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10月10日の朝日新聞に「40歳定年制を唱える東大大学院教授 柳川範之さん」という標題の記事が出ていた。こういう記事を読むと、こんなことを言う人というのは、この社会がどんな社会なのかわかっているのだろうかと疑問に思ってしまう。
「経済が激変の時代、同じ会社に居続けるより、充電期間を経て働く場を変えた方が幸せな人生を送れるからだ」とのこと。能力的にそういうことができる人で、そういう働き方をしたいという人にとってはそうに違いない。でも、そういうことができる人は、いまでもできるわけだし、そうしているはずだ。何も40歳定年制などを設ける必要はない。
現実にはそんな能力を持っている人は少ない。だから「学び直しが必要」だと言う。「充電期間を経て」というのがその「学び直し」の期間らしい。「最低1年ぐらいの教育期間は必要でしょう」と言う。40歳を超えた人が、1年くらい教育を受けて、「経済が激変の時代」に対応できるようなスキルを身に付け、別の会社に転職ができるものだろうか。現実離れしているとしか思えない。すると、「現状の仕組みや制度を前提に、40歳定年で会社を辞めることを想像するから不安になるんです」と言う。「40歳で退職しても、教育を受けられて、比較的スムーズに次の職を見付けられる社会にしないといけない。会社を辞めて就職活動している間、年金や医療などの社会保険料の自己負担料が増えるようではダメです」とも言う。
つまり、40歳定年で会社を追い出されても困らない社会をまず作っておくことが必要だということになる。どうやってそんな社会を作るのだろう。先の教育について、「それを企業に期待するのは難しい」と言っている。それはそうだろう、いまや世界中の企業との競争にさらされて、経済的に大変厳しい状態にある企業が、定年で辞めた社員の再就職のために、お金をかけて1年間も面倒を見るわけがない。と言うことは国が何とかするしかないわけで、「制度導入に向けて、大胆に、2兆円ぐらいの予算がほしいところです」とのこと。「社会保障関係を削って生み出せないか」とのたまう。少子高齢化などで社会保障関係費の財源を今後どう確保するかが大きな課題になっているにもかかわらずだ。いったいそんなお金がどこから出てくるというのだろう。柳川教授が前提として考えている社会を作るには、まず、企業やお金持ちたちが、再就職のための教育にお金を出し合うような社会にしないといけない。お金はそれがあるところからしか出てこないからだ。
企業としては、この教授の思惑とはまったく別の理由だけれど、この提案にすぐにでも乗りたいと考えているかもしれない。それまで働いてきた人たちを40歳で辞めさせて、必要な人材だけを低賃金で再雇用できるわけで、願ってもない制度である。再就職できなかった人たちの面倒は国が見てくれるわけだし。しかし、すでに述べたが、国にはそんなお金はない。また、いまこの社会では、企業やお金持ちがそれを負担する気もない。法人税を上げたり、所得税の累進課税率を上げたりして、財政の立て直しをしようなどと言うと、そんなことをすると日本から出ていくぞと脅す企業やお金持ちたちが、再就職できない人たちの面倒を見るわけがない。となると、再教育のための財源確保などできるわけがないので、計画は破綻し、40歳定年で会社を追い出され、再就職できない人たちが世の中にあふれるということになる。
消費税をもっと上げればいいと言うかもしれないが、消費税を上げるということは、買う方から見れば、商品価格の値上げと同じことであり、買い控えが起きたり、より安い商品に向かうことになったりで、思惑通りの税収は得られないだろう。それどころか、再就職できない人たちにとって、さらなる消費税増税は死活問題となるので、大きな反対運動が起きるだろう。ちなみに、元大蔵官僚で経済ジャーナリストの武田知弘氏は、法人税や累進課税率を20年くらい前の率に戻せば、消費税を20%にしたときの収入に相当する税収が確保できると試算している。繰り返すようだが、お金は、それがあるところからしか出てこないのだ。
いま企業を取り巻く環境は一層厳しいものになっている。生存競争に勝ち抜くためには、企業では一層のコスト削減を図らなければならない。(これは一般論であり、実際にはこの環境の中で大儲けをしている企業もある)一番の負担は人件費であり、最も縮小しやすい部分でもある。人員を削減し、残った社員には辞めさせた社員の分の仕事まで追加負担させ、給与を抑え、できる限り非正規社員に置き換えることで、不要になればいつでも雇い止めができるようにし、結果として、労働需要に対する供給を過多にして、社会全体の労働賃金を抑え、人件費の削減を実現させている。小泉/竹中コンビによる「経済のグローバル化に対応し、労働市場をもっと流動化させることによって、経済を活性化させ、企業を儲けさせ、お金持ちの資産を増やせば、それが一般国民に還流されることになる」という「お話」の実際の内容は、いままさに国民の前に展開されているこの現実である。経済は活性化したのだろうか。豊かになったのはいったい誰なのだろう。多様な働き方(パートや派遣などの非正規社員として不安定な状態で働くこと)は「幸せな人生を送れる」働き方だったのだろうか。
人件費を減らす方法として、企業は、さらに低賃金の労働力を求め、海外に生産拠点を移してもいる。少し前までは中国へ、中国へと進出して行ったが、中国での賃金も上昇しつつあり、また、特に江沢民の反日教育(日本を、自分たちに対する不満のスケープゴートにするための教育)の影響で、何かことがあれば、中国内で「先に豊かになれなかった人たち」の不満の矛先が日本企業に向けられる中で、そのリスクを嫌って、生産拠点は中国から、タイ、ベトナム、インドネシア、ミャンマーなどに移りつつある。このことによって、日本国内での労働需要はさらに低下し続け、日本人の賃金の低下を後押ししている。
「企業は慈善事業をしているわけではない」とはよく言われることである。その通りだと思う。しかし、それを言う人たちは、企業が人を見捨てるような行動をして、モラルの問題を問われたときの反論としてそのことばを使う。グローバル化がうるさく言われるようになって後、特に企業の社会的な責任感の低下が著しいように思われる。企業にとっていらなくなった人間は情け容赦なく解雇をする。しかし、大きな抵抗運動など起きない。そういう風潮の中で、いまは何をやっても大した反発は受けないという気分が企業の側に生まれているように思われる。たとえば、10月18日の朝日新聞で、東電の値上げ申請審査のときに消費者委員会のワーキングチームの外部有識者として意見を述べた水上貴央氏(青山学院大助教 弁護士)が抗議している。平均8.46%という電気料金の値上げ率を決めるとき、5.89%の株主配当を前提にしているのは道義に反するというものである。国民が今回の電気料金の値上げを敢えて認めたのは、原発事故の処理が必要だと思ったからであって、東電の株主に配当金を出すためではけっしてないはずだ。驚くことに、この配当率は事故の前の5.42%を上回っているのだ。呆れてものも言えないとはこのことではないか。これが日本の現状である。「国を愛せ!」「美しい国を守れ!」と声高に言う人たちは、実はそういうことをやっている人たちではないのか。また、そういう人たちから献金を受けている政治家たちではないのか。「愛せる国」「美しい国」にすることこそ必要なのに。我利我利亡者どもが、国土を放射能で汚させながら、よくそんなことが言えるものだ。
このようなことの結果として、国内では、仕事のない若者が増え、国民の一般の収入は減り、消費は低迷したままとなっている。かつて、軽自動車より普通車が売れていたのが、より安くて燃費がいい軽自動車が増え、そしていまは、若者の自動車離れが起きていると言われる。つまり、自動車など買えない状態になってきているということだ。こんな状態の中で経済が活性化するわけがない。人件費を削減するということは、企業が作ったものを買う能力を削減するということである。どちらが先かは別にして、経済が停滞しているときに、消費者になるべき人の収入(働く人たちの賃金)を減らせば、当然だが、ものは売れなくなり、ますます景気は悪くなる。景気が悪ければさらに賃金を抑えたり、解雇したりすることになる。それがまたものを売れなくする、こういう悪循環に陥ることをしっかりと認識すべきだ。人件費を減らせたと喜んでも、実は自分の首を絞めたのだということを知るべきだ。
柳川教授の提唱する「40歳定年制」は、2050年に向けての国家戦略会議の部会がまとめた長期ビジョンの中で提唱されたものである。しかし、上に述べたような状態にあるこの日本でそれが実現すれば、小泉/竹中改革が示したように、ますます住みにくい日本になり、失業者があふれることになるのは間違いない。もう少し目を開け、よく世の中を見て、研究なり提言なりしてもらいたいものだ。
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