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院政時代の公家女房

2005年09月23日 | 平安時代
未完御前が平安末期、院政時代の公家女房の格好をしています。(撮影:クロウ)

十二単というのは、下着のうえから、(今でいうパンツではない)何枚もの着物(唐衣 表着 打衣 衣[袿(うちき)] 帖紙 単 張袴 裳)を着ることによって完成しますが、その途中の段階でも完成形なのです。たとえば 袿(うちき)姿になると6枚くらいの段階で完成です。したがって重さも半分になるので楽チンということです。わたしは、手に持つ檜扇(ひおうぎ)[衵扇(あこめおうぎ)]も好きです。

この御方、毎年のように直指庵を訪れるらしい。
この日9月10日も訪れたこの庵を紹介してみます。

正保3年(1646)隠元禅師の教えを受けた独照同光が「直指伝心」を旨として創建したといわれるこの庵は、今も奥嵯峨の風情を多く残す竹林の間の小径の奥にある。 嵯峨野は女性の来訪の多い所である、とりわけ若い女性で賑わう所である。直指庵を訪れた女性の多くがこの寺に備えられている「思いで草」というノートに青春の心うちを書き残している。ノートは庵主の発意から提供されているものであり現代女性の「駆け込み寺」的性格を持つ。安政の大獄で捕らえられた津村(村岡)のり子が謹慎し隠棲した所でもある。彼女の墓や与謝野晶子の歌碑などがある。
どの様な理由で、最初駆け込んだのか今度、じっくり聞いてみよう。

そしてその日の午後は京都文化博物館へ行ったのでした。

【前日の会話】

義経  :「明日京都文化博物館で、源氏物語やってるからいくぞ」
未完御前:「ぇ、何それ。」
義経  :「光源氏を見ながら、装束体験できるんだよ!」
未完御前:「磨弧たちはokしたの?」
義経  :「もちろん!全員平安装束を着る。」
未完御前:「ファンが増えたらどぉしようかしら♪♪」
義経  :絶句・・・・・・・。

ということで、なりきってました。;;
家に帰ってから、二人の娘に馬鹿受けだったらしい。(ちゃうか。)
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