「藤原道長」の父「藤原兼家」の摂政関白時代
969年 藤原道長の全盛期は1000年頃。それをさかのぼること約30年、 969年に「安和の変」により、藤原氏に台頭する勢力はいなくなり、権力の頂点に立った藤原氏は身内同士で権力争いを開始するのです。
969年8月 「安和の変」の直後、10歳の「円融天皇959-991」が即位し、皇太子には先代の「冷泉天皇950-1011」の皇子10ヶ月の「師貞親王968-1008 花山天皇」が選ばれます。そして「摂政」には「藤原実頼900-970」が就任
970年 藤原実頼が死んでしまったので、次の摂政には藤原実頼の甥・「藤原伊尹924-972」が就任します。ところがこのお方も就任後2年チョットで死亡し、2年間は「摂政」の位が空席となります。尚、藤原伊尹の娘は皇太子「師貞親王」の母親・懐子。
974年 その後、円融天皇が成長し、新たな関白には藤原伊尹の弟で当時「中納言」だった「藤原兼通925-977」が選ばれ、実権は藤原兼通に移ることとなります。 中納言から関白への就任は大出世ですが、これには理由がありました。「円融天皇」の母で「藤原伊尹」と「藤原兼通」の妹である「藤原安子927-964」が… 「関白の位は兄弟順に選びなさいっ!!」…と書状に書き、息子である「円融天皇」が従ったためと言われています。
しかし!!この関白就任を快く思わない人物がおりました。彼の名は大納言・「藤原兼家」。「藤原兼通」の弟です。 そして兄「藤原兼通」v.s.弟「藤原兼家」の対立が始まります。
977年 病気で寝込みがちとなった関白「藤原兼通925-977」は関白の位を、「藤原兼通」の従兄弟であり「藤原実頼900-970」の息子でもある「藤原頼忠924-989」に譲ってしまいます。 そして対立していた弟の「藤原兼家」の位は変わらず「大納言」のままでした。藤原兼家」は激怒しますが、兄「藤原兼通」は直後に死亡しており、文句のつけようがありません。
984年 一方、この権力争いに巻き込まれてしまった満25歳の若き天皇「円融天皇」は天皇の位を満16歳の誕生日を控えた皇太子「師貞親王」に譲ることとなり、「花山天皇」が即位します。 この「花山天皇」ですが、若くて有能な貴族を積極的に用い、明るく活発で自由な振る舞いであったことから宮中ではたちまち注目を集める存在となり、数々の女性との噂が絶えないプレイボーイでもあったようです。
そして花山天皇の皇太子には「円融天皇」の第一皇子で4歳の「懐仁親王980-1011 一条天皇」が選ばれます。 懐仁親王の母親は「藤原兼家」の娘「藤原詮子962-1002」です。つまり、花山天皇の次の天皇の時代に権力を握れるのは「藤原兼家」ということになります。そして、その機会がやってきます。
985年 花山天皇が即位した翌年、花山天皇の最愛の妻で大納言「藤原為光942-992」の娘「藤原よしこ969-985」が身ごもったまま病死してしまい、嘆き悲しんだ「花山天皇」は出家を考えるからです。 「藤原兼家」は花山天皇を退位させようと「出家」を持ちかけ、ともに、「元慶寺」に向かいます。天皇在位わずか1年10ヶ月、「花山天皇」満17歳の夏の事でした。
「花山天皇」は仏教の分野では各地の霊場を巡礼して「西国三十三ヶ所めぐり」の創始者となり、 芸術の分野では自ら「和歌」を詠むだけでなく 「拾遺和歌集」という歌集の編纂をし、 「絵画」「工芸」でも活躍します。
986年 そして「花山天皇」が出家し「法皇」となったことで天皇の位は自動的に皇太子「懐仁親王」に移り、「一条天皇」が誕生。 この時「一条天皇」は満6歳の誕生日を迎えたばかりの子供であったので「摂政」が必要となり一条天皇のおじいちゃんである「藤原兼家929-990」が就任します。ちなみに皇太子には「冷泉天皇」の第2皇子で「花山法皇」の異母弟でもある 「居貞親王976-1017 後の三条天皇」が選ばれています。
これによって藤原兼家は念願の政権を手中にします。 そして時代は「藤原道長」「藤原頼通」の摂関政治全盛時代に向かって行くのです。
┏為時949-1029━紫式部970?-?
┏雅正-961(紀貫之と親交)
┃ 列子 ┏朝忠910-967━藤原穆子931-1016
┏兼輔 ┣定方(三条右大臣) ┣源倫子964-1053
┏利基?-? ┣胤子 伊勢姫 ┣寂源 -1024
┃ ┃ ┣醍醐┣中務 ┃ 婉子972-998(為平親王娘,花山女御)
┣藤原高藤-900┣敦慶親王888-930┃ ┣資平(養子)987-1067 ━┳資仲1018-1087 ━┳顕実?-?
良門?-? ┣敦実親王893-967┃ ┏実資957-1046(養子 小右記) ┗資房1007-1057 ┗顕仲1059-1129
順子809-871 宇多天皇 ┣源雅信-993 ┣頼忠924-989┳公任966-1041━定頼995-1045
長良802-856 ┏娘 ┗済信954-1030 ┃ ┗遵子957-1017(円融妃)
┣国経828-908┏時平871-909 ┣敦敏912-947━佐理スケマサ944- 998
┃ ┃┗保忠 ┏実頼900-970 ╋斉敏928-973┳懐平 953-1017┳資房1007-1057
┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗資平987-1067
┃ ┃ ┃ ┃ ┗実資サネスケ957-1046(小右記)
┣基経836-891╋仲平875-945┃(小野宮殿) ┗述子933-947(村上女御) 63冷泉天皇950-1011
┃ ┃ ┃ ┣65花山天皇968-1008
┃ ┃ ┃ ┃ ┃┗皇女-1024(上東門院女房:母は平平子)
┃ ┃ ┃ ┃ ┣早世985(毒?)
┃ ┃ ┃(九条殿) ┃藤原忯子969-985-為光娘(弘徽殿女御)
┃ ┣忠平880-949╋師輔-960 ┳伊尹コレタダ(一条殿謙徳公) ┳懐子945-975
┃ ┃ ┃ ┃924-972 ┃
┣淑子838-906┃ ┗師尹モロタダ┣為光942-992(法住寺殿) ┣挙賢953-974
┃ ┃ ┃920-969┃ ┣忯子969-985(花山女御)┣義孝954-974
┣高子842-910┃ ┣芳子 ┃ ┣誠信964-1001 ┃┗行成972-1028
┃ ┃ ┃ ┃(村上妃┃ ┣斉信967-1035 ┣義懐957-1008ヨシチカ
乙春 ┣陽成帝 ┃ ┗済時995┃敦敏娘 恵子女王925-992 ┗成房982-
┃869-949┃ ┗通任 ┃(堀川殿) ┏媓子947-979(円融中宮)
┣貞保 ┃ (三条妃) ┣兼通925-977╋顕光944-1021┳元子(一条帝女御)979-? ┓
┣敦子 ┣頼子-936(清和女御) ┣登子?-975 ┗朝光951-995 ┗延子(敦明女御)985-1019┃
┗━━┓ ┣妹子(清和女御) ┃キンスエ ┗姚子971-989(花山帝女御) ┃
良房804-872 ┃ ┣温子872-907 ┣公季957-1029 (母:康子内親王) ┃
┣明子 ┃ ┃ ┣均子内親王 ┃ ┗義子974-1054(一条帝女御),実成975-1044 ┃
┃828-900 ┃ ┃ ┃890-910 ┃ ┃
潔姫 ┣56清和 ┃宇多天皇867-931 ┣兼家929-990(東三条殿) ━━━┓ ┃
文徳帝827-858 ┃ ┣安子927-964 ┃ ┃
┣恬子 ┗穏子885-954 盛子-943┣憲平親王 950-1011(冷泉帝) ┃ ┃
紀静子?-866 ┣保明親王903-923 ┣資子内親王955-1015 ┃ ┃
┣康子内親王919-957 ┣守平親王 959-991(円融帝) ┃ ┃
淑姫?-948 ┣寛明親王(61朱雀帝) ┣為平親王(安和の変で失脚)952-1010 ┃ ┃
┣源兼明 ┃923-952 ┣選子 ┣ 源頼定977-1020 ┃ ━━━┛
┃914-987 ┣成明親王(62村上帝)926-967 高明娘保子 ┣ ? ┃
60醍醐天皇 885-930 ┃ ┣具平親王 ┣広平親王950-971 元子979-(一条女御)┃
┃ ┃ ┃964-1009 ┃ ┃
┃ ┃ ┣楽子952-998 ┣緝子内親王?-970 ┃
┃ ┃荘子女王930- 祐姫(藤原元方娘) ┃
┃ ┣規子内親王949-986(伊勢斎宮) ┃
┃ 微子女王929-985 ┃
┣勧子内親王899-?(母:為子内親王?-899) ┃
┣勤子内親王904-938(藤原師輔室) ┃
┣都子内親王905-981 ┃
┣雅子内親王910-954(斎宮,師輔室) ┃
┃ ┃
┃ ┃
┣源高明914-983(第十皇子) ┃
┃ ┣娘 ┃
┃ ┃┣婉子女王972-998(花山天皇女御) ┃
┃ ┃為平親王952-1010(父:村上天皇) ┃
┃ ┣明子975-1049(藤原道長室 母:師輔五女・愛宮) ┃
┃ ┗源俊賢960-1027(母:師輔三女) ┃
┃ ┃
源周子?-935 ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┃ 藤原守仁娘・(伊予守)
┃ ┣ 道頼971-995(兼家養子) 藤原為光娘(忯子の妹)花山法皇狙撃事件
┗┳道隆953-995(中関白家) ┣
┃ ┣━━┳伊周コレチカ974-1010┳道雅992-1054(三条帝娘・当子内親王と恋愛)花山皇女殺害
┃ 高階成忠┳高階貴子┃ ┣大姫(藤原頼宗室)
┃(高二位殿)┃ -996 ┣隆家979-1044 ┗小姫(藤原彰子女房)
┃ 923-998 ┣信順 ┣御匣殿985-1002(定子亡き後、養母として入内)
┃ ┣明順 ┣頼子姫?-? (敦道親王師ノ宮の妻)
┃ ┗光子 ┣原子姫980-1002(居貞親王女御)
┃ (定子乳母)┗定子姫977-1001(里邸二条)
┣道兼961-995 ┳兼隆985-1053┣脩子内親王 996-1049(御匣殿が養育)
┃ ┣兼綱988-1058┣敦康親王 999-1018(御匣殿が養育)
┃ ┣尊子984-1022┣媄子内親王1001-1008(詮子が養育)
┃ 繁子(師輔娘)┃ ┃
┃ 66一条帝980-1011(乳母は橘徳子)
┣道長━━┳頼通━┳師実━━━師通━━━忠実━━━┳忠通1097-1164(法性寺関白)
┃966-1028┃宇治殿┃1042-1101 1062-1099 1078-1162 ┣泰子1095-1155(鳥羽皇后)
┃ ┃ ┃ ┗寛子(後冷泉皇后) ┗頼長1120-1156(保元の乱で敗死)
┃ ┃ ┃ 1036-1127
┃┏源倫子┣教通996-1075(和泉式部娘・小式部を妾とする。本妻は公任・娘)
┃┃(鷹司)┃ ┣歓子1021-1102(後冷泉后)
┃┗時中 ┃ ┣真子1016-1087(後冷泉女御)
┃父:雅信┃920-993 ┣生子1014-1068(後朱雀女御)
┃ 重信┃-995 ┣信家1018- ┃ 藤原璋子1101-1145待賢門院
┃ ┃ 藤原公任娘 ┃延子(藤原頼宗娘) ┣75崇徳天皇 1119-1164
┃ ┃ 1000-1024 ┃ ┃嫄子1016-1039(敦康親王娘) 1076-1103 ┣77後白河天皇1127-1192
┃ ┣彰子988-1074上東門院 ┃ ┃┣祐子内親王,禖子内親王 藤原苡子 ┃
┃ ┃ ┣敦良親王(69代後朱雀)1009-1045━┳良子、娟子 賢子 ┣74鳥羽天皇1103-1156
┃ ┃ ┣敦成親王(68代後一条)1008-1036┓┣尊仁親王(71後三条)┣73堀河天皇1079-1107┣76近衛天皇1139-1155
┃ ┃66代一条帝980-1011 ┃┃┃┣貞仁72白川帝1053-1129 藤原得子1117-1160美福門院
┃ ┃67代三条帝976-1017 ┃┃┃藤原茂子(公成娘)
┃ ┃ ┣禎子内親王1013-1094陽明門院 ┃┛┃
┃ ┃ ┃ ┣馨子内親王1028-1093斎院
┣綏子974-┣妍子994-1027(枇杷殿) ┣章子内親王1026-1105
┃ ┃1004┣威子998-1036 ━━━━━┛ ┃藤原教通娘・歓子1021-1102
┃ ┃ ┗嬉子1007-1025(産後死去,後冷泉母) ┣- ┣ -
┃ ┃ ┣親仁親王70代後冷泉(紫式部部娘賢子が乳母)
┃ ┗━━━━━┓69代後朱雀1009-1045 ┣ -
┃954-982 ┃娍子972-1025(堀河女御 済時娘) 藤原頼通娘・寛子1036-1127
┣超子(ゆきこ) ┃ ┣敦明親王994-1051小一条院
┃ ┃ ┃ ┃ ┣敦貞親王994-1051
┃ ┃ ┃ ┃延子985-1019(顕光娘、一条帝女御元子の妹)
┃ ┃ ┃ ┣敦儀、敦平、師明親王、当子(斎宮)、子内親王
┃ ┣居貞イヤサダ親王976-1017 67代三条帝
┃ ┣為尊親王977-1002(弾正ノ宮:和泉式部を寵愛)
┃ ┣敦道親王981-1007(師ノ宮 :和泉式部を寵愛)
┃63冷泉帝950-1011
┣詮子962-1001(東三条院 兼家娘)出家後土御門第へ移り、道長は一条院へ
┃ ┣懐仁カネヒト親王980-1011(66代一条帝)
┃ 64円融帝959-992
┃
┃兼家929-990(東三条殿)
┃ ┣道綱955-1020
┃藤原倫寧娘936-995?(歌人:蜻蛉日記@974---百人一首)
┃
藤原時姫-980:藤原中正娘