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死後の救いを明確化した平田篤胤

2011年04月04日 | 池波正太郎 江戸時代

 本居宣長神学 
  ・ は「天皇を中心とする国民統合の原理」としたが、
  ・死後の救いについては「絶対神の思し召し」であり悲しいことだとあきらめるしかないといっている。 
  ・しかし庶民はこれでは納得しなかった。 
 この問題を少なからず解決したのが本居宣長の後継者ともいうべき平田篤胤である。 
  ・人間は死後どうなるのかという問いに対して霊魂不滅という考え方があるが、本来の仏教は霊の存在を認めていない。  
  ・しかし霊魂が消滅するのは寂しいと考えた人々は、
  ・死んでも阿弥陀如来を頼れば極楽浄土に生まれ変わり仏になれるといった信仰を生み出した。 
  ・この往生と成仏の考え方が大乗仏教である。
 死後の考え方を大きく分けると、
  ・霊魂不滅と
  ・霊魂消滅になるのであるが、日本人が圧倒的に共感してきたのは霊魂不滅である。 
  ・もともと魂を神社に祀ること自体、古代信仰は霊魂不滅に基づいているのであり、怨霊信仰がその典型である。 
  ・そして魂は意思をもち子孫を守るということになる。 これを祖霊信仰といい、
  ・キリスト教やイスラム教とはまったく違うところである。 
  ・さらに祖霊信仰は日本独特のものであるともいえる。 
  ・この考え方を定着させたのは本居宣長の後継者・平田篤胤であり、
  ・本居宣長に欠けていた死後の救いを明確化して天皇教を導いた人物なのである。

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