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47 沖縄特攻・神雷部隊

2013年08月23日 | 太平洋戦争

 海軍特攻隊は米軍が沖縄に上陸する前から、沖縄や九州沖合いに進出した米艦隊に対して航空特攻を実施していた。九州沖合いで大型空母・フランクリンに特攻したのは1945年3月19日、10度以上傾いて火災を起こしたフランクリンの戦死者は800人を越え、沈没は免れたが二度と戦場に現れることはなかった。この作戦を天号作戦といい3月18日に発令された。海軍は第5航空艦隊司令長官・宇垣纏中将が、陸軍は第6航空軍司令官・菅原道夫中将が指揮をとった。海軍は鹿児島鹿屋(桜島の西)から、陸軍は鹿児島知覧(桜島の東)から出撃したのである。3月21日の海軍特攻・神雷部隊は人間操縦爆弾・桜花による特攻部隊で、一式陸攻の胴体に搭載された桜花は切り離されると9秒間ロケット噴射で急降下して体当たりする兵器である。一方一式陸攻は切り離した後は帰還する。この日神雷部隊の野中五郎少佐は一式陸項18機を引き連れて出撃、15機には桜花を抱いている。護衛の零戦は55機、このとき野中少佐は100機を要望したがかなわず、また55機の護衛機のうち25機は整備不良で引き返している。もともと野中少佐は桜花作戦に反対であったが、その結果はというと出撃3時間後のに米軍機動部隊の100km手前で米空母艦載機群に襲われて全滅した。まさにレーダー・ピケット戦法(機動隊前方配備の駆逐艦がいち早く特攻を察知して機動隊に知らせ、艦載機は迎撃に向かう)にやられたのである。神雷部隊の犠牲者は、桜花15名、一式陸攻135名、護衛零戦10名、合計160名にも上る。

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