思いつくままに

ゆく河の流れの淀みに浮かぶ「うたかた」としての生命体、
その1つに映り込んだ世界の断片を思いつくままに書きたい。

小選挙区制について

2012-12-23 23:19:30 | 随想


 今回の選挙では、マスメディアの予想通り、自民党が圧勝した。その中で、あらためて小選挙区制という制度の問題点が浮き彫りになった。小選挙区の議席数は300であり、今回の選挙で自民党が237、公明党が9(合わせて246)議席を獲得した。それに対し、自民・公明以外の政党は合わせても54議席しか獲得できなかった。比例区(180議席)を合わせると、自民+公明は325議席となって、衆議院の議席総数480議席の2/3である320議席を超えた。衆議院を通過した法律が参議院で否決されても、再び衆議院で出席議員の2/3以上の賛成を得られれば、法律は可決する。(憲法59条)自民党は国会において、大きな力を持つことになった。

 ここで小選挙区における得票数と獲得議席数を見てみよう。自民党と公明党が獲得した票数は26,692,148票(自民25,806,267票、公明885,881票)であり、非自民・公明の各党が獲得した票数の合計は32,781,175票となっていて、後者の方が6,089,027票多い。それにもかかわらず、獲得議席数は前者26,692,148票に対して246議席、後者32,781,175票に対して54議席であり、獲得票の少ない方が、多い方の5倍近い議席を獲得している。



 いったいどうなっているのだと思うのではないだろうか。これが小選挙区制の大きな問題点である。たとえば、ある選挙区にA、B、C、Dの4党が候補を立て、争ったとする。その得票率がA党は30%、B党は25%、C党は25%、D党は20%とすると、A党のみが議席を獲得し、A党は「イヤだ」と表明した残りの70%の票は死に票となってしまう。立候補者が多くなるほど、力が拮抗すればするほど、死に票が多くなってしまう。民主的決定の基本原理である「多数決原理」がここでは崩壊している。このような条件のもとでは、国会で決定されたことについて、民主的に決定されたとは言えなくなる。決定の正当性がなくなる。そのことは、議会制民主主義そのものを脅かすことになる。

 今回の選挙は、いつになく立候補者が多く、極端な結果が出てしまったようだ。投票者の過半数は自民・公明の政策に賛同しなかったにもかかわらず、自民・公明は自らの政策を強行する力を獲得してしまったことになる。安部自民党総裁は、そのことをきちんと理解しているのだろうか。(テレビであの人の顔を見、発言を聞く限り、たぶん理解していないと思う)投票した人の過半数は自民・公明に対して「No!」と表明しているのだ。それにしても、どうして自民党は安部氏のような人間を総裁にするのだろう。それほど人がいないのだろうか。ネットでは、安部総裁の座席取り逆切れ事件*で、その人間としての品性の低さをあらわにしたことが話題になっている。以前、彼が言っていた「美しい国」とは、自ら手本を示したそういう言動をする人で満ち溢れる国ということだろうか。

* (12月15日朝日新聞)自民党の安倍総裁が遊説のため、静岡県内をJR東海道線の普通列車で移動中、初老の男性に注意される。JR職員がおさえていた席に、後から乗ってきた安倍氏が座ったため。男性は安倍氏の隣に立って苦言を続ける。安倍氏はしばらく聞いていたが、「だから、すみませんって言ってるじゃないか」と怒り、その後は座ったまま目を閉じる。男性は隣に立ち続けた


 さらに、投票率の問題もある。今回の選挙の投票率は59.32%であり、小選挙区制が導入されてから、過去最低の投票率だった。投票総数が約5,900万票なので、約4,000万人の意思は不明だということになる。その中には、自民党も含め、どの党にもこの日本を任せたくないという人も多いのではないだろうか。明確な意思を持って自民・公明を選択した人は、全有権者である約1億人のうちの約27%に過ぎない。したがって、自分たちは国民の多数に信任されたのだと勘違いをして、強引なやり方をすれば、社会的混乱を招くだろうし、次回の選挙ではまた大敗を喫することになるだろう。

 また、今回の勝利は、自民党の何らかの実績が評価された結果では決してない。単に、民主党が失敗しただけである。自民党は民主党の失敗を攻撃してきただけである。東日本大震災、福島原子力発電所の事故という日本にとって未曾有の危機の中で、党派を乗り越え、一致団結して危機を乗り越えようと行動したわけではない。昨年は菅首相を攻撃して辞任に追い込み、この1年は、「いつ解散するのだ。確約しろ!約束しないと法案を通さないぞ!」と衆議院の解散を強く迫ってきただけではなかったか。政治というものは、この国を少しでも住みよい国にすることが目的ではなく、敵の失敗に乗じて自分が権力をとるゲームのようなものなのだろうか。

 少し話がずれてしまったが、小選挙区制は、国会に民意を反映させる制度ではないということが、今回の選挙ではっきりとした。(小選挙区制が導入された時からそれはわかっていたのだが)わずかでも有利なものが決定的に有利になるという制度であることがわかった。なお、今回の選挙では、1票の格差が最大で2.43倍となり、選挙そのものが無効であるとして各地で訴訟が起こされている。たしかに、そのことも選出議員の正当性を損なうものである。しかし、今回の選挙の小選挙区において、議員1人あたりの平均得票数を計算してみると、自民・公明の議員は108,505票であるのに対し、非自民・公明の議員は607,059票となっている。つまり、議員1人に対する票の重みの差が6倍近くある。たとえ小選挙区の区割りを見直し、1選挙区あたりの人口を等しくしたところで、1選挙区から1人だけを選出するという方式を採る限り、結果としての票の重みに大きな差が出るという問題は解消しない。

 この問題を緩和する手段として比例代表制も合わせて導入されているわけだが、結果は見ての通り、自民・公明の議員だけで、衆議院の2/3以上を占めている。小選挙区への議席割り当て数が多すぎて(小選挙区300、比例区180)、その機能を十分に果たせていない。問題解決に向けて、まずは、中選挙区制を導入し、1選挙区について、2つ以上の議席割り当てをするべきではないか。小選挙区制よりはまだましだという意味においてではあるが。アメリカのように2大政党を拮抗させながら国政運営をするのがよいという考え方が示されたことがあったと思うが、中選挙区制にすることで、それに近いかたちにできる可能性もある。

 しかし、実は現在の議院内閣制にはもっと深いところに問題がある。それは、既存の政党が、社会のそれぞれの部分を構成する人たちの意思を代表できなくなってきているということである。その理由は、既存の政党そのものが堕落したり、変質してしまったりということではなく、人々の意識が多様化してきたことにあると思われる。多くの人が棄権するのは、どこの政党も自分の意思を代表している気がしないからであり、そんな政党、そこに属する人に、選挙というかたちで積極的に指名して、自分の生活に関わる事がらを任せる気にならないからだと思う。今回のように多数の政党が乱立したのも、人々の意識の多様化のひとつの現われではないか。したがって、そういう意識を反映させることができるような制度を創出してゆかないと、この問題を解決することはできないと思う。中央集権的な制度はもう限界にきているのではないだろうか。地方分権は、問題解決に向けてのひとつの方向を示すものではあるが、そこには地域ごとの地勢的な格差という問題があり、それを含めて考えてゆく必要がある。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿