平安時代の歴史紹介とポートレイト (アフェリエイト説明 / ちょっと嬉しいお得情報を紹介)

古代史から現代史に至る迄の歴史散策紹介とポートレイト及び、アフェリエイト/アソシエイト登録方法と広告掲載説明

4 永遠のゼロ ラエ敵基地での編隊飛行

2013年03月11日 | 太平洋戦争

 パプアニューギニアのソロモン海側にあるラエ基地を侵攻しているときの撃墜王達によるエピソードはあまりにも有名である。撃墜王は坂井三郎・西澤廣義・太田敏夫の3名である。当時米英航空兵からはデビルと呼ばれていた彼らはラエの敵基地上空で編隊飛行を行った。計画したのは坂井三郎。見事な宙返りを3回続けて行うと、大胆にも高度を下げて再度宙返りを行ったという。この間、敵飛行場からは一発の対空砲火も行われず、後に「先日の編隊宙返りは見事だった。この次も歓迎する」という手紙を日本側は受け取っている。ラバウル航空隊・零戦隊が世界一であったエピソードといえる。永遠のゼロはこの頃ラバウルにやってきた。ミッドウエー海戦で日本の正規航空母艦4隻が撃沈された直後のことである。翌日はポートモレスビーへ9機編成で出撃した。このときの敵機はカーチスP-40ウオーホ-クである。1941年12月の太平洋戦争でフィリピンに配備されていたP-40は、零式艦上戦闘機や一式戦闘機「隼」などの日本機の邀撃に当たったが空戦性能に遅れをとり劣勢に立たされた。

 隼の愛称を持った一式戦闘機は皇記2601年の開発機で、ゼロ・ファイターに対してワン・ファイターと言われ、加藤隼戦闘隊を率いた加藤建夫は有名である。加藤隼戦闘隊は、ビルマ戦で敵の空爆を防御すべく隼5台で飛び立ちます。敵は英国爆撃機・ブリストル ブレニムといって3人乗りの中型爆撃機であるが、背中に銃座があって後方から攻撃してくる敵戦に有効な機です。1942年5月22日、右翼に被弾した加藤は仲間に別れを告げてビルマ沖のベンガル湾に自爆したことは映画にもなったのでよく知られています。 ここでは、一式戦闘機か双発英国爆撃機ブレニムを紹介したいところですが、同じく英国の爆撃機・デ・ハビランド モスキートを紹介します。モスキートは加藤少尉を打ち落としたブレニムとほぼ同じような双発爆撃機で、その性能の高さから夜間爆撃機や偵察機にも使われた。

イギリス空軍のマルチ戦闘機・モスキート

コメント    この記事についてブログを書く
« 山下晴奈さん | トップ | 5 永遠のゼロ ガダルカナル... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

太平洋戦争」カテゴリの最新記事