今月のことば
牧者の広場
2016年11月
自動車に乗ってしばしば思わされること。対向車と僅かな狭間で、すれ違うこと。みんな自分の家族や生活の重荷を背負い、背負わされてのことだ。少しでもハンドル操作が狂うと、その人の人生は真っ暗にされてしまう。その危うさの中を無事、操作して、住家に戻るのは、大きな冒険を果たしたのに似てやしまいか。
自動ハンドルの可能な時代が間近になりつつあり、一見、安全で安心のようだが、人間どうしのすれ違いや衝突はますます先鋭化され、世知辛くなっては困る。
これから求められる人間像は、お金や器物に囲まれた人安全で(勿論、それも良いことに違いなかろうが)、神を敬い、人への愛と自己犠牲の人々が評価されることにあると思う。
聖書の中で最も中心的で知られている聖句
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネの福音書3章16節)
宗教法人 インマヌエル宇都宮キリスト教会 牧師 山田 隆
牧者の広場

自動車に乗ってしばしば思わされること。対向車と僅かな狭間で、すれ違うこと。みんな自分の家族や生活の重荷を背負い、背負わされてのことだ。少しでもハンドル操作が狂うと、その人の人生は真っ暗にされてしまう。その危うさの中を無事、操作して、住家に戻るのは、大きな冒険を果たしたのに似てやしまいか。
自動ハンドルの可能な時代が間近になりつつあり、一見、安全で安心のようだが、人間どうしのすれ違いや衝突はますます先鋭化され、世知辛くなっては困る。
これから求められる人間像は、お金や器物に囲まれた人安全で(勿論、それも良いことに違いなかろうが)、神を敬い、人への愛と自己犠牲の人々が評価されることにあると思う。
聖書の中で最も中心的で知られている聖句
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネの福音書3章16節)
宗教法人 インマヌエル宇都宮キリスト教会 牧師 山田 隆