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重豪を継いだ斉宣

2011年05月05日 | 池波正太郎 江戸時代

 島津重豪の贅沢三昧が薩摩藩の財政を破綻寸前に追い込んだとき、重豪は長男の斉宣にすべてを任せて自分は隠居する。 幼いころから父の極まりない贅沢をみてきた斉宣はすべてを改革しようと藩政の先頭に立った。 改革の実行にあたって登用したのは朱子学出身のグループで、重豪の贅沢をすべて批判したが、琉球貿易だけは拡大しようとした。 朱子学の徒でありながら貿易を拡大するとは何事だとばかりに怒った重豪は、現藩主の斉宣を隠居に追い込み、藩政を担うグループ11人に切腹させるという弾圧を行う一方で、平田篤胤の弟子・佐藤信淵に財政再建のアドバイスを求めた。 佐藤信淵は思想家・神道家・農学者・軍学者であり、経営のプロでもあったから薩摩藩建て直しの処方箋・薩摩経緯記を創ったのである。 これにより薩摩藩は見事に立ち直り、幕末には幕府をしのぐ裕福な藩となった。 大阪商人からの五百万両にも及ぶ借金の返済方法とは、二万両ずつ250年払いで返すという詐欺まがいの方法と、一定の貿易を清と行うことを幕府に認めさせるという方法であった。 一定といっておきながら実際には密貿易で稼ぎまくったのであるからこれは違法行為である。 この佐藤信淵の案を実行した調所広郷という1776年生まれの茶坊主は家老へと出世し、1833年の重豪死去後も藩主・斉興と協力して莫大な利益をえた。 ところが広郷、後に密貿易の罪を一身に背負って73歳で切腹している。 その理由は次回。

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