毎年5月15日に行われる葵祭は京都三大祭のひとつで、平安時代以降に行われた賀茂祭である。 賀茂祭は天皇が上下賀茂社に幣を奉ることを目的とし、斎王が紫野の斎院を出て内裏をへて鴨川の河原で潔斎する御禊が行われ、ついで300名前後の大行列が京中を巡行する。 下社に参向し、社頭で宣命をよみ奉幣し、ついで東遊び・走り馬が行われ、ついで上社に参向し同様の儀を行う。 これは神事であるだけではなく、平安京に暮らす人々にとっては年に一度の祭礼であった。 源氏物語・葵には葵上と六条御息所とが車争いをしたのは、新斎院の御禊の行列を見物するために物見車を一条大路にたてようとした場面である。 道長の桟敷もあり、栄花物語の「はつなな」には1005年に斎院御禊と賀茂祭使になった頼通の一行を多くの公卿らと見物する場面で、一条大路の桟敷が記されている。
「殿は、一条の御桟敷の屋長々と造らせたまひて、檜皮葺、高欄などいみじうをかしうせさせたまひて、この年ごろ御禊よりはじめ、祭を殿も上 倫子のこと も渡らせたまひて御覧ずるに、今年は使の君の御事を、世の中揺すりていそがせたまふ」
栄花物語 巻八 はつなな