明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

ランダムな居酒屋談義、どうせ雑談なのよ(その5)

2020-10-21 20:08:20 | 今日の話題
1、今一番欲しいもの
何を隠そう、「町中華で飲ろうぜ!」のコースター、それも紙のやつだとすぐダメになっちゃうから、プラスチックかなんかの耐久性のあるやつが欲しい。こういう、ちょっとしたもので「お金で買えないもの」って、そのもの自体の価値は大したこと無いが、一瞬仲間内で「羨望の眼差し」で見られる優越感がたまらない。ただ、一瞬で終わるから、言ってみれば「一発芸」みたいなものであるが、形が残っているだけに、家に帰ってもコースターを見る度に「ついついニヤニヤしてしまう」のは否めないのである。言うなれば、他人には手に入らないものを自分は持っているんだ、という「ささやかな所有感」が心地よい。つまり、茶の湯の「名道具持ち」と同じ満足感である。コレクターの心理とは、同じ価値観を共有している仲間同士の中で優越感に浸ることなのだ。それが他人から見れば何の価値も無いモノだとしても、である。少なくとも欲しい人が2人以上いれば、どんな物にでも起こりうる。それがたまたま私の中では、「町中華のコースター」なのだ。まあ、「無い物ねだり」の一種ではあるが、運良く持てれば「人生楽しくなる」のは間違いない。考えてみれば、お金で買えないものを私はいくつ持っているだろうか?。そんなことを考えてみると、「お金で買えないってこと自体に」こそ、本当は価値があるんじゃないだろうか・・・。

やっぱり究極のお金で買えないものは、「愛情」ですね、ありきたりだけど。

2、やっとコーヒーが飲めた
毎日コーヒーを味わっている皆さんには奇異なことと感じられるかも知れませんが、私はここに来て「やっと」ドリップコーヒーをブラックで飲めるようになりました(おおっ!)。病気をして嚥下障害のリハビリに苦労していたが、ようやくここに来て「むせない」ように気をつけながらも、麦茶を飲むことが出来るようになったのである。ここに至るまでに「6年」かかっている。まあ、回復の程度はのろのろと遅いが、まだ「治り続けている」というのは希望が持てる。そう言えば、飲み物も最初は「甘い味」でなければ「むせて」いた。気がつけばこの頃は、コーヒーにも「シロップを入れないで」飲んでいる自分に驚く。私にも再び「大人の味」が分かる日が来るなんて、人生捨てたもんじゃないね。

3、柏駅周辺で見かける変な男
正直に言うと何年か前、初めて柏に来た時、たまに見かけるこの男を「まあまあかっこいい」なと思っていた。ところが最近この男が「普通じゃない」ことに気がついたのだ。こないだ東口の階段を登っていたら、この男が「何かブツブツと独り言」を言いながらウロウロしていて、突然「柱をグーで殴って」いたではないか!。この変な男、この数年の間に精神崩壊が進んでいて、今は「危ないヤツ」になっていたのだ!。今はまだ独りで何かやっている程度だが、このままの精神状態が進行すると、今に「無関係な人とトラブル」を起こすことも考えられる。どうも仕事はしてないようにも見えるが、家族はどうしているんだろうか。駅周辺で見かけることが多いので、何か事件が起きなければと心配である。家族が説得してカウンセリングなどを受けさせるのが一番だと思うのだが、こういう人は自分が「変だ」というのを認めたりしないだろうから面倒である。精神疾患というのは本人がそう思っていないだけに、解決するのには難しい問題が残る。しかし精神疾患と言っても「病気」なことは間違いない。本人に病気だということを認めさせるのが第一で、次に、進行して手遅れになる前に「何らかの治療」を受けさせることである。柏の駅周辺に出没するこの男の場合、何らかの事件を起こすまでには、もう時間は「そうは残っていない」と私は思う。警察官にお願いして、保護するか何かした方が良いと思うけど、勿論「お前には関係ないだろう!」と言われれば、その通りである。今の時代、人権というのは「他人にそれなりにリスクのある」権利なのだ。

4、池袋暴走老人の自己弁護
ブレーキとアクセルを踏み間違えて車を暴走させ、赤信号を突っ切って、自転車に乗り青信号で横断歩道を渡っていた親子を死なせてしまった男の裁判が、結審しそうだとニュースでやっていた。実はこの間、コロナ禍の中で久しぶりに飲み会があり、ガラガラの居酒屋で4人が「間を空けて」再会を祝した時の話である。私を含めてコロナに怯える高齢者は、感染状況を見ながら様子を伺っていたが、友人たちのゴルフ帰りの飲み会に「来ないか?」と電話があって、二つ返事で参加した次第。いつまでも自粛しているのもどうかと思っていた所なので、タイミング良く声がかかったわけだ。やはり持つべきは友である。

私にとっては久々の社会参加だったので、友人たちと交わす会話は自然と楽しいものになる。最初は皆んなマスクをしていたが、ビールで乾杯をした途端にマスクを外し、次第に会話する声も大きくなってきて、テレビで言っている「感染リスクの最も高い状況」に当然のごとくなっていた。「これじゃぁコロナも感染るわな」ってな状況である。しかし誰も気にしている様子はない。感染していない人同士が集まって「いくら飛沫が飛び交おう」が、全然感染の心配がないのは「当たり前」である。しかし感染しても「無症状」というのがあるから、全く心配しないというのはどうなの?、と言う意見もあるだろう。

しかし大丈夫、我々高齢者は感染したらまず「入院は免れない」から、感染してるのに「ピンピンしてる」なんてことはあり得ないのだ。普通に生活していれば、コロナに感染してないのは明らかである。で、話は池袋の「暴走老人の弁護人」が気に入らない、となった。友人のSN氏は「あいつら、人間じゃない!」ぐらいの勢いで、文句を並べて息巻いている。それに対してSY氏は冷静な口調で「あれこれ違う意見」を言っていた。もう一人のH氏は日本酒を飲み比べながら「鶴齢はちょっとねぇ」などと言っていて、議論に参加しようとしなかったみたいだ。このSN氏とSY氏は、飲むといつものことだが口論になる。とは言っても仲の良い友達同士なのだが、どうもお互いの意見が食い違っていて「そうだそうだ」とならないのが常である。

まあ私の意見としては、池袋の暴走老人が「私はブレーキを踏んだのに、車が言うことを聞かなかった」と言い訳していることについての話だから、簡単に答えが出ると思っていたのだがそうじゃないらしい。あの事件は要するに、「車をコントロール出来ず、2人を殺めた責任」を誰が取るか、という裁判である。ブレーキが効かなかったかどうかは、「死亡した親子」にしてみれば「関係ない言い訳」に過ぎない。人を殺してしまう武器にもなり得る道具である車を、安全にコントロール出来なかった責任は「誰かが取らなければならない」のは明白である。それは第一義的には「老人」が取らなければならないだろう。もしブレーキが効かなかったとしても、パーキングやエンジンブレーキやハンドル操作など、歩道を渡っている親子を守る努力はいくらでも出来たはずである。少なくとも「車にぶつかっていれば」、無防備な歩行者に比べてまだ被害は少なかったのではないだろうか。事故映像を見る限り、その最低限の努力がされているようには、思えない。

当然、事故の刑事責任を老人は取らなければならないだろう。年を取っているからというのは論外である。だいたい刑務所に入る体力が無いのなら尚更、車の運転などするべきではない。まあ、このような人に「免許を与えている警察」にも責任はあるのだが、そこについては「余り議論されてない」ようである。さて、ブレーキが効かなかったかどうかだが、今度は「老人とメーカー」の間で争われることになる。つまり、裁判は「2つ」あると言うことである。何でもかんでも一緒くたにするから、どうしても話がややこしくなる。

勿論、メーカーはデータを提示して老人の言い分を「一蹴する」だろう。老人は「踏み間違えた」のだ。でも老人は納得しないだろう、「私は確かにブレーキを踏んでいた!」と主張するとしよう。あんまり自己主張ばかりして「誰もが認める、理屈にあった推論」を無視すると、今度は精神鑑定に回されることになる。まあ、そうこうしているうちに老衰で死亡なんてことになるやも知れず、遺族が「弁護士の単なる引き延ばし策」だと怒り出す事も考えられる。そこで最初のSN氏の「弁護士はムカつく」発言になるわけである。誰がどう考えても無罪など有り得ないのに、いつ迄も自己弁護を繰り返す老人を見ると、こういう人に勲章をあげてる宮内庁もどうかな、って思うよね。このような、自分の言うことが正しいと思い込んでいる偏屈な老人には、「いい加減に観念しろ」と言って、引導を渡してやるのが裁判官の役目である。

なお、後日SY氏とこの日の2人の口論について「改めて話す機会」があったが、私の感覚では「2人の争点がズレていた」と思う。この件で、何れゆっくりとSY氏と議論しようと思っているが、長くなりそうである。

5、吉田拓郎「午前0時の街」
いつも楽しみにしているTV番組「町中華で飲ろうぜ!」で流れる歌である。内容も、町の中華食堂を探訪しては、玉袋筋太郎や高田秋や坂ノ上茜などが飲み食いするだけの「ゆるい番組」だが、途中で流れるこの曲が「全体をグッと引き締めて」いて、一抹の哀愁を奏でては素晴らしい効果を出しているように思えた。以前は確かドリカムの「嬉し恥ずかし♫」が流れていたような気がするが、この手の通俗的な番組にも「こういう良い曲」がBGMに使われると、俄然番組内容そっちのけに「歌に聞き惚れてしまう」から不思議なものである。このへんに、番組ディレクターの才覚が問われるのだろうが、それにしても吉田拓郎は「じっくり聞くと味がある」シンガーだ。飄々とした語り口に乗せて広がる、音楽の優しさと暖かさ。いいですねぇ〜。

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