け止め方や感じ取り方は、多少は変えることもできるかと思うよね。

急には難しいかもわからないけれど、そのようにしようと、考えようと努めていると、だんだんに身についてきてできるようになるのではないかと思うんだよね。

今日はそんなことを伝えてみようかなと思ってアップしてみましたよ。
一方的な意見だとしたらもうしわけないけれど、許してね。

あまり固定的な硬い考え方をしなくてもいいかもしれないと思っています。
いろいろ考えたりやってみたりして、いろいろ取り組んでみてくださいね。何か変化がおこうかもしれませんからね。では・・・


保護者の方や先生がみていただけましたら、子どもに一方的に求めることを続けていくと、
子どもの考え方や受け止め方が硬くなってしまって、せっかく持っている本人の特性や柔軟性、可能性が発揮できにくい方向に進んでしまう可能性もあるかと思いますので、子どもの状態にあった、柔らかな対応が必要に思われますので、対応を考えてみていただければ幸いです。



(別ブログからの再掲です)

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今の私をスケールで表したら・・・

2017-08-16 17:20:31 | 教育相談

今日はこんな題にしてみました。

前回は虫を探してみようでしたね。
実際に探せたでしょうかね。
うまく使えていると嬉しいのですが・・・。

今日は「スケールで表してみたら・・・」ですね。
何のことやら検討もつかないかもしれませんが、そんなに難しいことではありませんので、
少し触れさせていただければ、「なんだ、そんなことか」と思われるかもしれませんね。

何かを表すのに数字は便利ですね。5点満点の5点といえば最上級で、子どもが成績表でもらったら
とてもうれしがることでしょうね。

何かを尺度で表してみようか、スケール化してみようなということです。
階段を想像してみれば、100段の階段を何段まで昇っただろうかというようなことです
ビルなら何階までですね。

今回は、今の自分の状態を、一番望んでいる状態や理想の状態を 10 として、自分で考えてみて、いくつの段階にいるか考えてみようか、ということです。

例えば、すごく人生がうまく回っていると感じておられる方でしたら、10 とお答えになるかもしれません。

まずまずかなと思っておられる方は、 7 と答えるかもしれません。あるいは他の方は、とてもとても せいぜい 4 くらいだなとお答えになるかもしれません。

いくつであっても、自分で素直に感じてもらえればそれでよいと思います。
ちょっとやりにくい面もあるかもしれませんが、人に見せるわけでもありませんので、素直な気持ちになって考えてみるのが良いと思います。
はっきりといくつと決められなくても、・・くらいでもいいと思います。いずれにしても数字で出してみて表現して、ある程度の客観化をしてみるのもいいと思います。

もっと具体的には、階段の図を10段作って、自分で思ったところまで色を塗っても面白いかもしれません。
10段のピラミッドのような図でもよいでしょう。
その他に、小さな花から大きな花まで10個でもよいでしょうし、
中心に小さな四角を描いて、その周りに少し大きなものを描いて、さらに大きくしてと、重ねてもよいでしょう。

そうそう、ハートの形だったら、中心の小さなハート形から外側にだんだん大きくハートを10個描いてみるのもいいかと思います。

それで、自分で考えて、いくつかまで色を塗ってみるのもいいと思います。
好きな色を塗れば、きれいにできて、それで気持ちも落ち着くかもしれません。

工夫してみれば、いろいろにできると思います。

お子さんがいれば、あまり小さなお子さんは自分の客観化というのはできないかもしれませんが、一緒に色を塗ればいいと思います。一緒に活動する機会になると思います。

小の高学年とか、中・高生の場合には、一緒にできればそれがいいと思いますが、できなければ自分でやってみてというのもいいと思います。

ご自分はいくつくらいですかね。どんな感じでしょう?

さて、ここからですが、できたら紙でも用意していただいて、「あなたのスケール、数字は、どうしてその大きさですか、そのわけを考えてみてください。そして、良かったら、わけを紙に書いてみてくださいね。
さあ、どんな文になるでしょう。もちろん、単語でも、簡単な短文でもいいのですよ。書けなかったら、子どもと一緒にやっていて、書きにくいとかの場合は、心の中で思うのもありですよ。書けましたか、イメージできましたか。

次ですよ。

もし、その数字が、今より一つだけ大きくなっていたら、自分はどうなっているだろうか、どんな気持ちになっているだろうか、どんな生活になるだろうか、
今と何が違っているだろうか、等について考えてみてくださいね。想像でいいですよ。書けたら紙に書いてみてくださいね。
その方がよりいっそういろいろなことがはっきりしてきますからね。

子どもと一緒だったら、話を聞いたり、感じを聞いたり、対話をしてみるのがいいでしょうね。
貴重な対話の機会になると思いますし、子どもの気持ちもわかってくるかもしれませんね。

保護者さんと子どもさんが、さらにいっそう触れ合う機会になるでしょうね。
大きな子どもの場合には、やったら見せてくれるとうれしいなと、それとなく促したり、一緒に話そうと誘ってみるのもいいと思います。但し、強制は禁物ですね。大きい子は、秘密があって当然ですからね。

さて、次に、
スケールを一つ上にするために、あるいは図を一つ大きく塗るために、何かできそうなことがあるでしょうかね。
考えてみましょう。そして思いついたら、また紙に書いてみましょう。
どんなことでもいいと思います。他の人にも、自分にも遠慮なく、素直に書いてみましょう。
どんなことになるでしょうね。単語でも短文でもOKですよ。

最後です。

今まで、やってみて、思ったこと、感じたこと、気づいたこと、等を素直に率直に紙に書いてみましょう。単語でも短文でもOK、書けないときは思うだけでいいと思いますよ。

いろいろな思いや感想が出てくることでしょうね。
お子さんと交流できるといいですね。日常を振り返る機会になればいいですね。
新鮮な気づきがあればさらにいいですね。

家庭でも簡単にできると思います。よかったらやってみてくださいね。思わぬ変化が生じるかもしれませんよ。

学校の先生が、児童・生徒を対象に実施することも当然可能です。学級で一斉に行うこともできると思います。
子ども間で見せ合ってもいいのですが、からかい等はしないように、プライバシーはある程度尊重するように伝えておくのも必要かもしれません。
その辺は、各場所で・・・。

それから、例えば中3だったら、テーマをつけて、実践してみるのもいいかもしれません。
「生活全般について」のスケールは・・・とか、学習について、とか、進路に絞って、とかにしてみるのもいいのではないかと思っています。
各学年の課題に従って、子どもにやってみてもらうのもいいかと思います。
工夫によっていろいろと使えると思います。

よろしかったら、新学期にでもやってみてください。

今日はスケールで表してみる、ということで載せてみました。休み中にでもできたら使ってみてくださいね。

また、機会を見て、別のネタをアップしてみたいと思います。
よかったら、周りの方にも紹介してみてください。多くの人に見てもらえると嬉しいですので。
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虫を探してみよう

2017-08-08 09:09:55 | 教育相談
もう一つのブログに、表題のようなものを載せましたら、けっこう多くの人に見ていただきました。
で、こちらにも載せてみようと思います。

本当はこちらが先だったかもしれないのですが。
これからも保護者の方に参照していただけるように、少しずつではありますが、載せていきたいと思います。
よかったら、知ってる人に紹介してもらえると嬉しいです。よろしくお願いします。


今日は表題のようにしてみました。

夏休みで、暑い日が続きます。
昆虫などの虫も、高い気温の中で活動が活発になっています。
また、部屋の灯火などにも虫が集まったり、
そうそう、キャンプを楽しんでいる、あるいはこれから予定している方も多いかもしれません。
野外では多くの虫を見かけますね。


さて、今日は自然界にいる虫の話ではありません。ちょっと変かもしれませんが、体の中や心に住んでいる虫を探してみようということです。

昔からの言葉でしょうが、「獅子身中の虫」とか言うこともありますね。
獅子、ライオンの体の中にも、思わぬ虫がいるということでしょうかね。詳しい意味は分かりませんが、虫に困らせられるということもありますね。

私たちの心の中にも「虫」が住んでいることがあります。そして、その虫が大きく成長してしまっている場合もあるようです。

例えばですが、「泣き虫」とか、「イライラ虫」とか、「いばり虫」とか、いろいろな名前を付けることのできる「虫」がいるかもしれません。本当の虫ではありませんが、虫に例えられるような特性がみられることもあります。

その特性を「虫」と考えると、小さな子どもでも、自分を振り返って客観的に「虫」として明確に自覚しやすくなり、虫として探したり、大きくならないようにしたり、捨てたりやっつけたりしやすくなるように思われます。

問題・課題を虫として自覚し、それを上手にコントロールする、あるいは捨てる・やっつける努力をすることができるようになるかもしれません。

はっきりと自覚できないことには、「虫」の活動、肥大、暴走等を防ぐことはしにくいですからね。

小さな子どもでも、自分の中に「虫」がいるかもといえば、見直しがしやすいと思われますし、もしいても、発見しても、対応がしやすくなると思われます。

人は誰でも、心の中に、特性の中に、何らかの小さな「虫」を抱えているかもしれませんが、その「虫」が主人を困らせるようでは、本来の力や特性が発揮できませんからね。

自己を客観化する力やセルフ・コントロールの力は大切ですね。

「虫」を大きくしない、できればやっつけることは一つの目標として大切なことかもしれません。
自分で見つけることができたならば、それをどのように扱うか、対話ができるといいですね。

ちょうど夏休みなので、親子で会話の機会があると思いますので、そんなときに話題としてみる、この夏の課題としてみることもいいかもしれませんね。

やってみてもらえるといいかなと思っています。

やるときに、親の方から一方的に、あなたの心の中に「・・・虫がいるよ」ということは避けておいた方がよいと思われます。そのようなやり方を嫌う子もいるでしょうし、マイナスのことを一方的に言われたら、一層マイナスの心が大きくなってしまうかもしれませんので。

大切にしたいことは、子ども本人が自分で気づこうとすることでしょうし、自分で対応を考えてやってみることでしょうね。

中学生などのもう少し大きな子どもの場合には、「虫」といってもピンと来ないかもしれませんので、
思春期で心に関心が向かうところから、「・・・・心」というのもよいと思われます。
例えば「さぼり心」、「ぼんやり心(ボーっと虫)」とかみたいに・・・。

はっきりできたものを、どうしたらいいだろうか、小さくするには・・・とかを具体的に考える時間が持てるといいですね。

夏休みの機会の意味・意義をそれぞれのご家庭で、あるいは学校でも、考えていただいて、有意義に活用できるといいですね。 今回はこれで・・・

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子どもをどのように支援するか?

2017-07-15 09:43:22 | 教育相談
もう一つの「不登校ブログ」GOOに表題のような文をアップしてみました。

学校の先生に見ていただければと思ってアップしました。



アップした後、ちょっと考えて、このような場合に、親であったらどのように対応したらよいのだろうかと考えてみました。

もし、自分の子どもがこのような状態だったら、どうするだろうかと考えてみると、
具体的な動きについて、わからない場合もあるのではないかと思って、保護者だったらをこちらにアップしてみることにしました。


一応、別のにアップした記事は以下の通りです。
読んでみてください。

それから少し考えてみたいと思います。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎◎◎ 子どもをどのように支援するか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回はそんな題にしてみました。

 学校の先生に役立つだろうかと思って記しています。

小学校でも、中学校でも、落ち着きのない不安定な子どもが多くみられるようになっているようです。

特に小学校での例が多くなっているでしょうか。

そのようなときに、どのような考えでどのように支援、指導したらよいか、迷うことも多いと思われます。

そこで、一つの考えを記してみることにしました。以下の通りでどうかなとも思います。
よかったら読んでみてください。
考え方は他の事例でも同様に応用できるかと思っています。

以下を参照して実践してみて、実態に合わせて、細かな点は事例の内容に応じて変えていけばよいと思っています。
対策案は仮説ですので、一応やってみて、結果を見て、また、新たな情報も加味して仮説の修正も柔軟に行って、また実践してみて・・・と、立案→実践→修正→実践・・というように着実に行っていけば、一定の期間の間に成果を得ることができるのではないかと思います。



◎具体的な例を設定して、現実的にできそうなことについて考えてみましょう。

 例 「安定感がなく、離席したり、校舎内外をふらついたりしてしまう子どもへの対応」


(学校で、情緒の不安定な子どもがどのクラスにもいるような状態になっています。担任は対応に困っています。座っていられない子どもです。先生の話が聞けない、言葉が伝わらない、指示が聞けない子どもです。)

 例について説明すると、精神状況がとても揺らいでいて、落ち着いていることができず、そのために、学習にも集中できないし、何に興味や関心を持つでもなく、心の動きのままにふらついてしまう状態と考えることができる。

 背景や要因はわからないが、とても情緒不安定になっていて、集中力の継続も難しく、席についていること
もままならず、気の向くままに動いている状態と考えられる。

 おそらく本人は、相当強度のストレス状況に置かれているか、あるいは対ストレス耐性が弱めに育っている
か、またはその双方が存在しているかであろうと思われる。

 実例として多いのは、ストレスが強い状態が続いていて、それに新たな強度のストレスが加わった場合に
は、強い情緒不安定の状態になって、それから離席等を示すというような例である。
 
 また、ストレス状況の継続の中では、心の不安定により冷静な判断力は育たないことが多いので、心の成長 も遅れて、ストレス耐性も一層弱くなってしまうであろう。

(保護者は、学校での子どもの本当の様子がわからないことが多いと思うので、家で、子どもが 「わがまますぎる」、「保護者の言うことを聞けない」等の場合、あるいは反対に「とってもいい子すぎる場合」は、学校の先生に素直に聞いて、様子を確認しておくことが大切と思います。
 保護者と先生は、基本的には子育ての協力者ですので、率直に丁寧に聞けば教えてくれると思います。冷静に聞くことです。)


 〇このような例の場合には、まずは、支援者・指導者の方が、本人と同様の感情的な思考や対応にならない ようにして、事態を冷静に受け止めて、まずは心を落ち着けて、このような例の場合には、背景要因がある ことがことが多いからと判断して、以下に触れるようにしていくのが良いのではないかと思われる。

 教室外まで、あるいは校舎の内外までふらふらしてしまうという例は、背景要因の「根が深い」例だと思わ れるので、落ち着いて席についていて学習に興味や関心が持てるようになるまでには、それなりの時間・期
間がかかっても止むを得ないと考えて支援・指導するのがよいと思われる。

 (保護者の場合には、先生から連絡帳等で実情が聞けた場合には、確認して、そうであれば、子どもの行動が何を意味しているのか、何か訴えたいこと等があるのではないか、反抗・反発、不安やいらいら等なのか、意味、子どもの内面状況を確認してみることが必要だと思います。)



 〇背景要因をつかむ  (保護者の場合は、何とかつかむ努力をしていただきたいと思う。)
 
 支援や指導には背景要因をつかむことが絶対に必要というわけではないが、理解していたほうが動きやすいことは事実であると思われる。
 また、支援の策を考えるときにも、背景要因から策を見つけることができるという点でも、さらに、子どもの気持ちに沿いながら実践できるという点でも、一定程度の把握や理解は必要であろうと考えられる。
 その理解も、日々の中では仮説であるが、それは新しい事実や情報の出現の中で、修正しながら進むということでよいと思われる。

 背景要因として中心になるのは、やはり

 本人の過去および現在の家庭環境や、生育歴等が中心になると考えられる。
 現在の状況については、親子関係の状況は把握したいところである。小さい子どもほど、親の養育姿勢の影響を受けやすい。
 残念なことかもしれないが、現在では、親が子どもの養育に、物理的・心理的に十分なかかわりができにくくなっている状況も広がっているようにも思われる。
 可能な限り、情報の収集と整理を行い、確認をしておくことがよいと思われる。


 〇本人の今までや現在の状況を整理・確認する。 

(保護者は、何とか本人を活かして、持ち味を発揮させることが大切と思われる。)

 学校に入学してからでも、担任になってからでも、問題が著しくなってからでも、可能な期間で、以下に示すような点について整理・確認してみると、何かしら、支援や指導のポイント、活用できるところ、使えそうなところ等を見つけることができるのではないだろうかと思われる。

  ・本人の興味・関心
  ・得意 不得意
  ・能力・適性
  ・性格・特性

 興味や関心がわかれば、何か本人を動かすことができるかもしれないし、得意や不得意も同様に、本人への働きかけの機会を見つけることができるかもしれない。

 能力では、本人が取り組めそうなことで、うまく、良い結果を出せそうな分野が見つかるかもしれないし、適性では、クラスでの役割等として、本人を活用することができるかもしれないし、活躍を促すこともできるかもしれない。うまくポイントを見つけ出すことにつながるかもしれない。

 意識的に整理・確認しておくのがよいと思われる。

 ここでの趣旨は、いろいろな作業から、今後生かせそうな本人が持っている資源・資質(リソース)を発見し、活用しようということである。

 何か、本人がその気になりそうなこと、取り組めそうなことはないか。本人が持っている特性の、よい部分で、学校生活の中で生かせそうな部分、特性はないか。

 そのように考えて、何とか具体的に動いていくこと、動こうとすることが、現在マイナスの状態になっている本人でも受け入れて、少しでも良い方に向けていこうとする支援者・指導者の気持ちのあらわれである。

 すべて、自己否定的な、自己に自信を持てない、何をどうするかも考えられない、考えようとしない、マイナス感情に流されている本人にとっては、

 いいところもあるよ、生かせそうなこともあるんじゃない、得意なことには取り組んでみようよ、クラスの役に立てるよ、優しいところはみんなも喜んでいるよ、

 等の働きかけをしてくれる支援者・指導者の存在は、本当にうれしいこと、ありがたいことと感じるのではないかと思われる。

 不安定な子どもは、どうしても自己否定的な感覚を持ちやすいし、また、耐性が低いことが多くなる。マイナス感情に支配されてしまいがちになる。
 
 マイナス感情が著しく多くなると、動く力も弱くなってしまう。意欲もどんどん低下してしまう。
したがって、マイナス感情を埋め合わせることのできるプラスの感情を持てるようにすること、あるいはプラスの感情を周囲から注ぐことがとても大切である。
 マイナス感情をすべて消すことはできないし、また消す必要もない。しかし、プラス感情の方が多い状態が望ましいことも事実である。

 全体の中で、その子どもの中で、プラス感情(自己への認識として)が半分以上になっていれば、それなりに、本人なりに前向きに動くことができるようになると考えられる。


 集団生活の中で存在感を感じることができて、動けるように、実行できるように、何とか支援・指導すること。
 うまくいった、うまくできた、(仮に失敗しても)自分なりにやって満足した、等の成功体験が、自己肯定感や自信を育てる。成功できるようにそれとなく陰で支援することもよいことである。
成功したら、うまくいったら、本人なりに満足できたら、その気持ちを受け止め、共感的に理解し、それを本人に伝える。(フィードバックすする)

 以上のような考え方と実践で、少しずつかもしれないが、状態の改善につながるのではないかと考えられる。

 最後に、上記のことは、考え方と実践のため、実際に行った際に、どのくらいの時間や手間がかかるかは明らかなことではありません。

 子どもの状態が著しい場合、事例の「根が深い」場合は、長期の期間がかかることも、当然、意識の中において、着実に実践していくことが肝要であると考えられる。

 子どもが情緒的に落ち着いていれば、多くの問題行動は発生しにくくなるので、情緒の安定を促すことがとても大切なことであると考えられる。
 情緒の安定も、支援者・指導者の動き方によって変わってくると思われる。

 今回は、本人への対応を中心にした。保護者等への対応は別の機会にしたい。
 校内教職員の連携についても別の機会にしたい。


(保護者様には、子どもを自分の思い通りに動かそうとしないこと、子どもの言い分に率直に耳を傾けることが必ず必要と思われます。
 また、逆に言いなりにならないことも大切なことと思われます。けっこうバランスが大切と思います。
 どの子どもも、その子なりに良さを持っていると思いますので、その良さを発揮できるような環境を整えてやることも必要なことと思われます。
 整えるといっても、子どもの要求通りにすることとは違うと思います。
 粘り強い対話で、ある意味では、親子がともにある程度満足できる一致点を見つける活動をしながら進むということでしょうか。)
 (文中の意図を参照していただければ幸いです。) では今回はこれで・・・

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関係の方へ 2

2017-06-25 21:08:10 | 教育相談
今日は以下のものをアップします。

前回と同様に別のブログに、過去にアップしたものです。
今回の内容は、先生方が学校の中で、あるいは校外の関係者とどのように協力するか、連携するか等について触れています。

今日では、教育は、チームで行うような状態になっていると思います。
チームでの教育ということですね。そんな視点を見てみてください。



概要について触れてみたいと思います。

 学校の先生やこれから先生になる予定の人、等にはもしかしたら参考になるかもしれません。よろしくお願いします。

 今回は、教育活動における、学校内における協力や連携を進めることの大切さや、校外との協力連携、教育相談の進め方等について考えます。


 学校における教育の意義や目標は、文化の伝達や、その営みを通じて、児童生徒、以下は子どもとしますが、それぞれの人間性を開発し育てることにあると考えられます。

 以上のことを実現するため、各学校は、地域の特性や子どもの実態に合わせて、それぞれの学校の教育目標を設定します。

 教育目標が設定されても、それが、どのような人の活動やどのような過程を通じて実現されるかは明らかになりません。

 そこで、具体的に 何をどのように学習させるか、どのような経験を持たせるかを検討して具体化し、子どもの発達状況に合わせて各年次に並べ編制します。これが教育課程です。
 入学に関する準備から入学、そして卒業まで、合理的に合目的的に並べられたものが教育課程です。
 この活動への関係者は、教育課程の実現のために組織化されて学校の運営組織となります。

 こうして考えてみると、教育の活動は、本質的に、はじめから協力や連携が必要であると考えられます。むしろ、役割分担に基づく協力体制が不十分であると、教育の活動はうまくいかない可能性が高いといえるでしょう。

 さて、視点を転換しますが、今日の学校は、社会の変化や高度化の影響を受けて、まったく多くの課題や問題を内包しています。
 不登校やいじめの問題、子どもの情緒の不安定、意欲の低下傾向、社会生活能力の低下傾向等、多くの問題が存在しているのが現実と思われます。

 学校生活の中で多くの時間を使っている教科学習に加えて、子どもの心の状態の安定を図り、各種の問題・課題の軽減や解決を目指す教育相談の活動も一層の充実が求められています。
 
 課題や問題への対応を図る教育相談の活動こそ、校内外の連携や協力が必要な活動であると思われます。

 教育相談でも、あるいは教科の活動でもそうだと思いますが、課題の解決や軽減のためには、子どもの特性、問題の背景の理解がとても大切なことになると思います。
 子どもに対して、一方的に𠮟責やお説教をしても、それはなかなか思うような結果を得ることができないかと思われます。そのような支援や指導で行動変容が起こる場合は、もともとそれほど根深くない問題であるか、子どもの心の状態がそれほど悪くない場合かと思われます。

 今日、教育現場の関係の皆さんが困っておられることは、従来的な指導の方法で効果が出にくい事例が増えていることであると思われます。

 学校の現状は、関係者が、ますますチーム的につながり、各子どもの理解に基づきながら導き出された、一定の方針や具体化された手立てを、連携・協力的に実施していかないと成果を得られないような状態にまでなっていると思われます。

 連携や協力をどのように進めていくか、それはそれぞれの学校や組織の実態によって異なっていると思われますが、それを発見する活動こそ、最初の協力になるのではないかと思われます。

 担任、学年職員との連携、必要によって、教育相談係、特別支援コーディネーター、スクール・カウンセラー、各主任や主事との連携、養護教諭、校内の先生、管理職への報告・連絡・相談等の連携、その他、協力できる多くの人々との連携、等々を考えることができます。

 校外も同様ということであると思います。

 それぞれの教職員が、個として取り組み課題の解決や軽減を図る、そのような状況ではなくなっているのが現実の学校かと思われます。

 以下はまた別に・・・        (2017/6/9)
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関係の方へ 1

2017-06-24 14:51:37 | 教育相談
教育の活動について触れてみます。

以下は、別のブログにアップしているものですが、より多くの方に見ていただき、参考になればと考えて・・・ こちらにもアップすることにしました。

 今回は教育の活動全般についてのものです。
 少し読んでいただけると、教育の全体像を知ることができて参考になるのではないかと思っています。
 但し、概略としましたので、厳密な定義的な内容ではないと思います。あまり厳格には見ないでください。
 学者の方が、論理を構築するようなものだはありません。ご了解のほどをお願いいたします。

 
 教育の意義・目標等、及び具体的な活動

1 教育の意義・目標
 はじめに、教育の意義や目標について考えてみることにする。教育の意味についても多様な考えがあり、端的に述べることは難しいので、ここでは簡潔に「文化の継承と発展を目指した活動」、それから「個の人間性を高めるための活動」と考えておきたい。
 人間の場合は、教育という活動によって、学問や芸術、知識や技能、風俗や習慣等の多くのものを先に生きた人から受け継いで、それを活用して生活し、さらに工夫等を加えてより高め、豊かな生活を築いていくという生活を連綿と続けて来た存在である。「人は唯一、教育という活動によって人になることができる」という言葉は、人間にとっての教育の大切さを述べていると考えられる。
 また、教育によって、豊かな人間性を育てることも大きな意義があると考えられる。教育のさまざまな活動の中で、それぞれの個の持っている可能性や人間性が開発されて、さらによりよい社会を築いていくことも大きな目標であると考えられる。 

2 教育の具体的な活動
 教育には、いろいろな場所や機会で行われる活動があるが、ここでは学校を中心に行われる学校教育について考えていきたい。
 それぞれの学校では、それぞれの状態に応じて学校の活動目標を設定する。次代の人たちにどのような学習内容を伝えていくか、またどのような特性を持った個人を育てていくか、それらをはっきりとわかりやすく表現して明確にすることは、それぞれの学校における教育の内容や質を規定するために必要なことである。
 次に、教育の活動を具体的に考えてみる。あまり厳格に考えると記述できなくなってしまうので、一応次のように考えてみたいと思っている。
 少し便宜的になるが、教育の活動を、教育という語の「教」と「育」について考えてみることにしたい。
 教育の「教」の部分は、教える活動、あるいは学習者から見れば学ぶ活動であり、「育」の部分は育てる活動と考えることができる。育てる対象となるのは、人の人間性の部分であり、本来、人が可能性として持っている要素をよりよく発現させ、優れた人間性を持つ個人を育てることが目標であると考えることができる。「育」は教える活動の中でも当然に育まれることである。

3 教育課程について
 学校の教育目標を実現するために、それぞれの学校で教育課程が作られる。この教育課程は、個が入学してから卒業するまでの学校生活の中での身に付ける学習内容や、生活体験等を学年の進行に合わせて体系的に並べたものと考えられる。
 学校の中で行われるすべての活動は、教育課程の中に位置づけられ、その意義や活動目標がはっきりと示されている。
 わかりやすく言えば、ある学年のある活動内容は、その意義や目標があらかじめ決められているということであり、それぞれの活動を可能な限り、目標追及的に行い、それを教育課程に沿って着実に行っていくことで、学校の教育目標を最終的に実現しようということである。よりよい、より適切な教育課程を継続的・意識的に開発していくことも教育活動の大きな課題である。


4 組織化と職員の配置
 各学校で示される教育目標の実現のためには、その実現を可能にする組織が形成される必要がある。学校における組織とは、職員を一定の役割や権限、責任を持つ職位に基づいて、一定の形に編成したものである。一般的には、管理職から、主任・主事、一般教職員という形に、ピラミッド型に配置されるのが普通の形態であろう。但し、学校はその特性から、一般の企業や官庁に比較すれば、必ずしも完全なピラミッド型というわけでもないのが特徴であろう。
 それぞれの役割と権限等については省略するが、また、学校内には分掌という形で、いろいろな部等がおかれている。
 今日の教育活動の変化によって、分掌組織も変化してきているが、基本的には以下に示すような形態が多くみられるであろう。
 管理職の存在のもとに、①教務部 ②生徒指導部 ③進路指導部 ④保健部 ⑤渉外部 ⑥事務部 等がおかれる。その他の分掌がおかれることもあるだろうが、基本的な形態は上記のような形であると思われる。各部には主任または主事がおかれていることが多いが、その名称は学校により多少の違いもある。
 この他にも、学校内の各まとまりとしては、教科、学年があり、それぞれに人員が配置されている。
 但し、各職員は一つの分掌のみを担当するということではなく、現在の学校の人員の数的な面から、複数の分掌を担当して忙しく活動しているというのが現実であろう。
 ここでは分掌の配置について記したいわけではなく、各部等の意義や役割について確認するのが目標である。
 教育目標の実現のためには、各部の果たすべき役割や活動が大切になる。何を目的にしてどのように活動することが必要か、明確に意識して活動することが極めて大切なことであろう。
 
①教務部
 学校における教務部の意義・役割は極めて大きなものがある。教務部の活動は学校の活動全般にかかわっていると考えられるからである。
 特に、教育課程を編成しそれを計画的に着実に実行すること。出欠席の管理、教科の活動の管理、成績評価と管理、特活、LHR、教科内クラブ活動の運営管理、教科外の活動の企画と運営・管理、入学式・卒業式をはじめとする各種の行事の企画と運営等々、学校で行われるすべての活動が教務の活動と言っても過言ではない。
 加えて、教育課程を常に見直し、より適切で効率的なものにすることも教務部の活動目標である。この部をまとめる主任の役割は極めて大きいと考えられる。
 学校の教育活動を意義あるものとするには、教務部が所管する内容について、明確に意識して活動を行うことが大切と考えられる。
②生徒指導部
 生徒指導は学習指導と異なる特性を持っている。学習指導は領域の概念に基づいて形成されているのに対して、生徒指導は機能の概念に基づいて意義づけられている。生徒指導部は、学校生活のいかなる分野でも、いかなる時でも、すべての構成員によって行われる活動である。しかし、何をどのように行うかについては必ずしも明確ではないので、行う目標や行う内容が曖昧なものになりやすい特性を持っている。
 生徒指導の活動を明確化し、学校の各種の活動の中に明確に位置づけ、役割分担等も図りながら、組織的に実践していくことは今後の大きな課題であると考えられる。
 生徒指導が、教育相談の活動も含みながら日常的にきちんと実践されるかによって、学校の教育目標の実現に大きな影響を与えると考えられる。
 とは言え、生徒指導の活動は、ともすると力による活動になりがちな特性も持っている。本来的な生徒指導は、力によって行われるものではなく、科学的な知見や理論、技術に基づいて行われるものであることは言うまでもないことである。
 生徒指導の目標は、一言で言えば自己指導能力の育成である。学校や社会の中で、規則や規範、正邪善悪、よい風俗や習慣を守りながら、自分らしく生活し、自己の目標の実現等、将来に向かって一歩ずつ着実に歩もうとする力、生きる力を育てることである。
 また、他者の感情に共感し尊重することのできる心を育て、他者との協力関係の中で社会を担うことができる力を育てることである。
 生徒指導の方法としては、従来からの生活指導、交通安全指導、中・高の部活指導等、全体に対しての講話や訓話、規則や規範の指導を適切に行うとともに、今日の高度で複雑な社会の状況の中では個々の児童生徒に対する個別指導を十分に行うことも大切である。 成長の年代にある子どもたちは、ともすると、独りよがりの自己中心的な行動を行うこともあり、特に自己中心的な風潮の見られる今日的な時代の中では、全体指導に加えて個別指導を十分に行うことが大切であると考えられる。
 また、最近では、インターネットの発達等により新たな問題も生じてきている。ネットいじめ、トラブル、薬物・飲酒、喫煙の問題等について、自ら自分の身を守る力を育てること。不登校、意欲の欠如、情緒の不安定、その他心の問題の増大の傾向にある。これらに対しては、学年・学級集団での生徒指導の一環として、グループ・エンカウンターやソーシャルスキル、アサーションのトレーニング等を行うこと、個別の生徒への対応としては、カウンセリングや教育相談の適切な実施等、予防的、治療的、開発的な活動を着実に行うことも大切と考えられる。
 教育課題の解決に当たっては、保護者や地域との連携により活動することも大切であり、問題発生の予防や解決のための協力関係の構築、これらのことも生徒指導の目標である。
学習指導と生徒指導は教育活動の車の両輪であり、これらの活動を子どもの実態に即して適切に行うことで、生きる力の育成や社会の中で自己実現を目指し、幸福と社会の発展を可能にする人材が育つもの考えることができる。
③進路指導部
 進路指導は、学習指導に代表される領域概念と、生徒指導に示される機能の概念と、両方の概念を併せ持つ活動である。
 進路指導を端的に表現すれば、学習者に、自らの将来の姿や生活の仕方、人間としての在り方を考えさせ、明確に意識できるようにすることである。
 職業の意義や社会状況を学ぶという観点では領域であり、自ら考え歩むという観点では機能の活動である。
 進路指導を具体的に実践する場合には、以下に示す6つの領域・機能を実践することが必要である。
 学習者に、○進路に関する情報を与える、あるいは得る機会を与えること。 ○職業・働く機会等を実際に経験させてみる、いわゆる啓発的な経験を与えること。○進路に関する相談を行うこと。○学習者が自ら進路を決定する機会を与えること。進路の実現に向けての具体的な行動を促すこと。○進路決定後の追指導を行うこと。
 以上の活動を教育課程の中、及び日常の活動の中で具体的に行うことが進路指導である。
 進路指導部は、6つの活動の中心的な主体として、学校の教育活動を担う役割を持っている。
 その他の部・分掌については、ここでは触れないこととする。




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快適 混乱 恐怖

2017-06-13 09:22:09 | 教育相談
快適 混乱 恐怖 

今日はこんな題にしてみました。

 何のことかと思われると思いますが、少し前に見た資料に載っていた言葉です。
どんな意味かですが、いろいろな意味があるのでしょうけれど、教育的なというか、子育ての領域では、あるいは不登校等への対応の領域では、いろいろな意味にとれる言葉かもしれません。

 資料に載っていた本来的な意味では、快適な心地良い状態なのですから基本的にとても良い状態のことでしょうか。

 混乱は、気持ちが安定せずに混乱している状態でしょうから、とても快適とは言えないと思います。

 また、恐怖は、自分の存在に対して、怖いことが起こったり、怖いことをされたりしていることでしょうから、やはり快適とは言えないでしょう。

 家庭のことや子どもを育てる状況の時では、やはり子どもにとっての快適な状態が基本的に必要と思われます。
 快適は気持ちの安定をもたらしますので、落ち着いて考えたり、行動したりすることができるかと思います。

 成長は、子どもの生まれながらの特性と、育っていく環境との相互の影響で進みますので、家庭の雰囲気や保護者の方々の子どもに対する養育の仕方等が複雑に絡み合って進んでいくと思います。

 成長は複雑と言ってしまいましたが、本当のところはそんなに複雑ではないと思っています。
 「子どもは育てられたように育つ」ということが当然のことのように思われます。過保護とか言いますが、面倒を見すぎて、世話を焼きすぎて育てれば、大きくなっても自立心が成長せず、依存的な特性が強く、まわりに頼ってばかりになるでしょうし、まわりが自分のために動いてくれるのが当然、自分の考えや要求はいつも通る、と思い込んで自己中心性が強くなることでしょう。

 こんな状態で育っていった場合には、何か自分にとって都合の悪状態になった場合には、乗り越えられずに、停滞、または後退してしまうようになるかと思われます。

 上記のようになると、本人の快適のために周りが必要以上に気を遣うことも、本人にとっては必ずしも良いことではないと思います。

 かと言って、混乱ばかりをもたらす親子の関係打破、子どもは何が何だか分からなくなってしまうでしょう。

 恐怖では、そもそも動けなくなってしまって、どうのもならない状態になるかと思われます。

 不登校等は、そんな状態の中で成長してきた子どもの示す結果といってもよいかと思われます。

 現実に不登校状態になっている子どもに、混乱や恐怖になる刺激を与えても、何も良い方向への変化は起こらないと思われます。

 むしろ、一歩下がって、まずは快適を与えて、それで安定を図り、そこから前向きの姿勢が出るような対応が必要かと思われます。

 長い、我慢しながらの、一歩ずつの着実な対応が必要ですね。

 学校の先生方には、例えば不登校でも、気持ちの不安定でも、意欲が下がってしまっているでも、背景が見えるようになっていただくのがいいかなと、勝手に思っています。
 現象の意味が分かると、手が打てるかなと思われます。
 
 人を育てる人間関係の在り方、作り方、深化の仕方等について、まずは理論を身に着けていただければ、子どもも救われるかなと思います。

 また、先生から保護者の方々に、家庭におけるどのような人間関係が、どのような結末をもたらす危険性や可能性があるか、あるいは逆に効果があるか、わかりやすく伝えることができるよよいかと思っています。
 また、伝えることが先生からの一方的な伝達では、保護者の方はなかなか受けれることがないと思います。
 
 先生と保護者の方の関係性も、また、人間関係ですから、すごく影響があります。保護者の方が、万一、子どもさんへのかかわりがあまり適切でないと感じた時、それをどのように伝えて修正してもらうか、それも大きな課題ですね。
 学習を教えるだけでは先生の仕事が終わらないような複雑な社会になりました。
 先生方のご苦労も理解できるような気がします。親子関係の理論等、関連の理論等を手に入れて対応していくことが必要かもしれません。
 
 今回はこれで、・・・・・
 
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先生方に参考になれば・・・

2017-06-02 10:38:36 | 教育相談
 以下のものは、5月30日にもう一つのブログに投稿したものです。学校の方に参考になれば、あるいは読んでいただいて、何か生かせる部分があればと思い、投稿したものです。

 こちらのブログは、保護者の皆さん等が多いかもしれませんが、学校でのことも知ることもいいことかと思いまして、アップすることにしました。

 家庭とか、あるいは子どもにかかわる部分でとか、多面的に参照できるかとも思っています。
 文は高を中心に記述していますが、中も同様かと思いますし、小も同様な面が多いと思います。


170530  不登校ブログにアップしたものです。

今回は表題のような題にしてみました。
 学校の先生に読んでいただけるといいかなと思っています。
 少し言い過ぎの部分もあるのですが、その点了承の上、良かったら読んでください。
 今まではアップしなかったようなことなのですが、子どもたちにとっては、6月は微妙な月なので、結構大切にすべき月だと思っています。
 文は中・高中心にしていますが、子どもの心持は小学校でも同様かと思われます。
 何はともあれ、今回は試みにアップしてみます。


6月の活動
 
 6月は新年度初めからの行事等も一段落して、日常的な生活が営まれる月である。毎日の授業をはじめとして、学校生活に着実に取り組む必要のある時期である。生徒にとっては変化は少ないけれども、それだけ安定して取り組める月なので大切にしたい時間である。
 以下の各点等もこの月のポイントとも考えられる。

1 先月に引き続いて、生徒の適応状態の確認を行う。
 6月には、適応状態の差が大きくなりやすいので、生徒の行動等をよく観察して判断をする必要があると思われる。
 しかしその前に、4月からこれまでで、先生と生徒の信頼関係づくりがうまくいったかどうか確認する必要がある。生徒の先生に対する態度等をよく観察すると関係がすぐにわかる。先生が何か言った後等に生徒がどう反応するか、よく観察するとその生徒の内面的な世界が見えてくることが多い。生徒の先生への親近感がある程度つくられていればよいと思う。但し、甘え甘やかしのなれ合いにならないことは大切である。やはり受け入れることを基盤にしながらも、鍛える部分を相手に応じて出すことが大切だと思われる。
関係づくりがまだ不十分と感じられる生徒に対しては、話が通じる関係をつくるように継続的に努めていきたい。どうしたらそのような関係になれるか考えてみると、「先生は自分を生かそう、伸ばそうとしてくれている」と生徒が感じるような働きかけ、「肯定的にかかわってくれる」の実感がもてるような働きかけを考えてしていくのがよいと思われる。 
 上記のような働きかけをしながら、あるいはできた状態で、生徒の先の見通しや課題を提示してやると浸透しやすいのではないかと考えられる。人間関係がつくりにくい生徒もいると思われるが、それは誰にとっても扱いの難しい生徒である。当面必要なことを行いながら、認める機会等を少しずつ与えることで変化を促すことでよいと思われる。

2 各学年の対応
 1年生は、そろそろ各生徒の差が大きくなり始める時期である。高校生活にうまく適応できたか、生徒の心的内面状況を確認していく必要がある。不適応感を感じている生徒は、「高校の生活に違和感がある、考えていた高校生活と違う、充実感が感じられない」、「学習が難しい、勉強がいやだ、勉強のしかたがわからない、しているつもりだが頭に入らない、能率が上がらない、成績が悪い」、「友達ができない、話せない、相手に合わせてしまう」、「不安や劣等感が強い」等の感情的世界を持っていると思われる。
 また、5月には、高校に入学してはじめてのテストを経験した。その結果も、各生徒に大きな影響を与えると思われる。高校の勉強に何とかついて行けそうだ、けっこうできた、自分としては精一杯頑張ることができた等の肯定的な感想を持った生徒には、その肯定的な気持ちを理解するとともに、今後の目標等について少しだけ話すとよいと思われる。できなかった、点が取れない、勉強の仕方がわからない、等の否定的な感想を持った生徒に対しては、その気持ちを受け入れながら(これがいちばん大切かも)、再チャレンジしてみる気持ちを育てるようにしたい。本人ができそうな具体的な行動についても、少しアドバイスしたり指導しておく必要があると思われる。まだ1回目のテストだから十分取り戻すことができることを話し、何はともあれやってみるという気持ちを育てることが必要であると思われる。
 青年は、発達課題を多く持っているが、勉強もその課題の一つである。やらなければならないことにどのように取り組ませるか、このことは教師としての継続的な大きな課題である。
 2年生は、本当の意味で、高校生活の本番になる。高校生としての充実した、具体的な行動ができるか、また、学級でも学年でも、部活動等でも集団の一員としての意識が持てるか、行動ができるかが問われることになる。3年生の今頃までに、一方で学習にきちんと取り組み、基本的な事項は確実に身につけながら、一方で、学校という集団の中で、その中核となりながら部活動や学校行事に真剣に取り組み、集団の維持・発展に貢献して、自己に対する自信・信頼と、自己の能力や適性について理解を進め、進路意識を着実に育てる大切な時期である。自信と集団での行動ができないと、本人が自分に自信が持てなかったり、進路選択や決定で思うようにいかずに悩んだりすることになりかねないことである。従って、集団意識を持たせること、自分の気持ちや考えと他者の気持ちや考えとの違いの理解やすり合わせ・調整の仕方を指導する必要があると考えられる。
 上記の点に関する指導としては、教師と生徒の対話の機会を増やすようにすること。生徒間の交流を多くしたり、簡単なディベートをさせてみたり、このような場面ではどのように行動するとよいか、具体的な場面を与えて討論させる、人の意見の傾聴訓練をする、発表練習をさせる、授業内で発言の機会を多くする等の手だても考えて実践することが必要であろう。
 3年生は、それぞれの生徒が本格的な受験体制に入れたか、生活リズムが作れたか、進路で迷っていないか、学習法は身に付いたか、一人一人について確認する必要があると思われる。特に入試が難しい上級学校の受験を希望している生徒に対しては、担任、教科担当、学年、進路部等、全体で詳細に情報交換と検討を行い、今後の具体的な指導や支援の方針を明らかにする必要があると思われる。
 生活リズムの整っていない生徒、学習法の確立していない生徒、自己理解の進んでいない生徒、学習の意義が自覚できない生徒、成績の伸びていない等、各種の課題を抱えている生徒にもなにがしかの具体的な対応を行いたい。
 多くの生徒は、学習が自分の思うように行っていないことが多いので、悪い点ばかりを指摘すると、益々自信を失う可能性があるので、冷静に対話をする必要があるし、また、まだ時間が十分にあるので、焦らずに着実に進んで行けば間に合うし、準備ができることを話して情緒の安定を図ることも絶対に必要なことと思われる。

3 夢や目標を忘れない。
 多くの先生は、4月に、生徒に対して夢を持ちなさい、目標を設定しなさいと話していると思う。それがその後どうなっているか確認する機会はあまり多くないかもしれない。それを確認する必要があると思われる。目標の具体化が進んでいない場合には、目標の再確認と実行に向けての援助・指導を行う必要がある。目標の実現に向かっていけない生徒の多くは、高校生活に何がしかのマイナス感情を持っている生徒と思われるので、それが何か少し対話をしてみる必要があると思われる。場合によっては目標の変更も考えられる。いずれにしても、それらの点について考えてみる機会を持てることが極めて大切なことである。
 7月から夏休みにかけて充実した生活を送らせ、そして9月の初めからよい再スタートが切れるようにしてやるためには、6月には精一杯取り組ませ、7月の期末試験後には、学期の振り返りを行うように指導し、ある程度の気持ちの落ち着きと具体的な目標を明確にできるように指導することが必要と思われる。




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家庭訪問の後で

2016-02-09 08:40:44 | 教育相談
今日は上の題にしました。先生方に向けています。

ある先生が不登校生徒の家庭訪問をしました。会えて、生徒は後で行くと言いました。
先生は、生徒が登校してもいいようにいろいろと準備をしておきました。結構ていねいに対応していました。
しかし、時間が経っても生徒は登校しませんでした。先生は悔しいやら情けないやらで複雑な気持ちになりました。このようなこと続くと心が折れそうです。

これは残念で結構つらい気持ちですね。こんな思いをすると、自分のやっていることが徒労のように思えて、とても複雑な気持ちになると思います。

どんなふうに考えましょうか。
家庭訪問とかに行って、反応がよかったり、先生の提案に生徒が乗ってくるように思われると、うれしくなって、訪問してよかったとか思ってしまうのですが、生徒の気持ちは先生の思いとは別に、別の人間の気持ちです。
先生の思惑で勝手に判断すると、しっぺ返しのようになることもあるので、そのような思いは捨ててしまうほうが楽です。

家庭訪問は、家庭訪問をすることに意義があるのであって、結果がどうなるかに意義があるのではありません。少し変な表現で納得できないかもしれませんが、そんな感じです。

子どもは先生の心を見ているわけです。先生の勝手な思い・思惑を見ているわけではありません。抽象的で申し訳ありませんが、そんなことです。
先生が連れだそうとすれば、それは先生の気持ちで連れ出そうとすることですから、それは、それらの子どもたちが親や以前の先生にされていたことと同じなわけです。
子どもの本当の気持ちが理解されずに、本当の気持ちがないがしろにされてきたから、その結果、動くのが嫌になって、動かされるのが嫌になって不登校になっているので、その上に、さらに動かされそうになるわけですから、子どもが動かないのは当然のように思われます。

なので、訪問は動かす目的ではなく、ただ、つながりを強める、つながりを保つ、つながることで自分から動けるようにすることを目的に行うものだと思われますから、登校するように強く誘うことはやめておいたほうがよいでしょうと判断できると思います。なので、登校しますといったからといって登校するとは限りませんし、気が動いて登校することもありますし、その子どもの心の状態次第だと思われます。なので、心の状態を改善できるような訪問が一番いいということになります。
そのためには、思惑なしに、まず訪問する、可能であればそれをできるだけ継続する。
このようなことが結果的に子どもへの有効な援助になるということかと思われます。

やることには、それぞれ意味があります。その意味をきちんと自覚して行うことが、思惑ではなく、きちんとした目的・目標を設定しての不登校生徒への支援になると思われます。

今回は、そんなことを記してみました。ではまたです。いろいろと大変な思いをしながら不登校への支援を行っておられるかと思いますが、子どもは何も言いませんが先生の動きを待っています、また感謝もしていますので、できるだけ動いてみてください。変な思惑は捨てて・・・
縁は不思議なもの。但し入れ込みすぎるとそれも思惑の一つになる可能性もありますので、ご留意を































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2学期が始まります。

2015-08-30 09:01:52 | 教育相談

 今回は、以下の言葉をご紹介いたします。

子どもはそれぞれの個性を持っている。安易に他の子と比較しない。
 子どもの発達の度合いを比較することは、時には大切な場合もありますが、比較した結果にとらわれすぎてしまうと、子どもを生かし伸ばすことができなくなることもあります。
 子どもは、親が育った時代とは別の時代に育っていますし、親とは別の特性や個性を持っていますから、子どもを兄弟や他の子と比較して良い悪いの判断をしてしまうと、せっかく持って生まれてきたよい特性に気づかず、その子ども自身のよさを生かすことが難しくなってしまうこともあると思います。比較ではなく、それぞれの子どものよい点を発見し伸ばすように心掛けたいところです。

自分ができないことを子どもに要求しない。
 親は、どうしても子どもにいろいろな要求を出すことが多くなってしまいます。忙しい現在の生活の中ではやむを得ない部分もあるのですが、要求が一方的で、激しすぎると、子どもにとっては、いわゆる「うざい」状態になって、意欲などが損なわれることが多くなってしまうことが多くなります。すると、親の望むことがかえって実現されにくくなることもあります。
 また、親は子どもにこうなってほしいという「期待」をすることが多くあります。期待が強すぎると、子どもにとっては、親の思いを押しつけられているようで、上に記したことと同様のことが起こる可能性があります。
 親は、自分のことを振り返りながら、過度の要求や期待をしていないかどうか、確認しながら子どもと接する必要があるようです。

「教育情報」に惑わされすぎない。
 マスメディアやネットの発達によって、好むと好まざるにかかわらず、さまざまな教育情報が入ってきます。
 ともすると、それらの教育情報に惑わされて、親の考えや気持ちが混乱してしまうことも多くなりがちです。
 教育情報の中には、大切で必要なものと、今はそうでもないもの、誤っているかも知れない情報と、混然としているのが現実だと思います。
 情報を上手に取捨選択しながら、親の気持ちを不安定にさせないで、情緒を安定させて子どもに接することが大切と思われます。
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