明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

国家公務員が市民を恫喝する悪弊

2016-03-08 20:00:43 | 今日の話題
1 上野警察の恫喝
昔話をしてみたい。ある晩、残業して12時近くなりコンビニで夜食を買おうと思って自転車で会社を出た。大通りを行き横道に入って少し行った所で後ろから追い掛けて来た警察官に呼び止められ、自転車の登録証を確認して何事もなく、また自転車に乗ってコンビニに入ってあれこれ品物を選んでいた。その時店の入り口でさっきの警察官とどっかのおばさんがいて、証言してくれとかなんとか言っていたがおばさんが嫌がって結局帰って行った。つまり僕が自転車の所有者で犯罪者ではなかったのに「誤認逮捕みたいなこと」をやらかしたので、今度は夜間のひと気の無い「信号無視の罪」で引っ張ろうと言う「腹いせ逮捕」を計画したのである。僕は実害が無いのでそのまま会社に帰ったが思い返すと腹が立ってきたので、いっちょ文句を言ってやろうと考え上野警察に電話をかけた。担当の人が電話に出て、どういう経過かは忘れたが事のあらましを説明していると、突然相手が怒鳴った。
「それじゃ自転車泥棒なんか捕まえないが、それでいいか!」
僕は先程の警察官が「腹いせ逮捕」をしようとした件を文句言っているのに、市民から防犯活動のクレームを付けられたような対応で心底驚いた。警察官はおしなべて頭が単純で、向こう見ずな正義感と自分が市民の生活を守っているといった思い上がりの優越感と内容無視の検挙件数を競う閉鎖的団体である。全部がそういう警察官ばかりでは無いと思うが、体質は市民を守ると言いながら実は市民を「守ってやってる」という、江戸時代以来の「お上体質」から一歩も抜け出していない。どんな顔してこういう事をいうのか本人を見てみたかったが、しばらくは腹の虫が収まらなかった。

2 千住警察交通課の恫喝
ある時、家に帰るつもりで千住大橋の側道を歩いていたら横から出てくる道の出口の真ん中にパトカーが停めてあって道路を完全に塞いでいた。歩く人は邪魔だけどパトカーなのでわざわざ側道の方を回って通っていた。僕は立っていた警察官に「こんなところに停めていたら邪魔じゃ無いか」と注意した。ちょっと場所を変え少し側道に出るだけで交通の障害にもならず市民の行動もスムーズになるので注意したのだ。そしたら警察官が言うには「警察車両は交差点の真ん中に停めてもいいんだ!」であった。そりゃなんだってケースバイケースである。警察車両に限らず時と場合によっては、通行に邪魔であっても停めざるをえないことがあるだろう。しかしそういう事を言っているんじゃなく、停める位置を少し変えたほうがみんなの邪魔にならなくていいと思うけど、と言ってるだけなのだ。もう少し配慮が欲しいね、と言うところである。なのにこの警察官は自分が非難されたと考えて、自分は間違っていないという事を言って市民を黙らせようとしたのである。「俺たちをなんだと思ってるんだ!お前らを守ってやってんだぞ!」とでも言いたげである。一体何様のつもりだろう、法の執行が役目の警察官がこんな考えだとは驚くのを通り越して悲しくなる。

3 労働基準局の恫喝
時間外労働の割増手当を調べていて、1日8時間以上の労働をさせた場合は割増賃金を払わなくてはならない、ということがわかった。僕の会社は月ー金の週5日労働なので、土日は休日出勤になる。土日は休日出勤手当が出るので土日の更に8時間オーバーの場合はどうなるのか、労働基準局に電話を掛けて聞く事にした。僕の考えでは、休日出勤は割増賃金が払われるが8時間オーバーも割増賃金である。もし両方同じ割増賃金の場合は8時間オーバーという条件がなくなってしまい、土日は何時間働かせても賃金は同じという妙な事になってしまう。だから土日の8時間オーバーは、ベースの割増賃金の「更に割増」を払うべきだと思った。そしたら労働基準局の担当者は「そんなに金が欲しいのか!」と怒鳴った。僕は労働基準局というのは、労働者から経営者が搾取されないように基準を守らせる役所だと思っていたからビックリ仰天して絶句してしまった。お金を欲しく無い労働者がいたらお目にかかりたいが、ただ割増計算の考え方を労働基準局から分かりやすく教えて貰おうという市民の質問に対し、ひたすら金をせびる自堕落労働者に浴びせるような罵詈雑言を発したこの担当者は、自分のやっている事が労働基準局職員の服務規定違反だと思わないのだろうか。単に「労働基準法では時間外労働の規定しかなく、休日出勤も時間外労働として扱う」と説明すればいいのに、なぜ怒鳴る必要があるんだろう。やはりこの担当者は、自分は偉いと思い込んでしまった役人根性が抜けない古い人間なんだな、と思う。こんな「お上意識」が蔓延しているかと思うと、暗澹たる気持ちにならざるを得ない。

私の警察官に関わる記憶は、以上である。60年以上で3件だから、少ないといえば少ない。それぞれ随分前の話なので今は大分改善されていると思うが、やはり根本的には直ってないのじゃないかと思う。基本的なところが間違っているから、いつまでも直らない。その間違いとは
1 警察は悪から市民を守る正義の味方ではなく、法を代執行する公務員である。正義感から職務を遂行すると、相手をまず「市民か、犯罪者または予備軍のどちらなのか」を判断し、それから市民(と思った方)を犯罪者(と思い込んだ方)から守る、という行動に出る。これが諸悪の根源である。市民と犯罪者の分かれ目は、見た目ほどはっきりしているわけではない。また、市民か犯罪者かは「裁判所が決める」ことである。だから警察官の仕事は事件を未然に防ぎ、起きてしまったら「犯人と思われる人」を逮捕することである。それだけ。正義感は警察にはいらない。

2 警察は容疑者を逮捕・送検するのが仕事で、容疑者を取り調べて犯罪を立証するのは検察官の役目である。だから犯人を追いかけるために努力はするが、サッサと送検して次の事件の捜査に当たるべきである。テレビドラマでよく見るように「犯人を落とす」のは、警察の業務から外すべきである。送検して結果無罪になったら「良かったね」といってそれで終わり。仕事だから謝る必要もないし、わざわざ冤罪を作って「警察のメンツ」を死守する事もない。捕まえたら99%は有罪なんておかしいでしょ。検挙率も高過ぎる。もっと単純に事務的にするべきである。犯罪に対する被害者の怒りに乗っかって「犯人は絶対許すわけにはいかない」たどと正義感を燃やす検察官は、冤罪や違法捜査と紙一重である。

3 市民の側も警察に多大の期待をかけ過ぎてはならないと思う。検察官もただの人である。我々と寸分変わらぬ一般人である。職務上は一般人と異なる服務規定があるにしても、正義感や遵法精神は我々と変わるところはない。警察官なのに酒飲んでとか、警察官なのに競馬やってとか、まるで警察官は天使のように持ち上げる市民がいるが、警察官は人間であり酒も飲むし競馬もやるのである。ただ仕事が警察官というだけである。だから普通に「犯罪も犯す」。

警察官を普通の人間に戻すところから改革をしなければいけないと思う。難事件の犯人を逮捕し解決に導いた警察官は拍手喝采で迎えられる、というのもキッパリ止めて報道もあっさり「逮捕されました、これで一安心」程度で終わらせること。警察も事務的に処理し、打ち上げでしこたま飲んで酔っ払って看板を壊してしまった、くらいで丁度いいと思わないといけない。正義感は市民の間では必要だが、警察も検察も正義感は必要ないと思う。単純に法に則って仕事をするだけがいい。結局はそれが一番安全である。

そもそも正義感というものは中身がない。「あのヤロー、このまま許しちゃおけねぇ」と言うのが正義感の正体であり、言葉の遊びのようだが「ヤクザにも正義がある」ので、つまり実際のところは「正義感はトラブルのもと」なのである。最近は裁判員裁判といって一般人も参加するようだが、正義感で裁判しては「リンチ」と変わらなくなってしまう。だから裁判は「法に則って」判断するのである。厳密に法を適用すれば、正義感など入り込む余地はなくなる。それが法である。市民が権力者から自分の身を守るために作り出したのが法による裁きであることを肝に銘じて、少しぐらい犯罪者が罪を逃れてもしょーがないと思って「丁度いいバランス」なのだ。それでも不安な人は、警備会社やボディガードを雇うのがお勧めである。検挙して送検するが裁判で無罪、って例が5回に1回くらいで丁度いいんじゃない?捕まる方も誤認逮捕だ!とか当たり前になって、それほどニュースにならなくなって捜査もし易くなると思うがどうだろう。もう少し市民を守る義務から解放してあげて、フレンドリーな警察になって貰いたい私でした。

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