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18帖 松風 (二条東院落成と明石の君)

2005年10月01日 | 平安時代

源氏物語 松風の巻  (写真:源氏二条にて)

 明石の君(22歳)は源氏と再会しますが、身分の差を認識し、物思いを重ねる2年の歳月がすぎていました。源氏からの再三のすすめに、途中の大堰の山荘への転居という妥協策で実現します。京に近くなったものの紫の上の嫉妬もあって、源氏との逢瀬はままならず、明石の君のきびしい忍従がつづきます。

 二条の東院が落成しました。西の対に花散里を迎え入れ、東の対には明石の君を移らせ、北の対には今まで関係のあった女君を、寝殿は源氏自らの住居にと計画をたてていました。源氏の度重なるすすめにも、わが身の程を自覚する明石の君は、なかなか決心がつきませんでしたが母尼と姫を伴って大堰へ移ります。
 明石での父入道との別れは、悲しく哀切を極めます。源氏が大堰を訪れることは困難を極め、京に近いところまで来ながら、明石の君はわびしい日々を送ることになります。
 紫の上をなだめ大堰に赴いたのは、もう秋の終わりに近くなっていました。はじめて見る姫は、予想以上にかわいらしく、源氏は二条院に引き取って育てようと考えはじめます。明石の君や母の尼君とも再会して昔をしのびますが、二条院へといざなう源氏に、明石の君は応じようとしません。
 明石の君に心を残しながら帰京した源氏は、紫の上の機嫌を取り結ぶべく、姫の成長を打ち明け、幼い姫を二条院に迎えて育てたいと相談します。心中おだやかでない紫の上でしたが、子供好きなことから、姫の親代わりとなって世話をすることを承諾します。その後も、源氏の大堰通いは容易でなく、御堂の念仏にかこつけて、月に2度ほどの訪れがやっとです。やむをえないことと想いつつ、明石の君は物思うのでした。

右大臣
┣⑦朧月夜の君(六女 朱雀帝尚侍として出仕)
┗弘徽殿の女御(皇太后まで病床に臥すなど、凶事が続き、弱気になった帝)
 ┣第一皇子朱雀帝譲位
桐壺帝----譲位して、光源氏は東宮の後見----世の中は右大臣に傾く----崩御
 ┃┃┃
 ┃┃⑨花散里(桐壺帝の女御:麗景殿女御の妹 二条の東院が落成、西の対に花散里を
 ┃┃
 ┃┃  ?
 ┃┃  ┣形見の女の子
 ┃┃ ④夕顔(六条の御息所の隣人----生霊に呪われ死ぬ----光源氏は加茂川で落馬)
 ┃┃ 
 ┃┃ 桐壺帝の弟
 ┃┃  ┣秋好中宮----斎宮----冷泉帝に入内(絵合----源氏の須磨の日記絵が出品)
 ┃┃ ③六条の御息所(伊勢から帰京、間もなく病に臥し、源氏に娘の斎宮の行末を後見)
 ┃┃  ┣

 ┃┣光源氏(わらは病)
 ┃┃  ┣豪奢な饗宴----弘徽殿の女御の気持ちを逆撫で
 ┃┃  ┣夕霧----養育を左大臣家に託

 ┃┃┏①葵の上 (父:左大臣 母:桐壺帝の妹)----御息所の物の怪が原因で夕霧出産後に死亡
 ┃┃┗頭の中将(権中納言)
 ┃┃  ┗娘(冷泉帝に入内して弘機殿女御 秋好中宮と絵合----帝の前で公式の宮中行事)
 ┃┃ 
 ┃┃ 
 ┃┃ 伊予の介という老人@左大臣家(空蝉を心配しつつ死亡)
 ┃┃  ┣
 ┃┃┏②空蝉(任地常陸国から帰郷の際、石山詣でをする源氏の行列と行き会わせた 出家)
 ┃┃┗小君(今は衛門の佐)

 ┃┃
 ┃桐壺の更衣(低身分:光源氏3歳のときに死亡)
 ┃
 ┃常陸宮

 ┃┗⑥末摘花(花散里に寄る途中---終生庇護してあげようと誓い二条院へ呼ぶ)
 ┃  ┣
 ┃光源氏(内大臣)
 ┃  ┣冷泉帝即位

┏⑤藤壺の宮(第四皇女 桐壺帝のいとこ@飛香舎 里帰り中に光源氏と関係 源氏を拒む----中宮----出家再び源氏と一夜をともに)
┗兄・兵部卿宮
   ┃
   ┃明石入道(桐壺の更衣の従兄弟----源氏一行の栄えばえしい盛儀を目の当たり)
   ┃ ┗⑩明石の君22歳(二条の東院が落成 東の対には明石の君
   ┃   ┣
   ┃ 光源氏(30歳----明石から帰京)
   ┃ ┣
   ┣⑧若紫(光源氏が後見人----光源氏がさらう@二条院)
  ┣?
 祖母の尼君----光源氏に若紫を託す

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