久しぶりに庵野監督のお姿を拝見いたしました。
庵野秀明 監督、毎回色々言われるのは「正直辛い」ファンへ感謝の気持ち、去り際深く長く頭を下げる 映画『シン・仮面ライダー』大ヒット御礼舞台挨拶
「シン・仮面ライダー」庵野秀明監督、「いろいろ言われて正直、つらい」舞台あいさつで心境語り頭下げる
最近、庵野氏に関しては映画監督としての姿勢を問うような厳しい報道もあり、波紋が広がっていた。
この日、進行の司会も兼ねた監督は、一番最後に「(撮影)現場は本当に大変だったので。僕の場合、毎回ですが、いろいろ言われる。正直つらい」と精神的ダメージを感じていることを明かした。
そして「こうして直接、皆さまにお会いしてお礼できる場をいただき良かった。個人として心救われました」などと話し、10秒ほど深々と頭を下げて退場した。
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映画「シン・仮面ライダー」はとても面白かったのですが、一部の心ないファンがアンチとなって騒ぎ立てたために心労が重なったのでしょう。
しばらくお休みされるとのことでした。
私としては4/15(土)19:30~20:48にドキュメント「シン・仮面ライダー」がNHK総合で放送されたときに、庵野監督をパワハラだとか批判する声がまた出てくるのではないかと心配しています。
映画「蒲田行進曲」のような、活気ある撮影現場のドラマ性が好きな私にとって、NHKで放送される予定のドキュメント「シン・仮面ライダー」は、スタッフの個性がぶつかり合って、最後にひとつにまとまっていくプロセスを観ているようなものなので、とても批判の対象ではないのです。
最終的に「人間がお互いの個性を認め合って、尊重していく過程」のように見えるのです。
視聴者の中には、そう受け取って下さる方が増える事を願うばかりです。
もちろん撮影前の準備をもっと万全にしていれば、あんな衝突はなかったとか、やり方の改善を求めるための建設的な批判はあっていいと思います。
しかし、全否定とかはないと思いますよ。
ここで具体的には書きませんが、あんな言い方をされたら、庵野監督もやり切れないです。
人としての温情や理解ってものは、無くしてはいけないと思います。
最近の他人を叩く傾向、まるで社会の敵のように扱ってネットでリンチする行為に、私個人は疑問を感じています。
世の中を良くするのは、私も賛成ですが、そのためにヒステリックになって攻撃し続けるのは本末転倒のような気がします。
それは映画内で使われる台詞の「言葉」だとか「表現」についても一緒ですね。
映画の自由度を奪う結果になったり、アンチテーゼすら許さない世の中というのは潔癖症すぎて、あらゆる芸術をつまらなくさせていくと考えます。
これがコンプライアンス(社会的規範や倫理)の結果だとするならば、むしろ世の中をルールで縛りすぎるのも考えものだと思いました。
何事もホドホドが一番ですよ。
というわけで、話を元に戻して……。
今度は「シン・仮面ライダー」の私の感想をここで書きたいと思います。
かなりの長文になるでしょう。
庵野監督が舞台挨拶の中で仰っていたとおり、「なぜか友人が長文の感想メールをくれる」「熱量がハンパない」のは、私も一緒ですから(笑)
私も、長文を書いてしまうほど、この映画に対する熱量はハンパないです!
では始めましょう――。
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【ネタバレ】映画「シン・仮面ライダー」の感想です。
――私個人は、とても面白かったです。
何と言っても、映画全体がテンポ良くて飽きさせない。
これは編集の良さなんですが、モンタージュの気持ち良さがあります。カットとカットの繋がりの気持ちよさ。それを煽るかのようにBGMの選択の良さ、効果音の絶妙のタイミング。音と映像の織りなす「気持ち良さ」が全編にあふれているのです。
それだけでも、この映画は素晴らしいです。
他の人たちの感想の中にはアクションがアップばかりで何をやっているのかわからないという声もありましたが、そんな事はありません。
わかっている人たちも多かったです。とくに女性客です。仮面ライダーを一度も観たことないという女性が、彼氏や夫の付き添いで観たらハマってしまったとツイッターで多く見かけました。もちろん男性客でもアクションに乗れたという方がいましたね。中には6歳の男の子が予告編だけでハマってしまい、親に映画館へ連れて行けとうるさいので、とうとう根負けして見せたら大満足だったという親御さんのツイートもありました。
そのことから、私はツイッターで「右脳派の人たちに、シン仮面ライダーはウケるのでは?」なんて事を書きました。
右脳派の感性で、アクションシーンがアップばかりだったとしても脳内で「何をしているか?」が組み立て直せるから、何の問題もないのですね。
逆に左脳派の人は、映像の情報を整理して納得してからでないと先に進めないから、脳内でのアクションの組み立てに一度でも失敗すると、もうそこから先には進めずに足踏みしちゃうんじゃないかと考えました。足踏みしちゃったら苛つきますもんね。その不満の感情そのままが鑑賞後の感想に出てしまったんじゃないかと推理します。
そんなわけで、一部の方には不評だった編集(モンタージュ)が、私のような人間には大好評でした。
次に良かったのは、仮面ライダーが素直にカッコイイ事です。
実にシンプルでカッコイイのです。
光線技を使わず、打撃とキックのみ――それなのにカッコよく描かれていました!
これは俳優の格闘動作の良さに加え、効果音の成果でしょう。
もちろんBGMの盛り上げ効果も言うことなしです。
シン仮面ライダーを演じた池松さんのスタイルも良いです。NHKドキュメントでの衣裳合せでは「足が長い~!」と思いましたもん!
もちろん2号ライダーの柄本さんは、手も足も長いです。どちらかというと、エヴァに似たプロポーションでしたね(笑)
さて、次にストーリーについてです。
ここは意見が分かれるところでしょう。
世界征服を企てる謎の組織ショッカーを現代に甦らせるのは大変だったと思います。
なんせ、最近までコントに使われたりしていましたから、ショッカーという組織名も戦闘員たちもお笑いの対象になっていたとしても過言ではありませんでした。
私はそれをどうするんだろうと公開前から関心を持っていました。
例えば予想として「ナチスの残党が、同盟国である日本に財宝やら開発途中の兵器の設計図などを密かに持ち込んで隠し、表向きは新興宗教として現代まで生き長らえてきた」という漫画版に似たような構想をリアルな感じでやるのかなぁと思っていました……いや、そうだったのかもしれませんね。映画では深く説明しなかっただけで、実態はそれに近かったのかもしれません。
……と、すればショッカーも「説明しすぎないほうが不気味になって良いんだ」と、肯定的に受け入れられました。
設定好きの方には、その辺の説明の少なさが不満だったようですが、隙間は自分の空想力で埋めるのも楽しみ方のひとつだと思えました。
私は、この作品全体に漂う「謎めいたムード」がとても好きになりました。
リアルに考えたら、危険な犯罪組織というのは全容がなかなか見えないものですし、説明なんてなかなかしてくれないものです。
例えば宗教団体が霊感商法をやっていたとしたら、その手の内をわざわざ明かすわけがありませんからね。
そんなわけでショッカーの説明が少ないほど「謎」は深まり、それが不気味さを自然と強調させて、怖さへの演出に繋がったのではないかと肯定的に捉えました。
あと、私が気に入った点に――市井の人々をなるべく写さなかった点があります。
私は仮面ライダーシリーズの戦闘シーンで不満だったのが、ライダーと怪人が街で戦っていると後ろのほうで、自動車が呑気に走っていたりするのが興ざめでした。
もちろんライダーは人知れず戦っているので、何も知らない市井の人々が平和に暮らしている姿が映り込んでしまう事はとても自然な光景だと言えます。でも、それは下手したらギャグと背中合わせになるのではないかとも危惧するのです。
逃げ惑っている人々がチラリと映るくらいはいいのですが、遠くて車が平然と走っていたりするのは、ちょっと悪い言い方をすると――緊張感がなくなってシラけてしまうのです。
そうした点を配慮したのか、今回の「シン・仮面ライダー」では市井の人々や平和に走っている自動車などの無関係な存在を写さないようにしていました。
私は仮面ライダーの戦ってる空間がそうする事で「異空間」のように感じられて良かったのですが、他の人の感想によると逆に「市井の人々がまったく出て来ないことで、仮面ライダーが人々のために戦っているヒーロー感が出ていない」という、また別の異なる角度からの批判の声もありました。
なるほど。確かに仮面ライダーはショッカーに狙われた人々を助けていましたから、それがないとショッカーと戦う理由づけにならないというツッコミはよくわかります(実際に普通の人々は、ハチオーグ戦で洗脳された人々くらいしか出ていないように思えます)。
しかし、私は今回、それがなくても観れてしまいました。
ショッカーと戦う動機が「市井の人々を助けるシーン」「世界平和を願うシーン」がなくても、私には成立しているように見えたのです。
つまり、市井の人々を救うという大きな理想になる前の段階でも、本郷猛は戦えると思ったのです。
それは、緑川ルリ子の存在です。
本郷猛にとっての緑川ルリ子は、不憫な女性に見えたのでしょう。
父親の緑川博士に愛されたいのに、作られた人造人間ゆえに愛されていないルリ子に同情した本郷猛が、最初に戦う理由として――「ルリ子を守ること」にしたでも成立していると思えたからです。
緑川博士は、クモオーグに殺される前に本郷に「ルリ子を頼む!」と伝えています。
これで本郷の戦う動機は「ルリ子を守るため」で、半分以上は確定します。
さらにクモオーグ戦を終えて、目覚めたルリ子に緑川博士が死んだ事を伝えると――彼女は口では気にしていないような事を言いますが、その視線は動揺を隠しきれず泳ぎっぱなしです。これはアップになったところで、浜辺美波さんによる目の動き(視線が定まらないという演技)が観られますので、見逃した方は要チェックです。
ルリ子の目の動きが動揺する表情を観た本郷は、自然とルリ子に同情し、彼女を守る決意を固めます。その証拠に、本郷はそのあと緑川博士を擁護しつつ、ルリ子を愛していたんだよと伝えて慰めます。
しかしルリ子に「あの男の事をそこまで肯定できるなんて、おめでたい人ね?」と切り返され、本郷の労りは撃沈されます(本当はルリ子がまだ受け入れられないだけで、本郷の思いやりはしっかり届いていた事が、のちにわかるのですが)……それでも本郷の目的はここでキッチリと理由も含めて確実なものになっています。のちに戦う理由は、父のようになりたかったからという自分自身の理由が浮き上がってきますが、それは後半の記憶が戻ってから明確になる話なので、前半はルリ子のためを思って戦っています。
なので、私は「市井の人々を助けるシーン」が入っていなくても、本郷の戦う理由はちゃんとあった(描かれていた)と思います。
それ以外の否定的な声として「本郷に感情移入できなかった」「わからない」というものがありましたが、これについても少し触れたいと思います。
仮面ライダーのプロットは単純ながらも、本郷猛個人のストーリーは複雑で、普通の人がこんな体験をしたら人格崩壊を起こしかねないというほどに深刻な出来事が連続します。
ある日ショッカーに捕らわれ、体を勝手に改造され、そして組織の裏切り者に逃げろと言われて逃亡すると、今度はショッカーたちと戦うハメになる……正気を保っていられるほうが不思議なくらいです。確かに、その心理描写をもっと時間をかけて描かないと、感情移入しにくいのもわからなくはありません。
そうした声の方々にお勧めしたいのは「ロボコップ」です。
ロボコップも殉職した警官が勝手に改造され、ロボコップとして甦ったものの、次第に生きていた頃の記憶を取り戻し、改造された人間の哀しみを背負いながら、やがて自分は機械ではなくて個性ある人間なんだと再認識するまでを描いています。
このくらいの長さで、本郷猛の心理や感情を丁寧に描けば、感情移入できたでしょう。
映画「ロボコップ」のほうを観ても、やっぱり感情移入できないよと言われたら仕方ありませんが……(笑)
でも、ひとつの手としてですが、「シン・仮面ライダー」をロボコップのような構成で、ショッカーと戦う意志を固めるまでを映画1本の長さでじっくり描くのもアリだったような気がします。
ただ、そうなるとクモオーグを倒すまでで終わりとなり、内容的にテレビ版の第1話分しか観られないというオチになりますが……。
しかし、それによって「本郷に感情移入できない」や「ショッカーと戦う理由がわからない」と言っている方々に納得していただける映画になるのなら、それはそれでアリなのかなぁとも思います。
その方達も、きっと「ロボコップのようなドラマ重視のシン・仮面ライダーであって欲しかった」と望まれていたんでしょうから……。
……と、いささかイヤミになってきましたので、この辺でやめておきます(苦笑)
最後に、私は「シン・仮面ライダー」の世界観を勝手に妄想して楽しんでいます。
いわゆる私が考えたシン仮面ライダーの世界です。
それによると、この映画の世界はこうなっています。
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コロナのようなウィルスで人類の半数以上が滅びてしまった近未来……。
人類は強化人間を作って疫病に耐えられる社会に作り直そうとします。
しかし、強化人間たちが築く社会はどんな風に運営していけばいいのか?
その実験として無作為に選ばれた生存者たちが改造人間にされて、世に放たれた。
すると彼らはショッカーという組織を作り始め、支配を行おうとした。
その過程で、改造人間のバリエーションも生まれた。
やがて裏切り者が出てきて、その中から自由の戦士仮面ライダーを名乗るユニークな存在が出てきた。
この実験場を管理する政府の男たちは、仮面ライダーという存在に注目し、彼の行く末を見守ろうとした……というところで、この物語は終わる。
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という妄想を膨らませて楽しんでいます。
市井の人々が出て来ない事から逆に発想しました。
ハチオーグに洗脳された人々も、改造人間です。すでに洗脳されていて、いずれショッカーの下級工作員として特訓される準備中の人たちでした……。
そんな二次創作的な妄想もできる「シン・仮面ライダー」は、実に優秀な作品だと思えます。
いろいろ想像できる余白や隙間があるというのは、長く愛される証拠だとも言えるでしょう。
皆さんも、楽しんでみてはいかがでしょうか?
私も拙作「ウルティマゴッテス」のシリーズがなければ、シン仮面ライダーの二次創作にすぐさま走りたいくらいですから(笑)
ではでは、この辺で……。