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篤胤の維新

2011年04月08日 | 池波正太郎 江戸時代

 平田篤胤の高弟に生田万という国学者がいる。 大塩平八郎の乱に続いて越後柏崎の乱の首謀者であった彼は、平田篤胤に累が及ぶことを恐れて、大塩平八郎の門弟となのった。 しかし大塩は儒学者、生田は国学者であり、幕府は篤胤の動向に注目しはじめ、結局篤胤は出羽国への帰藩命令が幕府からでた。 篤胤は江戸には復帰することなく秋田で死んだのは1843年のことである。 その後も篤胤の思想は衰えることなく、優れた弟子によって全国に広められ、日本古来の神々への信仰心、ひいては天皇への忠誠心を高めることとなる。 ところが明治になって祭神論争というのがあってオオクニヌシを幽冥界の主宰者とは認めないとなった。 これによって平田教はすこし方向転換をするのであるが、篤胤自身がいう基本となる古道、つまり「新しき古」という根強い精神が幕末期の王政復古を通じた明治維新につながった。 

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