藤原道隆に迫る暗雲
一条天皇の心をひきつけた藤原定子により、父・藤原道隆の権力は揺ぎ無いものとなります。そして藤原道隆は息子の「藤原伊周(これちか)」を順調に出世させ、994年には叔父である「藤原道綱」「藤原道長」を抜き、「内大臣」にまで就任させます。
しかしこの藤原道隆の出世に不満を抱いたのは道隆の弟で右大臣の「藤原道兼」でした。その願いが通じたのか・・・、994年、藤原道隆は糖尿病となってしまい、翌年の995年には仕事が出来ない程にまで病気が進行してしまったので息子で内大臣の「藤原伊周」が「内覧(関白と同等の職権)」に任命して政務を補佐させ、その後スグにこの世を去ってしまいます。
そして藤原道隆の死後、空席となった「関白」の職には「内覧」であった「藤原伊周」が任命されるであろうと思われていましたが、関白に選ばれたのは藤原道隆の弟で右大臣の「藤原道兼」でした。 しかし藤原道兼は関白に任命された995年、病死してしまいます。 この為、「藤原道兼」には「七日関白」ともいわれます。
そして七日関白「藤原道兼」が病死して、さぁいよいよ自分が関白だと思っていた「藤原伊周」に意外なライバルが出現しました。
そのライバルとは「藤原道長」、「藤原道隆」「藤原道兼」の弟で「藤原伊周」からは叔父さんにあたる人物です。
しかし「藤原伊周」は一条天皇の一番のお気に入り「藤原定子」の兄にあたります。「藤原道長」と「藤原伊周」の優劣は簡単に決めることが出来ません。
さて、一条天皇の決断は・・・。