思いつくままに

ゆく河の流れの淀みに浮かぶ「うたかた」としての生命体、
その1つに映り込んだ世界の断片を思いつくままに書きたい。

石原知事の挑発行為について

2012-09-05 11:47:46 | 随想


 いったい石原知事は何のために中国を挑発しているのだろう。挑発をして日本にどんな利益があるというのだろう。中国からの軍事的攻撃を引き出すことが目的なのだろうか。つまり、中国と戦争をしたいということなのだろうか。どうしていまこの時期に、中国に戦争をしかけてまで、すでに実効支配している尖閣諸島の領有権を、認めるはずのない中国に認めさせようとしなければならないのだろうか。いったいそんな必要性、緊急性がどこにあるというのだろう。まったくわからない。日本政府にしても、余計なことをしてくれる奴だと思っているはずだ。中国政府にしても、鄧小平が塩漬けにした問題をほじくり出して、迷惑な奴だと考えていることだろう。

 いまの日本には、中国と戦争をするに足る軍備などはない。両者には圧倒的な軍事力の差がある。石原知事としては、挑発によって引き出された軍事的攻撃に対して、アメリカが日米安全保障条約をもとに、日本と一緒に中国と戦ってくれるとでも考えているのだろうか。従来、アメリカは尖閣諸島問題にはかかわりたくないという態度を示してきた。それはいまも変わらない。前のブッシュ政権も現在のオバマ政権も、米国政府として尖閣諸島の「領土権の主張の争いには関与しない」と言っている。アメリカとしては、尖閣諸島がどちらの国の領土だろうと、自国の利益とは関係がないわけで、そんな揉め事に、アメリカ国民の血など流したくないわけである。アメリカの高官が「尖閣諸島は日米安全保障条約の適用範囲内である」と言っているとの話もある。それが事実だとしても、実際には、アメリカの利益に反するような行動をするはずがないと思う。

 仮に日本の跳ね上がりが中国を挑発しすぎ、そのため中国内の反日感情が異常に高まり、各地で暴動的なデモが多発するようになって、現政権を揺るがす事態になれば、中国政府としても軍事力を発動せざるを得なくなり、現在日本が実効支配している状態を覆し、中国が実効支配するかたちになってしまうかもしれない。だからと言って、アメリカが軍事介入をするだろうか。いま、アメリカが中国と戦争をすることは、アメリカにとって何の利益にもならないばかりか、中国を生産拠点として活動しているアメリカ資本にとっては、多大の損害を被ることになってしまう。日本政府などではない一部の跳ね上がりの軽率な行動がもたらした結果に対して、アメリカが、その国益を大きく損なうようなかたちでの介入などするわけがないと思う。

 なお、中国の大衆の暴動的な反日デモは、「日本憎し」が主な理由ではない。主な理由は、中国内での経済的格差がますます大きく、極端になってきていることや、各地の幹部がその地位を利用して不正を行ない、巨額の蓄財をしているにもかかわらず、その取り締まりが不十分であること、それを訴え出れば反対にひどい目に遭わされることなどがあって、大衆の不満が爆発寸前になってきていることにある。それらの不満を直接に表明し、行動することは、現体制への批判になるわけで、そういうデモは弾圧されやすい。しかし、反日=愛国というかたちで行なうデモは、政府としてもすぐに力で抑えこむわけにはゆかず、大きな運動につながりやすい。その意味で中国政府はこの問題に対して非常に神経質になっており、大衆の暴発を防ぐためには、やむを得ず、尖閣諸島に対する軍事行動に出る可能性も否定できない。

 もう一度言う。尖閣諸島は、日本が実効支配している。つまり、日本にとって有利な状態にある。それにもかかわらず、ここで騒ぎ立てて不利な状態になる可能性を引き出すというのは馬鹿げたことだ。石原知事の頭の中がどうなっているのかよくわからないが、韓国のイミョンバク大統領は、自身の人気が落ちてきたのを、竹島上陸パフォーマンス(人気を集めるための派手な行動)で盛り返そうとしたわけだ。石原知事もそうなのだろうか。新銀行東京の設立、カジノ構想、東京マラソンの実現、東京オリンピックの誘致(前回は失敗)などを主導した石原知事は、かなりの目立ちたがり屋であることは確かだ。しかし、彼が目立つために日本を危うくするわけにはゆかない。

 パフォーマンスで人気を得ようという政治家というものはかなり迷惑な存在である。ときにそのパフォーマンスがとんでもない方向に向かってしまうことがある。そのカリスマ性において、石原知事など遠く及ばないが、毛沢東はその晩年に、自身の影が薄まってきたからか、文化大革命をぶち上げ、国内を大混乱に陥れ、多くの犠牲者を出した。特に世の中に閉塞感が広がっているときは、単純で勇ましい言葉に乗せられ、後先もよく考えずに騒ぎ出す人たちが多くなる。大阪府の橋下市長もその種類の人のようであり、いつも勇ましいこと、歯切れのいいことを言って人気を集めている。この世界は複雑系である。多くの人に関係するものごとの決定というものは、それほど勇ましく、歯切れよくできるものではない。よほど慎重にしないと予期しないところに予期しない悪影響が出てくるものである。その意味で、政治家は慎重であらねばならない。(政治家は適当でいい。実際の国の運営は官僚が慎重にやればいい。だから政治主導など間違っているという考え方もあるかもしれないが)にもかかわらず、常に、自分自身にとって一番有利な帰属先を探し求めて動いている中央の政治家たちが、いま橋下市長に対して盛んに秋波を送っているのを見ると憂鬱になってくる。いまの政治というものは、そういう流れの中にあるのかもしれないが、危険なことだと思う。乗せられ、騒ぎ、浮かれているうちに、自分で自分の首を絞めてしまうことになりかねない。

 なお、このたびの尖閣問題とはまったく別の問題として、そんなことがあり得るかは別にして、中国が一方的に理不尽な攻撃をしかけてきた場合には、たとえ明らかに劣る軍事力しか持っていなくても、断固として反撃しなければならないのは当然のことである。そういう事態になれば、国際的な支援も得られ、その中で、アメリカも日米安全保障条約に従って、日本を支援することになる可能性はあるだろう。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿