明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

全国迷所紀行 (4) 伊豆編 2

2016-03-04 21:00:56 | 歴史・旅行
(2)夏の湯河原
昔のことになるが、高校の仲間と夏を面白おかしく過ごそうと湯河原に1泊して遊んだ事があった。車は当時は持ってなかったので、確か電車で行ったと思う。海に入ったかどうかは定かでは無いが、あちこちぶらついてから新聞の厚生施設かなんかに泊まった。仲間の一人が父親の関係でタダだったと記憶している。

湯河原は今も当時もちょっと洒落た保養地で、熱海が表玄関なら裏口の秘密の部屋という感じであった。湯河原と聞くと何となく芸者の登場する森繁の社長さんシリーズを思い浮かべるだろうが、実際は我々高校生ごときに夜の遊びがわかるわけもなく、夕食後はマージャンをすることになった。四人のうち二人は見よう見まねの初心者で時間のかかること、しかもかけ麻雀はした事が無いというドンジャラがお似合いのレベルだったが、何とか2周してお開きまでこぎ着けた。後は酒を飲んで寝るだけである。

乾き物を何袋か開けてウィスキーを水割りで飲みながら、小学校の誰それは可愛かったがお前は振られてどうしたこうしたと、順番にからかい合って話が盛り上がった。僕ともう一人は同じクラスの新聞部にいて、夜中にガリ版刷りをやって締め切りに間に合わせた事があった。今思うと、小学生なのに何という責任感だ、と感心する。この頃から目標に向かい何とかやり遂げて達成する喜びを、誰に聞くわけでもなく実行していたのは驚きである。

時間をかければ出来る仕事と思えば、それは誰よりも自分に向いている仕事であった。本人はそう思っていたが、他人には時間内に終わるとは思えない仕事だったのかもしれず、僕が作業を手早くこなしていたのだろう。僕は事務能力、とりわけ書く仕事には自信があった。将来コンピュータをやるとは夢にも思ってなかったが(コンピュータという概念がそもそもなかったが)、これも事務能力の1つ、才能があったのかもしれない。

三つ子の魂百までというが、人間の向き不向きは意外と小学校の時には既に芽生えているものだと思う。見る人が見れば自ずと才能は現れるものだ。それを間違うと人生の迷い道に紛れ込んでしまう。教育と言い才能を伸ばすと言うのは読めば簡単だが、良い大学に入れるやうにと、単に型に嵌めるだけのロボット製造では、血の通った人間を育てる事は出来ない。僕は思ったより上手くいった方であろう。

安いウィスキーをガブガブ飲んだので、目が回って早いとこ布団に入って寝た。しかしなかなか寝付かれない。しょーが無いのでまた起き出してちょっと飲んでたら誰かが起き出してテレビをつけ11PMを見始めた。「旅の楽しみはコレだよ、コレ!」。家では中々見れない番組だが、旅先では何の制約もなくアッケラカンと繰り広げられる他愛の無い映像に、高校生の夏の夜は過ぎていった。翌朝になって残りの二人からブチブチ文句を言われたのは心外であったが、「別にこっそり見てたわけでも何でも無いよ、なぁ?」と同意を求めるS君にしつこく愚痴をこぼすi君はもともと性格がシツコイのだが、この時は余程悔しかったのかしばらく愚痴っていた。

湯河原の思い出はそれだけである。なんとも盛り上がらない話だ。湯河原というのは付け足しで、仲間四人の思い出の一つと考えた方が当たっている。後から知ったのだが、海から上がって来るi君と、四人並んでいる僕らの写真が出てきたので、この時やはり海に入っていたようだ。記憶というのは曖昧なもので、そこで写真が活躍する事になる。やはり写真は撮っておくことに越した事は無い。出来ればキャプションもしっかりと付けて置きたい。「この人誰だっけ、もうちょっとで出るんだけど、ほらアレやってる人」。歳とればとるほど、良くあるんです。

次回は(3)十国峠はカレーがお勧め、です。

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