荒れっ放しの 夏休みでした。
ほんとうに疲れた と じいちゃんは いいました。
僕は ボクの 存在を 何となく 自覚しはじめたのだと
思います。
皆とは違う 自分を 難聴 重複障害とゆう 不幸に
悔しさと 苛立ちを 表したのかも知れません。
荒れっ放しの 夏休みでした。
ほんとうに疲れた と じいちゃんは いいました。
僕は ボクの 存在を 何となく 自覚しはじめたのだと
思います。
皆とは違う 自分を 難聴 重複障害とゆう 不幸に
悔しさと 苛立ちを 表したのかも知れません。
日本三大楼門の一つ 阿蘇神社に いきました。
日本全国に 約450社ある 阿蘇神社の 総本社です。
謡曲で有名な 高砂の松 です。
耳の不自由なボクは 過敏に 雰囲気を 感じます。
言葉で言われなくとも 顔の表情や 何気ない態度から
相手の 心を 察します。
その一つに あんなに楽しみで 好きであった スイミングクラブに
行こうとしなくなりました。
出発の時間になっても 過ぎても ぐずぐずしているのです。
結局 行きません。
七年も通い続け いっこうに 上達しない ボク 行動が鈍いボク
何となく 周りが ボクを 歓迎していないことが 雰囲気で わかる
様になったのです。
なんとか 落ち着きをみせたかに思えた様子が 一変
再び パニックを 起こします。
事情が 分かれば けして 叱らない じいちゃんですが
もう許さんとばかり はげしく 叱責します。
いっこうに ひかりが みえない ボクと 思うように
行動が取れない じいちゃんの ストレスは 溜るばかりです。
専門医の 門は叩けても 手話を 熟達した ドクターの
めぐり会いは むずかしいものです。
昭和17年生まれの じいちゃんは 敵の空襲が はじまると
一日中 お母さんの 背中に 負ぶさっていたそうです。
真っ赤に空を焦がし 爆音と 火柱の 光景を 防空頭巾を
スッポリかぶった じいちゃんは 大勢の避難者達と
川の 土手に 身を伏せて 見つめていたのでした。
その戦争も 8月15日で 終りました。
幼少の頃 走りまわることなく 母の背中で 過ごした なごりが
じいちゃんの O脚の 足です。
昭和20年8月14日 御前会議において ポツダム宣言受諾を
決定した日です。
映画にもなった 「日本で一番長い日」 でした。
翌日 15日 終戦を迎えたのです。
国家は 軍や 暴力集団に 権力を 取られては いけません。
一人ひとりが ウルトラマン! や 月光仮面!に ?????
パニックつづきで 周囲を悩ませた 僕ですが このところ
おちつきが 見られるように なりました。
昼間の 暑いときですが 公園で ジョギングをしています。
僕は なんと 一日中 平穏な生活を送りました。
パニックに ならなかったのです。
いつものように 公園を 走り回り スーパーに 買い物に行き
夜は 繁華街に じいちゃんと 一年ぶりに でかけました。
じいちゃんは スッカリうれしくなったのか 飲みすぎて
歩くのに 相当 苦労して いました。
僕は 夏休みに入ってから ズーット! パニックにならない日は
ありません。
じいちゃんは こんなのは 初めてだと 困惑しています。
なんで!こうなるの? このあいだ 見た マンボウを
すこし 見習って ほしいと いっています。
暑い 夏休みです。
外に出るのを ためらいます。
みんなと同じように 早起きが出来るなら 涼しい朝の散歩が
好ましいのですが 熱い陽射しの中 じいちゃんと 近くの
公園に いきます。
けたたましく 鳴く セミの声!カラスが 数羽 高枝で見ています。
僕は 駆けたり 跳んだりして すごします。
福祉施設の見学の日 遅刻は出来ないので じいちゃんは
起床から 細かい 時定表を 壁に張って 出発に 備えました。
僕の ふだんの行動も 参考に 時間には 相当の 余裕が
あったのですが 終ばんに 何かの 引っかかりを 起こし
パニック状態で とうとう 欠席する 破目になりました。
遅刻はしても 欠席は しない。 これまでの かたちから
一歩 何かを 踏み出した 変化の 現れのような そんな気が
したのでした。
僕の 目に余る パニックに じいちゃんは これまでにない
怒りを 表します。
それは いました事の 怒りと 将来への 延長を 心配して
じいちゃんは 全身で 僕を 戒めているのでした。
怒り疲れ 大の字に 寝ている じいちゃんの 手を握り ボクは
眠ってしまいました。
目に涙を 溜めて。