白峯神宮は、配流されてその地で歿した崇徳天皇・淳仁天皇を祀る。崇徳上皇は保元の乱に敗れて讃岐に流され、その地で死去した。その後天変地異が相次いだことから上皇の祟りとされ、上皇が葬られた白峯陵の前に、上皇を白峯大権現として祀る御影堂が建立された。幕末の動乱期、孝明天皇は異郷に祀られている崇徳上皇の霊を慰めるため、その神霊を京都に移すよう幕府に命じたが、まもなく死去した。子の明治天皇がその意を継ぎ白峯宮を創建した。1873年、藤原仲麻呂の乱に巻き込まれて淡路に配流され、その地で死去した淳仁天皇の神霊を淡路から迎えて合祀した。
白峯神宮の社地は、蹴鞠の宗家であった堂上家(公家)・飛鳥井家の屋敷の跡地である。摂社の地主社に祀られる精大明神は蹴鞠の守護神であり、現在ではサッカーのほか、球技全般の守護神とされている。