いくら周り中から辞めろ辞めろの大合唱が巻き起こっても頑として知事を続ける齋藤知事の態度は、私から見ればむしろ逆に信念を持って仕事に邁進している「気難しいラーメン店主」そのままのように見えて来た。確かに彼の性格には「パワハラ的なもの」はあったんだろう。昭和の感覚で言えば「社長とはそういうもの」である。
例えば、乗ろうとしたエレベーターを彼の目の前で閉めた職員など、要するに「気の利かない部下」の見本であって、罵倒されないにしても注意はされて当然とも言える。後で「ああいう時には開けて待ってるもんだよ」とやんわり側近に言っておけば良かったのかというと、言い方は色々あるにしても「求める業務内容は同じ」なのである(まあ常識だ、とも言う)。博物館の車止めの件にしても「出来る部下」なら車止めをどけさせて入口前まで乗り付けたであろう。緊急時以外は車止めの所で下車するのが決まりだとは言っても、単に「段取り」の問題だとも言える。段取りは知事を支える中で一番重要な仕事である。
要するに彼の下にいる部下たちが「余りにも仕事が出来ない」のでイライラせざるを得なかっただけ、というのが齋藤知事の主張であろう。これは憶測だが、県政を何とか引っ張っていこうとする知事に対して「周囲は余り協力的じゃなかった」んじゃないか?
つまり、知事と「県の組織」が真っ向から対立関係にあって、今回は「公益通報」という方法でパワハラ疑惑という「搦手」から知事の引き落としを図った「クーデター」だった、というのが私の見立てである。知事としては「クーデターの仕掛け人」を処分したつもりだった。知事側は通報者が自殺したことで一転「窮地に陥った」訳であるが、問題の根っこは「県組織内部の勢力争い」なのだ。だから知事は信念を持って戦う決意なのだろう。
もし真面目な話をするなら、今回の争点は齋藤知事のやろうとしている県政の目標に対して「賛成なのか反対なのか」が議論されて然るべきである。パワハラ疑惑については彼が「職員が余りにも能力不足だ」と感じていたことに問題があるのだから、知事が我慢すれば事は済む筈。私は齋藤知事が自分の県政の方向性について「決して間違ってはいない」と確信しているだろうと思っている。そうならば齋藤知事は反対している県の職員を全員解雇し、出身元の総務省から「出来る部下」を引き抜いて周りを固めれば良かったのに、などと考えてしまう。
パワハラというのは思っている事を口や態度に出すか我慢するかの二者択一であり、本来「側に注意する人がいれば」済む話である。県職員の中で年配の人が知事を直接「諌める」事が出来ていれば問題になることはなかっただろう。そういう番頭役がいなかったことが、クーデターを呼び込んだ直接の原因だとも言えるだろう。齋藤知事は色々業績も上げていたらしいから、ここは彼が改心してパワハラを「我慢する」ことで「続投」で良いんじゃないか?。このまま不信任・解散・再選挙流れになれば、反対派の思うつぼである。
勿論、維新の会が言うように再選挙で「県民の信を問う」と言っても県民の頭の中は「マスコミに煽られて」いるから勝つ可能性は限りなくゼロだろう。次の知事は「パワハラなどしそうも無い」お飾り的な弱腰の知事になりそうだ。そうなれば県を牛耳っている「反対派=守旧派グループ」の天下になって、県政は逆戻りである。おまけに知事不信任で議会解散し、再選挙となればTBS試算で「34億円」という新たな出費が県民の財布を直撃するらしい。
今回の騒動についてそろそろ「事の本質」をマスコミは説明すべき時期だと私は思いますよ、つまり、事の本質は「権力争い」であって、パワハラを利用して知事を引きずり落とそうという「守旧派の策略」だと言う事ですね。
考えてみれば守旧派のクーデターに踊らされて「34億円」も払わされる県民こそ「いい面の皮」ではないだろうか。兵庫県民よ、今こそ目覚める時かも・・・
注)これは9月12日の記事を再度アップしたものです
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