明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

バスケットボールのコーチは何故あんなに下品なの?

2016-03-03 20:00:51 | スポーツ・ゴルフ
こないだシャンソンと東芝の試合をテレビで見た。シャンソンの3ポイントが面白いようにズバズバ決まる。前半の早い時間だけで31対6、決まりだと思った。ハーフタイムでチャンネルを変えようかなと思ってリモコンに手を伸ばしたら、東芝のコーチが画面に写って何やら怒鳴っている。あんなに3ポイントを決められてどうこう、と言っているように聞こえる(違っていたら謝ります)。またいつもの説教だと思って、嫌な気分になった。どうしてバスケットのコーチって選手の気持ちを受け止める事ができないで怒鳴りつけるだけなんだろうと悲しくなる。先日イジメで自殺した中学生の事件もバスケットだったと思い出した。大体バスケットのコーチは「走れ!」と言うだけで、戦略だの戦術だのというのは無いように見える。今時鬼コーチでもないだろに。

これは先生や先輩から受け継いだ一種の負の遺産・伝統なんだろうけど、傍目に見ていて下品である。「お前!」とか「バカヤロー!」とか「何やってるんだ!」とか、実に聞くに堪えない。選手は選手なりに努力している。しかし試合だから上手くいかないこともあるだろう。苦しい時にもう一歩、もう10センチの努力をすれば勝てるのに、それが難しいから負けているのでは無いか。それを出来るようにするのが日頃の練習であり戦略・戦術であり、研究・工夫であるはず。そのためのコーチじゃないのか。もちろん日頃の練習その他のことはテレビではわからない。しかし普段の練習時の態度がそのまま試合に出ると見るのが普通だ、だとすれば、普段から声を枯らして怒鳴りまくっているのだろうと想像しても、さほど間違いとは言えない。コーチも人間だが選手も人間である。シュートを落としたからといって、いちいち怒鳴られては選手も立つ瀬が無いではないか。

先日別の番組で、世界最高峰のバレーボールチームのコーチが日本の高校の生徒を教えると言う番組があった。そのコーチは叱るより選手の良い点を伸ばすような指導を、技術と考え方の両面で行っていたように思う。生徒の一人はバレーボールに対する考え方が変わったと言っていた。思考が、体力勝負の運動能力自慢から、シチュエーションに合った体の使い方・戦略戦術に合わせた動き・フェイントの掛け方などの「考えるバレーボール」にシフトしてたのだ。バレーボールが面白くなって来たという。もちろんそうなるには体力が大事である。だが目的があっての体力である、サッカーでも意味があって無駄走りする。もし意味がわかっているなら怒鳴っても無駄だ、力が足りないのである。もし意味がわかってないのなら怒鳴るよりまず説明が先だろう。プライド云々の精神論は、人によって頑張る言葉が違うから何とも言えないが、それで勝てるというものでも無いと思う。

もっとバスケットのコーチがオシャレで颯爽として、まるでNBAのコーチのようだったら、と思う。選手は皆んなテレビやネットで見てるはずなのだ。日本の実業団も、見習うべきはまず悪しき伝統の教育スタイルではないのか。疲れて犬のようにボロボロになっている選手達の行き場の無い無力感が、コートの上に飛び交う罵声にかき消されるようなことが二度とない事を祈る。


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