1、金町
渋谷松濤町の近くの1DK のアパート暮らしを経験した私は、華やかな渋谷の喧騒を捨てて、ひっそりとした下町に引っ越すことにした。今度は金町から歩いて15分のところにある、木造平屋の4軒ほどのアパートの一室に引っ越した。家賃は2万かそこらの風呂なし6畳一間である。寝るだけの狭い部屋で、道路に面している窓が一つあるきりの安アパートだ。しかし、住心地などは二の次で、まるで頭になかったのは確かである。私が引っ越した理由はハッキリとは言えないが、ただもう「ろくでも無い」動機からであるのは間違いなかった(ご想像にお任せします)。そこから毎日御徒町の会社へと通うことにしたわけだが、結構ここでの暮らしには自分としては気楽であった。実際その頃は、テレビも見ないしスマホでSNSなども勿論ない時代であるから、遊びは全部「家に帰る前」に済ましていたのである。だから家は寝るだけ。まあ、根無草の自分には合っていたのかも。
ある時、テレビの上に置いてた実家から送ってきたミカンのビニール袋が、知らぬ間に破けて中のミカンが囓られたことがあった。一体何だろうう?と訝ったが分からなくて、その時は「変だな」と思ったがそれきり忘れていた。2、3日して窓のカーテンレールの上にポッカリ開いている穴に気が付き、壁の中から「ガサゴソ」という音が、天井裏の方へ高速で移動するのを目の当たりにした瞬間、私は全てを理解した(OH、NOォォォォ!)。慌てて手元の新聞紙を丸く固めて穴を塞ぎ、ビニールテープで頑丈に蓋をしたのである。このやろー!、ふざけるんじゃねーぞ!ってな勢いでガッツポーズを決め、ようやくフーッと息を吐いたのだった(そんな偉そうなことじゃないが)。ネズミなんて、東京に住むようになってからは見たことなかったのに、こんなところで出くわすなんて・・・、金町のボロアパートで貧困というものを初めて体験した顛末である。
そんなこんなで下町の暮らしを満喫していたが、実は金町に住んでる頃に覚えた遊びに「ゴルフ」がある。金町に引っ越す前にも、会社の付き合いで何度かゴルフコンペには出たりしたのだが、本格的にゴルフに向き合ったのがこの「貧乏暮らし」の金町だった。金町のアパートからは江戸川の河川敷の「打ちっ放しゴルフ練習場」が目と鼻の先で、自転車ですぐ行けたのである。そこにはパー3のショートコースも併設されていて、休みの日には大概クラブを担いて、暇にあかせて練習に励んでいた。実力も顧みず「ドライビングアイアン」などを中古屋で買ってきては砂混じりの地面から直にボールを打ったりして、結構腕前には密かに自慢していたのである。そう言えば何回か、友達を呼んではパー3コースを回ったこともあった。
その頃会社では私は商品管理を担当していて、仕事も面白くなってくるし段々と自信も出てきたのである。とにかく仕事に打ち込んでいて「いっぱいいっぱい」だったのは確かだった、と思う。ただ、アパートに風呂が無かったせいもあり、当時は風呂には3日おき位に入る程度で「相当異常行動」が目立っていたのではないだろうか。ある夏の日、仕事が忙しくて遅くなり、金町の駅前で中華定食を食べてから真っ直ぐ家に帰ったら、玄関の前で「会社に鍵を忘れている」ことに気がついたのである(私は鍵を無くすことは滅多に無い)。これから会社に帰るにしても、時間が遅くて既に電車は無くなっていた。仕方がないのでホームレスのように「公園のシーソー」の硬い木の板の上で、一晩寝て過ごす羽目になったのである。公園に寝ると言っても夏のことでもあり、アブが寄って来て眠れる状態じゃ無かった。それで寝るか寝ないかの状態のまま、ようやく夜明けと共に始発で会社に行った。その時は何食わぬ顔で出社したが、多分大方の社員は「また変人が何かやらかした」と見ていたように思う。
まあ30台40台の若さでは、実は他人の目が「あんまり意識されていない」こともあったのである。私はいつものように、与えられた仕事に邁進する日々であった。だが幸いなことに、この金町のアパートは1年も経たずに引っ越すことになった。別にアパート生活に不満があったわけではなかったが、まあ有り体に言えば元々の引っ越し理由が「自然消滅した」からだと言っておこう。これは私の「哀しい黒歴史」である(これで終わりでは無い!)。
2、北松戸
金町から引っ越した先は、常磐線沿線の北松戸である。ここ北松戸は、今まで数多く住所を変えた経験から言うと、この北松戸が一番「住んでいて楽しかった」思い出の場所だった。それは、住んでいる頃の生活が充実していたことも一つの原因にはなるだろう。新しく引っ越したアパートは2階建てで、部屋の間取りは覚えていないが、1Kだったと思う。1階が炉端焼き居酒屋で、ごちゃごちゃした商業施設の中にある安アパートだった。私のアパート歴はどれも賃料の安い単身用アパートばっかりだったが、又しても住環境は最悪である。しかし窓を開けると「北松戸の駅」が間近に見渡せて、電車が近づいてくるのを見てから家を出ても「間に合うか」という位近かったのが、記憶に残っていて気に入っていた。このアパートの一番の魅力は、その「日本離れしたロケーション」にある。アパートの側を運河が走っていて、運河沿いにはアメリカ西海岸を思わせるビリヤード場や古着屋など点々とあり、そこを買ったばかりの50cc のミニアメリカン・バイクで走るのが何とも楽しかったのである。建物と建物は結構間が空いていて、その間は樹木が密生した雑木林である。そんな人影の疎らな田舎道を湿気を含んだ濃い霧が立ち込めている様は、まさに映画の1シーンのように思えたのである。その中を深夜にバイクに乗って走り回った時などは、まるで「ロサンゼルスのサンセットブールバード」を疾走する若者のようで、得意満面の絶頂であった。私はどちらかと言うと住宅街の家々が密集していう地域よりは、林や川や堤防などが点在する田舎の道が大好きである。その意味でも北松戸は素晴らしい景色だった。
北松戸にはもう一つ楽しみなところがあって、運河沿いの道を抜けると「イギリス風の田園風景」の広がる一角があって、そこに東南アジア様式の「瀟洒なコーヒーハウス」があった。そこは緑豊かな畑が視野一杯に広がるもの静かな場所で、フランス風の植民地によくあるような「白い喫茶店」が、林の切れ目から小窓を見せてちんまり営業していた。中では近所の女子高校生だろうか、皆アルバイトで忙しそうに働いている。おお、これぞまさにフランスの香りがする「別世界」ではないか(と、当時の私は思った)。私は休みの日に勇んで文庫本を脇に抱え、いつもの窓際の席に座って「のんびり半日を過ごす」のが楽しみだったのである。本を読むのに飽きたらBGMに流れるクラシックを聞きながら、窓からぼんやり外を眺めているだけで「ゆっくりと時が過ぎて行く」優雅な休日が味わえたのだった。私の人生で唯一「理想の人生」を満喫できたのが、ここ北松戸である。
ちなみに何を持って理想の人生というのかと言うと、① 中庭のある安アパート ② 自転車またはオートバイで出かける ③ 郊外には丘や小川の田園風景が広がり ④ 行きつけの小さな喫茶店 ⑤ クラシック音楽を聴きながら文庫本で古典を読み ⑥ 店の主人や可愛いウェイトレスとおしゃべり ⑦ 遠くの夕日を眺めてボーッとする、である。映画で言えば「パリの空の下」といったところか。・・・私はこう見えても、意外にもロマンチックな人間なんである。
ところで北松戸で借りた部屋は、確か外階段を上がった2階だったと記憶している。そこに引っ越したのは秋だったが、冬になっても全然寒くなく、むしろ温かいので重宝した。北松戸ってのは他所と比べて温かいなぁなどと呑気に喜んでいたが、春になり夏になると「暑くて暑くて」たまらない。ある日天袋を開けたら「ものすごい熱気」がブワーッと吹き出してきた。何のことはない、1階の居酒屋の厨房の熱が天井を伝って、部屋までガンガン来ていたのだった(何て部屋だ!)。もちろん部屋にはクーラーなどあるわけ無いし、こんなんじゃ絶対冬まで持たないぞと思って、早々に引っ越しを検討したのは言うまでもない。次のアパートを探さなきゃと考えていたら、ひょんなことから姉の旦那が税金対策でマンションを購入したらしく、それを私が借りることになった。なんだかなぁ・・・。で、場所は北千住である。これで私の理想の生活は「短くも儚く消え」たのだった(スウェーデン映画「短くも美しく燃え」のパクリ。モーツァルトのピアノ協奏曲第21番のメロディが美しい!)
(続く)
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