昨日久々にゴルフ仲間と柏で飲んだ。SY氏がメンバーになっている千葉のゴルフ場に行った帰りだった。その日のゴルフは散々だったらしく、メンバーが二人も入っているにも関わらず全員100オーバーのボロボロである。酒も入って話は盛り上がり、SN氏がコースの「いじわるな仕掛け」にハマった顛末を事を細かく罵って、皆楽しく飲んでいた。
ところが途中からパターのオーケーを認める認めないの判断で2人がもめ始め、いつも控えめなH氏が話題を変えようとしたがどうも雲行きが怪しい。そのうち今度は岸田首相の異次元の少子化対策は生温いとSN氏が一席ぶったところで、突然SY氏とバトルが勃発した。SY氏の冷静な態度にイライラしてカッとなったSN氏が激しく文句を言って争いになり、収拾がつかないまま時間がきて店を出たが、もしかすると店側が気を利かせて早めにお開きにしたのかな?と思う程の危ういタイミングである。
昭和世代によくある口喧嘩だが、ちょっと気が付いた事があるのでご紹介したい。これは、仲のいい間柄で「真面目な議論」をする際の「気を付けるいくつかの点」についての、私の個人的な見解です。
1、最初に「これは議論にしよう」と言って、意見を出し合うことを確認しよう
議論が口論になる原因は、そもそも互いの立場や温度差に「違いがある」のが殆どだ。片方は自分の意見が「称賛を受けるはず」だと自信満々であるが、相手の方は単なる「叩き台」位にしか思ってない場合が「往々にして」よくあるのである。まず、議論にするかどうかを最初に断っておき、お互いが問題解決のために「同じ立場」であることを確認しよう。勿論、そんな気分になければ「今度にしよう」と断れば良い。あくまで議論は「しようという気持ち」が無いと成立しない。
今回の場合で言えば、結婚した夫婦が子供を産みたくなるためには「高校・大学の教育費」を負担する覚悟が絶対必要だ、である。子育て費用よりむしろ「大学まで行かせられるか」が最大のネックになっている。その点で岸田首相の対策はピント外れである。
2、相手の意見を「一旦受け入れる」こと
議論をする上で一番大事な事は、相手と自分が「同じ側」に立っていることを常に確認することである。相手が何かについて意見を述べた場合は、先ずその内容をよく聞いて、一旦「受け入れる」こと。自分が意見を言うのは「その後」にしよう。
今回の場合で言えば、その点で岸田首相の少子化対策は「ピントがズレているな」と言えば、相手も認めてくれたと気分がほぐれる。これで批判の対象が「岸田首相」の政策となり、議論する2人は同じ立場の「仲間」になれるのだ。これ、大事なことである。
3、それから自分の意見を言う
今回の言い争いはSY氏が、最初にSN氏の言う「少子化の原因は高校大学の教育費の増大にある」と言う事の「エビデンス」を求めたことにある。SN氏にしてみれば自分の意見を「否定された」と思ってカチンと来ただろうし、SY氏にしてみれば色々な考えがある中で「グローバルな事実かどうか」を確かめたかっただけ、という食い違いのようであった。グローバルというワードは「一般的に認められている」ぐらいの意味であろう。しかしこれが「地雷ワード」であった。この言葉がSN氏をさらに激高させた原因である。SN氏の気持ちを想像するに、何を偉そうに上から目線で言ってるんだ!、位の気分だったろう。
一応私の感想を言えば、子育て費用よりも大学進学費用の方が夫婦にとっては「大問題」だ、は正しいように思えた。意見を投げ掛けられたSY氏はグローバル云々よりもまず「自分の考え」を述べるべきだったのではないか。もし彼が「そうは思わない」と自分の意見を言っていたならば、そこまで感情的にはならなかったようにも思う。
しかしSY氏は自分の意見の代わりに「グローバルな答え」を求めた。これが議論をする上で2人を「違った立場」にしてしまい、言い争いがヒートアップする原因に発展したと思われる。
考えてみれば子供が一人前になるためには、親の支援が必要なのは当然である。しかしそれが夫婦にとって「大変な負担」になっているとすれば、当然ながら「産む人数」は劃られて来る理屈だ。私の親は4人の子を育てて「全員、私立大学」に行かせてくれたが、これは母親が人生の過半を犠牲にして出来たことだと感謝している。父親も金額面で大きな負担をしたと思うが、まあ何とか払えたのは当時の社会状況が良かったとも言える。
女性の子育ての負担もそうだが大学の教育費を捻出するのは、現代の一般的な夫婦にとって「金銭的に難しい」。結婚してない私が「3人産めば少子化を食い止められるぞ!」と安直な意見を言ったら、即座に総スカンを食らった。2人育てるのが精一杯だと諭されたのである。確かに3人もの子供にお金と時間を費やすのは余程の覚悟が必要である。
それでも子供が小さなうちは「可愛いい」からそれなりに喜びもあるが、反抗期も過ぎて独り立ちする子供の面倒を見るためには親の一方的な「相当な犠牲」を覚悟しなくてはならないだろうと思う。その点でSN氏の考えは「的を得ている」と評価しても良い。まあSN氏も自身で子育てを経験したから言えることである。これが世の有識者の間で共有されていないように見えるのは、私にはどうにも解せない。この意見はテレビなどでも取り上げて、もっと「政府の対策の取り入れるべき」ではないか。
以上。これについてはSY氏も「異論はない」であろう。後で確認したところでは二人共仲直りはしたようで、昭和世代は会うたびに何かと苦労をする「厄介な友達」なのである。
なお、これは私事だが最近体調が良くなくて、睡眠障害とか便秘とか意欲減退とか足のむくみや脊椎間狭窄症とか、色々と不安なことが起きてきて滅入っていた。ところが久し振りに友人と会ってガヤガヤ言い合ってたらふく酒を飲んだら、今朝は寝起きもスッキリして体重も減り、ふと見たら足のむくみも脊椎間狭窄症の症状も消え、すこぶる体が快調なのである!
試しに足の脛を掌でなぞってみると、いつもの老人のプヨプヨな感じではなく「久し振りに筋肉質のモリモリした触り心地」が戻っていたではないか(おお〜っ!、これは凄い〜っ!)。
結局友人との飲み会が、健康回復には1番有効だったってわけ。友達は持つもんですな。
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