明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

537:杉田水脈議員のLGBTは生産性なし発言の新解釈

2018-07-30 22:32:51 | 今日の話題
まず杉田水脈議員のLGBT発言は自民党の暗黙の支持があってのことではないか、という大方の憶測を考えてみる。杉田氏の意見を「人それぞれだから」と放置した二階幹事長は勿論のこと、安倍首相等自民党の首脳部はこの件について「何もコメントをしていない」ようである。杉田氏の議員としての進退については安倍政権は触らずにこのまま放っとくことにして、次の選挙では「出来たら他の候補者にしよう」と考えているのじゃないだろうか。あくまでも議席数確保である。それにしても他人事のような自民党の扱いは、いつものことだが不審である。事が金に絡む話じゃないからだろうか。それともLGBTはそもそも議員の方々から見れば「おかしな連中=あぶれ者」という認識で、相手にするほどのことではないという判断なのか。

今回の騒動で自民党はLGBTの人やその支援者・擁護者・賛同者を「本気で」怒らせたと思う。政治家が余り重大に考えていないというのは最近のネット炎上具合からみてもどうも不思議だが、これは人種差別と同じ類の「ヘイト発言」だというのが分からないのだろうか。財務次官のセクハラ発言とは余りに違う「お偉いさん」の対応は、マスコミも含めマイノリティの人に対して余りにも無関心ではないだろうか。

自民党の主流派の人々に、国民を「自分たちの国を構成する人々」と「その人々に奉仕しておこぼれに預かる人達」と、そして「役に立たず必要ない使い捨ての人々」との3つに分けたうえで、必要ない人は税金がもったいないから排除しよう、とする考えが出てきていることである。これは戦後久しく見られなかった最近の流れである(戦前はこれのオンパレードであるが)。自分たちと考え方が違う人を「問答無用に必要ないと切り捨てる」ならば、切り捨てられる側の人々にとっては自民党は「もう国民の声を代表する政党」ではないと見限るしか無い。国民が「分断されて」しまったのだ。

これって、どこかで聞いたような言葉だなとお気づきの人は、鋭い感性をお持ちの人である。いま流行りの表現でもあり、アメリカやイギリス・EUや中国・ロシアなど「皆そう」である。だから日本もそろそろ必要ない人々には「明確にNO!と言うべき」だ、と方針を切り替えたのだろう。NOと言ったからといって「支持率が下がるわけではない」とタカを括り始めたというわけである。ニュースの取り上げ方はバラバラである。紀州のドンファン変死も一時は連日のように取り上げていたが、最近はトンと聞かなくなっている。人の噂も75日というが、単なる噂と国を左右する重大事件を「ごちゃまぜにしちゃあ」困るんではないだろうか。

このヘイト発言に対しては、芸能人がしきりに反応している。これも職業柄からなのか、もともと異能の集団と深い関係があるからではないだろうか。まだ一般の社会ではカミングアウトしない限り「なんとなく分かるか分からない程度」で身近なものではないようだが、それは彼等が人前ではひっそりと息を殺して生活しているからである。時々ニュースでLGBTの人の本当の苦しみを取り上げているが、それは決して「自ら選んだものでも自業自得でもなく」、言わば生まれた時から神様によって与えられた責め苦である(らしい)、と彼等は一様に訴える。この、自分ではどうしようもないという所が「まず理解の第一歩」であるのだ。

LGBTを気持ち悪いと思うのはその人個人の勝手だが、LGBTは本人が自分から選んだものでない以上は、その気持ち悪さを「こちら側も克服しなければ」立派な社会人とは言えないのではないだろうか。過去に遡れば「砂の器」に描かれたハンセン氏病や温泉を断られた籟病の例もあり、自分がその病気になってみないとその辛さは分からない。私も脳梗塞を患ったが、少なくとも「気持ち悪い」と思われることはなかった。見た目が普通と変らないので大丈夫だったのだ。だがLGBTは「見た目が普通」なのに、得体の知れない変質者のような「精神的な一種の病気」と昔は考えられていたのだ。

では、LGBTはほんとに「病気あるいは何らかの医学的な異常」なんだろうか。2015年に電通が行った調査で7万人をアンケートした結果では、LGBT該当者は8%弱である。つまり、1割近くの人(それもキチンと自覚している人)がLGBTだということになる。これは日本人のAB型の割合と同じではないか!。私はB型であるが、マイノリティという「括り」で一緒くたに「変わり者扱い」されるのには無性に抵抗を感じる。ましてやAB型の人においては普段さぞかし腹立つことであろう。血液型ですらこの差別である。会社によっては、入社選考時に血液型を聞く所もあるという。

ちなみに、私の会社は会長の奥さんが「B型」をエラく気に入っていて(そのせいでO型が割食っている)、周りを見渡してもB・ABが異常に多いのだ。ちょっと偏っていると思うが、しかし入社選考で血液型を考慮するってのは「差別」にあたる行為だと労働基準局に認定されかねない。アメリカあたりでは、今や性別はもとより「年齢」すら差別対象語として忌避されているというから、勿論「血液型」などはもっての外なのだ(自分の血液型を知らない人がほとんどらしいけど)。

もしかして遺伝的には、今やLGBTというのは全個体から一定の割合で生まれてくるものであり、男とか女という既存の性そのものが「幅のあるスケールの中の両極端」という位置づけになって来ているのかも知れない。つまり普通一般の男であるあなたは「マッチョでムキムキの男らしい人」から見れば、「草食系男子」であり、さらに言えばもしかしたら「女みたいな弱々しい男」と思われているかも知れない。では「女みたいな男」というのは「変態として排除されるべき」存在なのだろうか。こんなことを言ったら「とんでもない!ふざけるんじゃないぞ!」、とあなたはいきり立つであろう。では実際に、どこからどうやって線引きするのか、ここが差別する側の論理的ポイントである。

杉田氏の「LGBTは生産性がない」という主張をもう一度ネットで調べてみると、要するに「LGBTだからといって支援に多額の税金を使うのは如何なものか」ということのようである。趣旨は、税金の使いみちを「より生産性の高い分野に回そう」ということで、このこと自体は「どうってことのない、下らない議論」に過ぎない。だが杉田氏の主張にはLGBTを「変な人、として切り捨てる考え」が当然にように前提に入っていて、「生産性のない人には支援は必要ない」がもともとのテーマだということが分かるのである。私個人としては、LGBTがどうこう言うより前に「生産性という何かの指標を使って人を切り捨てる」という杉田議員の考え方「そのもの」が、いわゆる皇国史観やファシズムや全体国家主義などの戦前に流行った「国体至上の教育」を思い起こさせてこの上なく不快なのだ。勿論人それぞれであるから、杉田氏にも言論の自由はある(残念だが)。

原理原則を言えば、人間は「何かの役に立たなければ価値がない」のではなく、人間であること「一つの生命であること」そのことだけで「生きる価値」があるのではないでしょうか、それが憲法上で保証されている「基本的人権」の意味だと私は思っています。つまり人間の価値というのは誰か他人の偉い人がご褒美で分け与えるものではなく、本来的に持って生まれ来た、他人が冒すことのできない「その人個人だけのもの」、なのではないでしょうか(これ、自分で考えたフレーズだけれど、凄いグッと来るグレートな言葉だよね)。杉田議員の問題点はLGBTだけの問題ではなく、もっと重大な「基本的人権についての恐ろしい勘違い」の問題だった、と言えるのだ。自民党がこの大問題に無関心でいるということは、そもそも自民党が安倍首相の就任以来大きく全体主義に舵を切り、それまでの自由で民主的な政治から変節して、大きく戦前回帰していることとリンクしているのである。

自民党では石破氏が、杉田氏の「LGBTは生産性ない」という主張を講演会で批判している。今秋の総裁選挙を睨んでのことと受け取られているようだが、私は発言者が誰であれまた目的が何であれ、「正論である」ことは十分に評価されるべきだと思うのだ。いまや自民党の内部でまともな意見を言うのは「石破さん一人」ではないか!。まあ私はアンチ自民党だからどうでもいいのだが(というか手も足も出ない)、こういう不祥事が起きるたびに「不祥事を起こした責任」と「党の議席を守る」ことが一緒になって、国民に対しスッキリした解決ができないのは如何なものであろう。私は門外漢ではあるが、ここで不祥事を起こした議員の進退に関する「素晴らしい解決方法」を提案してみたい。

それは、問題になっている議員を即刻クビにして、「同じ党、同じ派閥から一人補充する」のである。つまり問題議員は職を失うが、安倍首相等の最も大切にしている政局には「関係ないよう配慮出来る」とするのである。これなら安倍首相も心置きなく杉田水脈議員をクビに出来るであろう。二階幹事長も分けの判ったような会話を発表しなくても、「このような恥知らずな若手議員は議員辞職が妥当」だぐらいの、国民の気持ちに沿った「見識ある判断」を披露出来るのである。また、二階幹事長はそれが出来る人だと私は高く買っている。

アメリカでは人種差別撤廃の公民権運動が長い間辛抱強く続けられていて、黒人やヒスパニックの人々からも才能ある生産性の高い人々が多数輩出されるようになり、アメリカ文化の多様性に大きく貢献しているのは皆さんもご存知であろう。だが、黒人やヒスパニックで才能のない普通の人々や、「あっても教育環境が悪いせいで」才能を開花できない人々は、未だに差別され「法の下に虐げられて」いるのである。無抵抗で無実の黒人が、警察官により射殺や圧殺される事件が頻発して、各地でデモが起きているのはニュースで知っているであろう。トランプ大統領のアメリカファーストというスローガンが、逆に押さえつけられていた下流白人の暴力を復活させたのだ。

私は基本的にトランプの世界戦略を「これからの世界の勢力図を変える大戦略」と見ているが、そのことについてはまた別の機会に書くことにする。今日は杉田水脈議員の発言に関して、「基本的人権とは何か」を取り上げてみた。彼女の発言は単なる「LGBTと生産性」の問題に止まらず、もっと根本的でもっと大きな「政治と個人」という議論を呼び起こしてしまったのである。いわば憲法問題を議論することになってしまったのだ。果たして自民党はこの大問題を「どのように決着つけるのか」。私はこの問題は森友・加計学園問題以上に「広く深く、国民全体に波風を立てる」ことになると感じている。

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