源氏物語でも斎王はでてきます。
秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)は、1010年の王朝文化たけなわの頃、紫式部によって書かれた『源氏物語』中の斎王である。
源氏の兄・朱雀天皇に愛されたが、光源氏の敵対心を煽ったため、 母・六条御息所は、「この娘だけは愛人にしないで欲しい!!」と懇願した事でも知られています^^。もっとも秋好中宮のほうは光源氏のことを嫌っていましたので、受け入れられず報復措置にでます・・・。 六条御息所は光源氏の年上の恋人で、冷たい源氏の仕打ちに心乱れて生霊となり、源氏の正妻・葵の上を取り殺した。後には、紫の上の病床にも死霊となって現われている。 母の死により斎王を退下した後、源氏と藤壷の宮との間にできた不倫の子・冷泉帝の後宮に入りときめく。 秋好中宮の呼び名は、源氏の「どの季節が好きか」との問いに「秋の風情が殊の外趣き深い」と答えたことによる。 内裏では梅壷(凝華舎:ぎょうかしゃ)に局を与えられていたことから、梅壷女御とも呼ばれる。
六条御息所は、娘・秋好中宮が斎王となるとき、「これで伊勢に一緒にいくことによって、源氏にまどわされることなく、心平穏に暮らせるわ・・」といっています。
37帖では 「八月十五日の夜、女三の宮を訪れた源氏が、鈴虫の声をめでながら琴を弾いていると、夕霧や蛍兵部卿らが訪れてきて宴になります。その宴のあと、源氏は秋好中宮を訪問します。その折中宮は、亡き母六条御息所が、いまなお成仏できずにいるという噂を聞いて、出家の意思を源氏にほのめかしますが、源氏は御息所の追善供養をすることを勧めるのでした。」 の記載があります。
38帖「鈴虫」では、中秋の名月の晩、源氏は女三ノ宮や人々と虫の音について語ります。源氏は、鈴虫は今風ではなやか、松虫は人馴れせず高雅な雰囲気と表現しています。そして、かつてこの邸の南西の御殿に住んだ秋好中宮(あきこのむのちゅうぐう)が、松虫を好んだエピソードが語られます。源氏の頭の中では、秋好中宮は松虫、女三ノ宮は鈴虫のイメージだったようです。
21帖「乙女」では、九月のある夕暮に、秋好中宮が蓋に色とりどりの紅葉を乗せ、それに文を添えて紫の上のもとへ届けさせたというエピソードを描いています。これに対して、紫の上は贈られた箱の蓋に苔をしきつめ、作り物の松の枝に文を結んで秋好中宮に返歌しています^^。
風に散る紅葉はかろし春の色を岩根の松にかけてこそ見め
(風に散る紅葉など軽いものですわ。春の色の美しさをこの松にご覧くださいな♪♪。)
源氏35歳の秋、壮大な六条院が完成します。西南の町の庭は、秋好中宮のために秋の風情いっぱいに仕立てられました。この頃の二人のやり取りです♪♪。
因みに、六条院は「渉成園」、別名「枳殻邸(きこくてい)」がモデルではないか、との説があり、東本願寺のすぐ東に別邸として立てられました。周囲に枳殻(からたち)の木が植えられていたことからこう呼ばれているらしい。今度いってみよう^^