思いつくままに

ゆく河の流れの淀みに浮かぶ「うたかた」としての生命体、
その1つに映り込んだ世界の断片を思いつくままに書きたい。

哲学について考えたこと

2012-05-14 22:41:40 | 随想

 前にも述べたと思うが、科学は、この世界がどうなっているのかその仕組を解明することを目的としている。これに対して、哲学は、世界に意味を付与し、価値付けを行なうことをその主要な目的の一つにしていると思う。本質的に、この世界は、それ自身があらかじめ意味や価値を持っているわけではない。意味や価値は、人の意図や目的があって初めて生まれる。人はどの時代に生まれるか、どの国に生まれるか、どういう両親のもとに生まれるかなどによって、生きてゆく環境としての世界は大きく異なる。持って生まれた資質も当然に異なる。したがって、目的や意図が人によって異なるのは当然であり、そうであれば、世界の意味や価値が人ごとに異なるのは当然だと言える。世界の意味や価値は人の数だけあることになる。そうなると、哲学による世界の意味付けや価値付けというものは一般性を持っては成立しなくなってしまうように見える。

 しかし、一方で、この世界の物理法則はすべての人にとって同じであり、そこから逃れることはできない。また、人の生物学的仕組みも、個体差はあるがほとんど同じである。環境としての自然条件は地域によって異なるが、それは個人的なものではない。一定の範囲の人にとっては共通のものである。そうなると、それら共通のものとの関係の中から、共通の意図や目的というものも当然に生まれることになる。たとえば、人は食べなければ生きてゆけない。そこから食べるということに関する共通の意図や目的が生まれる。また、ある自然現象が人にとって脅威になるとき、そこから逃れたいという意図や目的も共通のものになると考えられる。

 さらに、人はこの世界で孤立して生きているわけではない。人は人との関係の中で生き、社会というものを構成して生きている。自分は社会とは完全に無縁だと思っている人でも、完全な自給自足をするにはよほど特殊な条件が必要であり、普通は、その衣食住について、他の人の作ったものを入手して生活しているはずである。人が社会を構成している限り、そこに持つべき共通の意図や目的が存在する。反対に、それがなければ社会は成立しない。

 ルソーの言う「一般意志」は、同じ自然的条件の中で生き、社会を構成している生きる人間が持つ共通の意図や目的から生まれるものではないか。それを基に、社会を成立させるために結ばれる暗黙のあるいは明示的な契約が「社会契約」だと言うことができるかもしれない。

 このように、人の意図や目的に共通性があるとすれば、哲学は一般的な意味において、世界に意味を付与し、価値付けを行なうことができることになる。

 ところで、哲学は、あの世ではなく、この世について考えるわけなので、まずこの世界についての知識を十分に持つことが当然に必要になってくるはずだ。その対象について無知な人がする議論ほどつまらないものはない。科学の進歩によって、この世界の仕組みがどんどん明らかになり、人のこの世界に対する知識は広がり、深化してゆく。また、人の絶えざる活動の中で、その生活環境も変化してゆく。哲学がそれらを反映しないとすれば、この世界で生きてゆく人にとってはあまり意味がないものになってしまうのではないか。

 懸命考えている哲学者の頭の中にある材料は、実はその時点までに彼が獲得した範囲の知識や経験でしかない。人類として見ても、この世界について今までにわかったことは、そのごく一部にすぎない。わからないことが無限に広がっている。そういう認識が必要だと思う。世界に関する知識の拡大、深化、そして変化を続ける環境の中で、それらとは関係なく普遍的に成立する究極の根本原理などというものを求めてはならないと思う。(哲学:世界や人生の究極の根本原理を客観的・理性的に追求する学問。『小学館国語大辞典』)

 このことは、この世界の意味付けや価値付けが無意味だと言っているわけではない。人が生きてゆくためには、いろいろな場面で判断が必要である。そのために、意味付け、価値付けは必要である。そして、その判断には、それぞれの場面でタイムリミットがある。すべてがわかるまで(そんなときは永遠に来ないが)判断を保留することはできない。わかっている範囲で判断をするしかない。そのとき、哲学が、一定の範囲で一般性を持った意味や価値の基準を提供できるとすれば、哲学というものは大変有用なものだと思う。宗教も、そのような基準(こちらは普遍的な、つまり、世の中がどう変わろうと常に成立するものになるが)を提供する。しかし、思考停止的に、すべてを神などの超越的存在に帰してしまう宗教が提供するものよりは、哲学が、科学的方法で明らかにされた世界に関する知識を基とするなら、そこから提供される基準の方が、より適切な判断を導くことができると思う。



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