『宇都宮教会のいろいろ』   ☆ブックマーク欄「宇都宮教会ホームページ」も併せてご覧ください。

インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
 TEL 028-621-8661 ※24時間対応しております

牧師・礼拝説教(要約)

2016年11月14日 06時01分17秒 | メッセージ
【先週の礼拝説教回想】 11月6日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 雅歌2章4節
・説教題  「私の上に翻る主の愛」
 皆様は雅歌をお読みになっているでしょうか。ソロモン王とある女との純愛詩であると申せましょう。聖書の中で雅歌とエステル書だけは神の名がなく、宗教的なものは感じられません。では単なる男女間の恋愛物語でしょうか。エステル書は神の働きは人や個人の背後にあって、異邦の王や名も知られてなかった敬虔な女性を、その王の王妃に選ばせ、捕囚にされていたユダヤ人の危機を救う役割を演じさせております。
 この女はソロモンにこの上ないほど愛され、それ故愛したのでした。
 神は人を男と女に造られ、罪をもった同士でも、愛が交されて交わり、子孫を継続するよう創造されました。性と愛は人の根源です。
 私たちキリスト者は、神が御子をくださり、主イエスは私たちを罪から救いなさいました。従って、私どもは真の愛は、惜しみなく自分を人に顕し、犠牲を惜しまないものであること、相手にも、そうしてもらいたいことを願うのです。伝道や、教会形成はこれが他の戒めとともに調和して形成しなければならないわけです。
▼さて、広範にわたることはできません。一句バックストン講述 米田豊筆記の一部
「雅歌の書に神の御慈愛が現われています。また雅歌に私どもは神とうるわしい愛の交わりのできる道を教えらます。・・・」
▼2:4後半「私の上に翻るあの方の旗じるしは愛でした」。旗をイエス様は、愛の旗を翻しておられます。
 旗はある特定の場所に立てます。私たちは、神の徴を身に帯びています。神と御使いはこれを見て知っておられます。神の愛を身に受けている、彼も神を愛していると。
 神が私を愛し、私も、神を愛しているという自分自身の証し、うなずきはあるでしょうか。あります。こんな者に主イエスの救いの福音が何かを通して伝えられ、罪を悔い改めて、神と人とを愛する、仕えることを覚えられてくださったと。
 聖霊が、私の内に父と御子の心として住んでくださり、語りかけ、交わり、住いを共にしてくださるという、証しです。
 愛は私たちの罪の世にあって、もまれますが基を正して生きているではありませんか。皆様がたはそれで、他の人に証しされるのです。
▼このかけがえのない神の愛の翻る旗を、心に収めようではありませんか。

牧師・エッセイ 

2016年11月13日 15時28分32秒 | メッセージ
『あなたは、私をさとして導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。この身とこの心とは尽き果てましょう。しかし神はとこしえに私の心の岩、私の分の土地です。』(詩篇73篇24,26節)

祈 り
☆先聖日礼拝来会された家族のために。
☆次聖日礼拝は、説教に代えて、宣教ビデオを観る宣教報告会と聖餐式を執り行いますので、御留意ください。
☆クリスマス聖日(12月25日)に向けて喜ばしい備えがなされますように、主の恵みを。

♪今週半ばの集会♪
11月15日(火)三浦綾子読書会「道ありき」(17) 13:30~   教会
11月17日(木)ミニチャーチ集会 11:00~
11月19日 (土)公園CS      15:00~ ニュー富士見ヶ丘2号児童公園
17日の集会の場所については教会にお問い合わせください。
☎028(621)8661

 
教会学校金言☞ 『神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。』(ローマ人への手紙12章2節) 神のみこころを考えながら行動する者となることを学びました。

次聖日の礼拝説教   マタイの福音書24章31~42節「大きなラッパの響き」

牧師・礼拝説教(要約)

2016年11月07日 19時59分10秒 | メッセージ
【先週の礼拝説教回想】 10月30日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 エペソ人への手紙4章11~16節
・説教題  「各人、賜物をもって」
▼エペソ人への手紙、紀元61年頃、ローマの獄中で使徒パウロが執筆し、テキコによってエペソ教会に届けられたものです。小アジアや(現在のトルコ)パウロの第3回の宣教旅行の伝道地。使徒19章。大女神アルテミスを祭った大神殿とそれにまつわる人々が支配し、成り立っていることが分かります。
 2章1、2節で彼らは「あなたがたは自分の罪過と罪の中に死んでいた者であって、そのころはそれらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。」と指摘しています。
 長老教会の小畑進牧師によると、彼らの暗さは彼らの内にある無知と、かたくなな心とに結果していると言われる。「かたくなな」と訳されているギリシャ語ポーロシスは、格別に堅い岩の名から出たことばで、心の鈍感・無感覚を意味し、まるで貝殻をかぶったような心、おのれの良心の呵責に対しても、神の審判に対する畏怖に対しても、鈍化・石灰化・化石化した心を指していることばである。このように、空虚、暗黒、無知、頑固と連なってきて、霊覚を失った人間の精神状態の落ち込む先は、神のいのちから遠く離れていると言われる状態である。」と語られています。
 私たちはこうされないで、今日あることです。伏して主に感謝しましょう。私たちは異邦人にあったもので、そうした成り立ちで過ごしてきた中に生まれ育ちました。しかし、御子イエスを神は遣わし、悔い改めと信仰によって神の子に取り立ててくださいました。それはキリストの体である教会に組み込まれたことを意味しております。
▼キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
 これは賜物ではなく、神に召され、訓練され良しとされた者のことですが、信仰体験、その成長過程なしに立てられるものでもありません。賜物は共同生活には必要ですが不可欠のものではありません。ただあれば活動と成長に役立ちましょう。しかし、基本・土台は神の秩序に従って真理と信仰や愛がなければ成り立ちません。
▼お互い、神と人とに愛し愛され、尊ばれた兄弟姉妹なのですから、各人、賜物を存分に発揮しましょう。生来のもの、知識や訓練によって身に付けたものも賜物です。共に主と教会のために用いようではありませんか。


牧師・エッセイ 

2016年11月06日 17時47分57秒 | メッセージ
『地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、主と、主に油をそそがれた者とに逆らう。天の御座に着いておられる方は笑う。主はその者どもをあざけられる。』(詩篇2篇2,4節)

祈 り
☆次聖日礼拝後、芋煮会をします。この雨の準備にご協力を。
☆教会玄関の二本の柱が色焼けしております。この塗装と、会堂北側の雨樋一部の欠落、古墳は格子を支える四個の土台の二つに法面が接近。先週山田ホームさんに相談し、見積を発注しております。
☆構内の落葉が始まっております。地面が湿っている時には滑りますので、気をつけてください。
☆寒さが募ります。健康を大事にしましょう。

♪今週半ばの集会♪
11月 7日(月)栃木聖化交友会  11:00~   兄弟団宇都宮教会
11月 8日(火)聖書に学ぶ会   10:30~
11月10日(木)ミニチャーチ集会 13:30~
11月12日 (土)公園CS      15:00~ ニュー富士見ヶ丘2号児童公園
10日の集会の場所については教会にお問い合わせください。
☎028(621)8661
 

教会学校金言☞ 『人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。』(箴言16章篇9節) 神がダビデによき友を与え、そのかかわりを通してダビデを守ってくださったことを学びました。

次聖日の礼拝説教   テモテへの手紙第二3章13~17節「学んで確信したところに」

牧師・余白余録

2016年11月02日 19時40分03秒 | メッセージ
蔦田二雄 著「聖潔の生涯」pp24、25インマヌエル綜合伝道団出版局
聖書の中に
(一) そこに行かなければならないという命令である。
「わたしが聖であるから、あなたがたも聖でなければならない。」(Ⅰペテロ1の16)
純潔な者は、交わりの相手に純潔を要求する。そのような神は、ご自身きよくあられるから、クリスチャンに純潔であることを要求し、神との交際に純潔を要求される。それゆえに「あなたがたも、聖でなければならない」との命令が用いられているのである。

牧師・今月のことば 11月

2016年11月01日 18時56分32秒 | メッセージ
今月のことば
牧者の広場 2016年11月
 自動車に乗ってしばしば思わされること。対向車と僅かな狭間で、すれ違うこと。みんな自分の家族や生活の重荷を背負い、背負わされてのことだ。少しでもハンドル操作が狂うと、その人の人生は真っ暗にされてしまう。その危うさの中を無事、操作して、住家に戻るのは、大きな冒険を果たしたのに似てやしまいか。
 自動ハンドルの可能な時代が間近になりつつあり、一見、安全で安心のようだが、人間どうしのすれ違いや衝突はますます先鋭化され、世知辛くなっては困る。
 これから求められる人間像は、お金や器物に囲まれた人安全で(勿論、それも良いことに違いなかろうが)、神を敬い、人への愛と自己犠牲の人々が評価されることにあると思う。
 聖書の中で最も中心的で知られている聖句
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネの福音書3章16節)

宗教法人 インマヌエル宇都宮キリスト教会   牧師 山田 隆