今日は録画していた12月8日の京都嵯峨野の二尊院を見た。画面は渡月橋のシーンから始まった。もう京都は昔の京都ではない。カメラは竹林の小径へと美しい映像を流して行くが、溢れんばかりの観光客が濁流のごとくに竹林の中を滔々と動いていく。静けさも風の音も、全く似合わない竹下通りさながらの「単なる抜け道」に成り下がっていた。私が30年前の正月に訪れた時には雪の降り積もったまだ人の通った足跡が無い真っ白な雪道が、うっすらと陽の光が差し込む竹林の中に1本続いているだけだった。もう私の時代の京都の良さは帰ってこないだろうな、と感慨深いものがある。
私は数年前から和歌に親しみを持つようになり、小倉百人一首を丸暗記する所から始めてみようかと思ってたが、途中で病気になったり色々あって計画はまだ頓挫したままである。歳をとってからは、歌所尋ね歩きなんていうのも悪くないなとか思ったりしてはいるがどうなることやら。そのためには先ず奈良に居を構えなければならない。しかし東京ほど便利な場所はないらしいから、奈良みたいな超田舎に移り住んだら生活していけるだろうかとも思っている。とにかく体力作りが先決だということ。頭は別に悪くないので、勉強だけはやっておいても損ではない。で、最初は伊勢物語から始めるのが正式ということらしいので、講談社の上下本を買い込んだ。阿部俊子訳註である。別に、だからどうと言うわけではないが、まだ読まずに積んである。いつもこうなのだが仕方ない、ゆっくり行こう。
そういえば五木寛之氏の若い頃は、浅草ロック座で松竹歌劇団のインタビューなどエンターテイメントの仕事をしていたという。彼の青春時代の思い出が、70過ぎの今でも作家の個性として色濃く出ているのかなと感心したりした。彼の言葉には難しい所が全くない。悪く言えば全くの普通人である。雰囲気だけでなんとなく奥深いものを演出していて、それはそれで成功している。やはり本質は小説家なんだと思う。百寺巡礼も3回目、楽しく拝見させてもらっているが「ちょっと変わったお寺巡り」番組として、毎回録画してある。一回の番組で一回か二回、何か考えることがあればいいかなという軽い気持ちで見ると、結構面白く楽しめる番組である。今日は、五木氏も浅草ロック座で仕事をしていたということで「たけし」と同じ出身なんだなという事に、何か芸風の共通点らしきものが見えるような気がして考えさせられた。
ちなみに五木氏は二ヶ月に一度しか頭を洗わないらしい。洗髪は髪の毛に良く無いらしい、というのは彼のふさふさした髪を見るとそーかなと思えてくるから不思議である。あの髪の毛はちょっと羨ましいなというか、83歳であの髪の量は奇跡である。
私は数年前から和歌に親しみを持つようになり、小倉百人一首を丸暗記する所から始めてみようかと思ってたが、途中で病気になったり色々あって計画はまだ頓挫したままである。歳をとってからは、歌所尋ね歩きなんていうのも悪くないなとか思ったりしてはいるがどうなることやら。そのためには先ず奈良に居を構えなければならない。しかし東京ほど便利な場所はないらしいから、奈良みたいな超田舎に移り住んだら生活していけるだろうかとも思っている。とにかく体力作りが先決だということ。頭は別に悪くないので、勉強だけはやっておいても損ではない。で、最初は伊勢物語から始めるのが正式ということらしいので、講談社の上下本を買い込んだ。阿部俊子訳註である。別に、だからどうと言うわけではないが、まだ読まずに積んである。いつもこうなのだが仕方ない、ゆっくり行こう。
そういえば五木寛之氏の若い頃は、浅草ロック座で松竹歌劇団のインタビューなどエンターテイメントの仕事をしていたという。彼の青春時代の思い出が、70過ぎの今でも作家の個性として色濃く出ているのかなと感心したりした。彼の言葉には難しい所が全くない。悪く言えば全くの普通人である。雰囲気だけでなんとなく奥深いものを演出していて、それはそれで成功している。やはり本質は小説家なんだと思う。百寺巡礼も3回目、楽しく拝見させてもらっているが「ちょっと変わったお寺巡り」番組として、毎回録画してある。一回の番組で一回か二回、何か考えることがあればいいかなという軽い気持ちで見ると、結構面白く楽しめる番組である。今日は、五木氏も浅草ロック座で仕事をしていたということで「たけし」と同じ出身なんだなという事に、何か芸風の共通点らしきものが見えるような気がして考えさせられた。
ちなみに五木氏は二ヶ月に一度しか頭を洗わないらしい。洗髪は髪の毛に良く無いらしい、というのは彼のふさふさした髪を見るとそーかなと思えてくるから不思議である。あの髪の毛はちょっと羨ましいなというか、83歳であの髪の量は奇跡である。
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