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平田篤胤国学は天皇教

2011年04月07日 | 池波正太郎 江戸時代

 平田篤胤によればわれわれは死後に肉体と切り離された魂となって幽冥界にいく。 まさに幽冥界とは幽霊が存在する世界であって、霊体となった人々は生前の行いについて審判をうけるという。 審判を下すのは大国主命で、功には褒美を罪には懲罰を科すといっているから、本居宣長の考えとはまったく違う。 学者・本居宣長に対して平田篤胤が宗教家といわれるゆえんはここにある。 この通常の解釈ではありえない論理の飛躍によってオオクニヌシを幽冥界の主宰者として確立させたことは、神道全体に甚大な影響を与えた。  平安の時代、天台宗は法華経をあらゆる経典ののあかで最上のものとしたが、法華経は漢文でかかれており、庶民にとっては読むことすらできないから、永遠に仏となる道をたたれた。 ところが、日蓮は中身などわからなくても南無妙法蓮華教と唱えさえすれば法華経の功徳にあやかれると説いた。 そして日蓮宗は爆発的に広がった。 天台宗の僧侶たちは激怒したにもかかわらず、京の商工業者に広まりきわめていった。 そこには庶民への配慮があったからである。 面子丸潰れの比叡山は僧侶を繰り出して日蓮宗の寺院に焼き討ちをかけ、男女・僧侶を問わず皆殺しにした。 後に織田信長が比叡山焼き討ちを行ったことは有名である。 

 平田篤胤の国学は、この後 弟子たちによって布教され熱狂的信徒を生むこととなる。 それは天皇教の完成であり、幕末の動乱期に欧米列強の侵略を跳ね返した原動力となる。 熱狂的信徒で篤胤の路線を受け継いだのは佐藤信淵という軍学者であった。   

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