明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

特例政策減税の話 : 1兆2千億円の行方

2016-02-20 10:00:00 | ニュース
2014年度1兆2000億円の特例減税のうち6割が、全体の0.1%に満たない資本金100億超の大企業に集中しているという。減税の本来のターゲットは大企業なのだろうか(私にはそう見える)。政府の目指す経済活性化の効果は、大企業優遇によるグローバル企業の育成強化と見える。はたして日本の1億2000万人は、グローバル企業が躍進して利益を上げ投資家に還元する事で潤うのだろうか。資本主義の大前提である市場原理主義というものを、一度疑ってみる価値はあると思う。

それよりも同一品質同一価格が大事なんじゃないか、つまり、同じ品質でも「大量に作るから安い」というのは、間違いだと思うのである。年間1000個の市場に1人が10個しか作れない商品は100人の仕事を生む。そこに年間1000個の生産力を持つ工場が出来て半分の値段で出せば、あっという間に市場を独占してしまうだろう。100人の職人は仕事を失い、少数の労働者と資本家だけが残る。そして100人の消費者が失われ、GDPは輸出で伸びても経済は落ちてゆく、これが資本主義の向かいつつある末路である(もちろんしなものによってであるが)。

大切なのは人なんだということ。何もないところに新製品を作り出せば、雇用と消費を同時に生み出せる。しかし既存の市場に、同じ品質で安いだけのものを大量に出せば雇用と消費の両方を失う。売上を作ることが経済活性化ではなく、どうやったら消費を維持・拡大できるか、それを考えるのが経済学者の仕事である。特例政策減税は、目的を企業の財務体質を楽にしてあげることに絞った減税である。それは資本家や投資家を儲けさせる事にしか繋がらない。問題は「安くすることで消費を喚起する」という方法は、回り回って仕事を減らし消費を減らすことになるという事に気づかなくてはいけない。

2次3次の消費の循環を創り出す、それこそが経済活性化ではないか。安易な単発の減税は、かえって逆効果でしかない。結局最後は、企業の体質とか従業員の生活とかその製品を作っている人々に消費者が魅力を感じる事なんじゃないか、安ければ良いという、品質より価格重視の会社は、結果として社員を使い捨てにする会社になるんじゃないか、つまり愛社精神や仕事が好きという会社が最後に残る社会こそ住みたいと思える未来の日本の姿ではなかろうか。

とすれば大企業ではなく中小企業や零細企業「こそ」生き残ることが、経済活性化の「基本」だと思う。大量生産の技術は手作りの良さと並行して使えばいい。むやみにロボットにモノを作らせて価格に反映させるのでなく、ロボットの生み出す利益を資本家ではなく消費者に還元する事が必要である。例えば、ビニールの買物袋は無くして生鮮食品をまとめて買うようにするとか(ごみ問題は深刻である)、品物を豊富に陳列する代わりに売り切れたら終わりにするとか。値引きや景品で釣るのではなく、法律で社会を変えてゆく。品物が売り切れたらレストランに行けばいいのだ、そうして食品廃棄物を無くしていく。

やる事はまだまだ沢山ある。でも目標を消費形態から変えて行こうというなら、我々自身の生活態度を改める事が第一ではないだろうか、それが21世紀のこれからの日本を作るという事だと思う。

消費とは、基本「お金とモノの交換ではなく、人と人との物々交換である」


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