明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

ユリアンナ・アブデーエワ日本公演の話

2019-02-24 20:00:00 | 芸術・読書・外国語
今日はCSクラシカジャパンで久々にブラームスのピアノコンチェルト第一番ニ短調作品15を聞いた。ダニエル・ハーディング指揮のスウェーデンラジオシンフォニーとポール・ルイスのピアノである。ブラームスは私の最も好きな作曲家の一人だが、その理由は偏に彼のコンチェルトにあると言っても過言ではない。2つのピアノコンチェルトとバイオリンコンチェルトは、もし私にプログラムで演奏会を選べと言われたら、ショパンかブラームスか悩むほどにお気に入りの名曲である(勿論モーツァルトは別格)。ブラームスはベートーベンを尊敬していてロマン派作曲家の中でも「古典派」と呼ばれていたらしいが、実はベートーベンにルーツを求めるのは時代の風潮で、殆どの作曲家(シューベルトもそうだ)がベートーベンの名前を上げている。彼も一応ベートーベンの後継者とか日本で考えられているようであるが、本当はモーツァルトやハイドンそれにバッハを尊敬し研究していて、一概にベートーベンの流れを汲む作曲家と言うのは当たっていないと私は思っている。ベートーベンの運命交響曲やピアノコンチェルト第5番などの「血湧き肉躍るスタイル」は勿論彼の頭に入っていただろうが、むしろ「心の静けさと安堵」を描き出す才能はブラームスにあってベートーベンには無かったものなので、これがブラームスの楽曲の最大の魅力だと私は密かに思っている。

彼は「ピアノの名手」だったそうだが、早いうちから演奏者としてよりも作曲家の道を選んだようだ。彼は1833年生まれで、同年代にはブルックナー(1824)やヨハン・シュトラウス二世(1825)やチャイコフスキー(1840)・ドボルザーク(1841)・グリーク(1843)などがいて、リスト(1811)なんかにもヨアヒムの紹介で会っているのだがどうも気に入らなかったらしく、人付き合いは上手くなかったようである。ショパンは1810年生まれだから会っていてもおかしくないのだが、ショパンの活躍する場所がパリの華やかなサロンなのでハンブルク育ちの地味なブラームスとは掛け離れ過ぎてチャンスがなかったのだろう。会って曲を聞いていたら彼はなんて言うだろうか、と思うと想像力を掻き立てられる。なお、メンデルスゾーン・ショパン・リスト・ワーグナー・ヴェルディが1809年から1813年と揃って生まれているのは感慨深い。その中でもシューマン(1810)には惹かれるものがあったようで、シューマンが病院に送られてもずっとシューマン家を支えるほど献身的であったと伝えられる。これは音楽ということより、シューマンの人間性になにか尊敬するべきものを感じていたのだろう。ブラームスは幅広く人と付き合う社交的な性格ではなく、ちょっと内向的で少数の人間と深く親交を結ぶタイプの人だったようだ。それは作曲の傾向にも現れている。

私はスマホにルドルフ・ゼルキン版を入れているので早速こちらも聞いてみた。やっぱりクラシックはいい、と思う。何しろ「曲に没入する感覚」がとても自然で落ち着くのだ。これは時代性なのかあるいはブラームスの個性なのか、バッハやモーツァルトにはない(勿論ショパンにも)独特の心の内にこもる静かな音を聞いていると、感情の波がすーっと静まって、あるときは波立ちながらもまたもとの穏やかな安らぎへと帰っていくような、そんな心の平安を与えてくれる。作品15とあるようにまだ若い頃の作品なのにこの完成度、やっぱ大天才だわ(ちなみに私の中でモーツァルト・ショパン・ブラームスがお気にいりの作曲家である)。ゼルキンは叙情溢れる演奏で大好きだが、ポール・ルイスというピアニストは観客受けを狙わずに淡々を弾いていき、感情を抑えた演奏が逆に好ましかった。曲がどちらかと言えば「ピアノとオーケストラとが渾然一体となって」る造りだから、ピアニストが能力を見せつける曲ではないのでそれほど印象に残るわけではない。が、それでも聞き所というのはあるのでそこで比べてみた。実はバーンスタイン指揮ウィーン交響楽団とクリスティアン・ツィメルマン演奏の録画も持っているのだが、ツィメルマンと比べると断然ポール・ルイスのほうがブラームスに忠実に弾いていた。例えば、月明かりの夜に独り湖に小舟を浮かべて湖面のさざ波に揺られながら、恋の物思いに耽る青年の悩める心の動き、というふうなイメージがツィメルマンには欠けていてポール・ルイスにはハッキリ意識されている、と私には思えたのである。で、ゼルキンはと言うと、その心の動きに「もっと具体的な何か」が加わっている、そこがアナログと4Kの違いだろうか。やっぱゼルキン最高!

ピアニストに関してはバックハウス・ミケランジェリ・リヒテル・ポリーニと大御所好きの私だが、大体は大学生の頃に聞いた曲が好みの基本になっていて、それは40年たった今でも変わってはいない。ワイセンベルグのショパンのコンチェルトに衝撃を受けたのが大学3年のことですっかりファンになり、それ以後ショパンのワルツやバッハなどのレコードを買っては聞いてみたが今ひとつ感心せず、とうとうショパンのコンチェルト専門になってしまった。そのピアニストが良いと言っても「何でも良いわけではない」という見本である。彼のブラームス第一番がスマホに入れてあるので、そこで今度はジュリーニ指揮(オーケストラは不明)版を聞いてみた。彼はリズムを変える奏法が好きなようで(テンポルパートというのか)ショパンではそれがツボにハマって爽快この上ない快投乱麻の切れ味で聞かせたのだったのだが、ブラームスに限っては少しやり過ぎの感じでわざとらしく聞こえてしまった感が残った。ニ短調の一番は出だしのテンポが大事で、ゼルキンとルイスは「淀み無くグッグッと前に出て来る」のに比べ、ツィンメルマンとワイセンベルグは「やや遅く」感じたのがポイントではないかと思う。ゼルキンは一見「たどたどしい」雰囲気で弾いているようだが速いパッセージはけして遅いわけではない。「逡巡している」のだ。決断と迷いの間を揺れ動く青春の光と影を見事に弾ききっている名演と、私は思っている。

実はスマホにもう一つ、グレン・グールドのが入っているはずなのだが幾ら探しても見つからない。まあ余り良くなかったので消してしまったのだろうが、こうなると聞いて比べてみたい気もする。こうなればYou-Tubuの出番だが、あんまり楽な道を選ぶと外に出かけなくなってしまうので今はやめておこう。私は秋葉原のレコードショップやオーディオショップに足を運んで眺め回すのが趣味であった。もうしばらく行っていないから今度又行ってみようかな。そう言えば会社のM部長がユリアンナ・アブデーエワのコンサートを聞いてきたらしく、「完璧でした〜」と報告に来た。彼女は2010年のショパンコンクール優勝者であり、アルゲリッチ以来45年ぶりの久々の女性優勝者ということで話題になったが、実は去年5月に日本公演でブラームスを弾いているんですねぇ。今回は何で弾かなかったんだろう。観客の評判は良かったみたいだったがどうも今ひとつ盛り上がりに欠けるのは、彼女の音楽に対する取り組み方が「商業的に派手なパフォーマンス」を見せるタイプでない所が原因みたいである。デ・ラローチャ 〜 アルゲリッチと続くピアノの女王の系譜を継ぐのは誰か、というので彼女の名前が上がっているのは当然であるが、カティア・ブニアティシヴィリも超強力だ。いずれも女性としては一癖も二癖もあるアルゲリッチ譲りの個性派ピアニストだけにこの争いは見ものである。ブニアティシヴィリのほうは「リスト」でレコードデヴューということらしいので畑違いということになるのだが、こちらは2月の日本公演が中止になったので直接対決はお流れとなってしまった。後日再戦を期待しよう。

作曲家の分け方としてはリストに代表される「自分から見たキラキラする外界を万華鏡のように」見せるタイプと、ショパンのように「自分の外界に対する情熱を表現」するタイプと、そしてブラームスのように「自分の内面と向き合い葛藤や希望や安らぎを表現」するタイプがある(と思う)。リストは社交的なイケメンでサロンの寵児であったが、ショパンは内向的でちょっと暗めな情熱家だったみたいだ。音楽も人間性をそのまま表しているから面白い。その理論で言えばブラームスは哲学的な思索を好む人、ということになるだろうか。私はクラウディオ・アラウのファイナル・セッションというアルバムに入っているシューベルトのアンプロンプチュOP142D935が大好きで、良く通勤の時に聞いているが、老境に入って息子に先立たれた心の悲しみと諦念がじわりと心に響いてくる。コンサート会場の大ホールで大向こうを唸らせる神業を披露して大喝采を浴びるピアニストよりも、こういう「内容の深い曲を淡々と弾ける人」が本当のピアニストだと思っている。そういう意味ではシューベルトもまたブラームスにつながる「魂の音楽」を書き続けた一人かも知れない。良い作曲家はそれ以上に「良い演奏者」を必要とする。良い演奏者が作曲家の思いを表現してくれるからこそ、音楽が人々の心に突き刺さるのである。それを見ずにテクニックやパフォーマンスばかり追い求めるようでは一人前とは言えない。最近はモーツァルトのソナタをじっくり聞くことが多くなった。特にアダージョは聞けば聞くほど清明で、簡単な音で構成されているにも関わらず美しいフレーズが心に残る。よく言われることだが、ピアノ曲は「ゆっくり易しい曲ほど難しい」。これって含蓄のある言葉ですねぇ。CSでもう1つ、アルゲリッチのショパン協奏曲第一番ホ短調をやっていた。指揮者はヤツェク・カスプシク、こないだのショパンコンクールで、チェ・ソンジンが優勝した時にタクトを振っていた人である。オーケストラはシンフォニア・ヴァルソフィア。さすがにアルゲリッチも老けたねぇ。速弾きはいまだに健在だが、少し細かいところでミスが目立つ。しかしもう老境に入って来たのだから「味のある演奏」で聴かせる悟りの境地であるのは言うまでもない。弾いてくれるだけで有難い、という観客の温情が身に沁みる(私はアルゲリッチは好きでは無いが)。

というわけで、久し振りにクラシックにどっぷり浸かった一日でした。ユリアンナ・アブデーエワはNHKの録音が入っていたらしいからいずれ放送があるだろうと期待している。今年は少しコンサートにも足を運べるようになりたいものだ。外タレは殆ど東京でしか演奏会を開かないから、奈良なんてド田舎に引っ込んだ日にゃ「永遠に誰も見れない」ことになってしまう。今年はそうなる前に「人生最後のちょっくら駆け込みコンサート」と行きたいものである。やっぱりM部長が言うように、「生はいいですよ、生は」だそうだ。

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