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メッツ進撃作戦 8

2021-09-16 12:34:39 |  初心者向けウォーゲーム


「モーゼル河を渡河しメッツ南方から攻撃を加えるためには、以上三ヶ所の道路を通って進撃するしかない。しかし、この地域で包囲攻撃や正面攻撃を行なおうとすれば、特にマンス峡谷が最大の難関となる。したがってドイツ軍防衛線左翼の主要拠点は、マンス峡谷でも浅い部分をはさんで北と南に、ブア・ド・ヴォーとブア・デ・ オグノンの高地上に設置された。アルス・シュール・モゼルの南西約一マイル、ブア・ド・ヴォー高地のモーゼル河寄りの地点には、第一次大戦直前、当時ドイツ領であったメッツ駐留の司令官たちの手で強力な砲兵陣地が築かれており、防御効果をさらに高めている。この陣地は、フランス領となったのちの1919年にドリアン要塞と呼び改められたが、その砲台からは南西部からメッツに近づく敵ばかりでなく、モーゼル河沿いの渓谷をも照準におさめることができるというものであった。」



「ブア・ド・ヴォーの北と西には、それぞれレゾンヴィル(0407)とマルス・ラ・トゥールというふたつの 村があり、ドイツ防衛線南翼の前哨地点となっていた。これらによってメッツに至る主要路が遮断され、マンス やゴルゼ峡谷を北から南へと抜ける道路も制圧下に置かれたわけである。グラーブロットの外側では、ブア・デ ・ジェニヴォーと森林に縁どられたマンス峡谷とが強固な防衛線を形成し、東側奥深くにあるドイツ軍陣地を覆い隠している。これらの後方陣地は長い尾根の見晴らしのよい頂きに配置されており、その西側の斜面に点在する頑丈な作りの山荘は、その監視哨となっていた。」

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メッツ進撃作戦 7

2021-09-16 00:41:51 |  初心者向けウォーゲーム
(承前)
「1944年9月の進撃作戦開始時において、 米第20軍団が直面していたメッツ突出部は、メッツ及びモーゼル河の西に約30kmほどの幅で広がっていた。ドイツ防衛線の左翼はメッツ市中心部から約15km離れたモーゼル河河畔にある街アルナヴィルまで伸びている。右翼の方はモーゼル河から西方に分かれる支流オルス河 の手前、メッツ市から約16km北のモンドランジェ村(0703ヘックス)まで張り出していた。」



「この防衛線の南端には、森林に覆われたモーゼル高原の急斜面やモーゼル河へと続く谷あいの隘路を切り裂いて、三ヶ所に峡谷が走っている。これらの峡谷のうち、メッツから一番遠いのはリュプト・ド・マード峡谷で、 ここにはマルス・ラ・トゥールの方からシャンブリーの南で南東に折れてきた道路が通っており、アルナヴィル (0510ヘックス) 付近でモーゼル河に達している。中央の峡谷を通る道路は、マルス・ラ・トゥールからでもレゾンヴィルからでも入ることができる。この道はゴルゼ村(0409ヘックス)という、この峡谷と同じ名の峡谷中央部に位置する村を経て、ノヴェアンでモーゼル河の河岸へと到達する。」



「三つのうちで最も北にあるのはマンス峡谷で、これはL字型に曲がっており、Lの字の縦棒の部分はブア・デ・ジェニヴォーの小盆地を通って南北に走っている。が、グラーブロット付近で深くなりだし、やがてヴォーやアルス・シュール・モゼルの方 に向かって折れ曲がるわけである。この峡谷を通る道は二本ある。一本はヴェルダンとメッツを結ぶ主要道路で、 グラーブロットのすぐ東から下り坂となり、マンス峡谷を横切っている。もう一本はこの道の支道(0508へックス)で、グラーブロットの南で分岐し、峡谷の底を通ってアルス・シュール・モゼルに至り、モーゼル河へ達するわけである。」





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