明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

認知症予防で「考える」練習をしよう(20)何だか閑散としてた小学校

2023-08-07 14:11:19 | 今日の話題

1、柏市議会選挙に行って来ました

余り盛り上がらない選挙だったが、一応投票に行ってきた。最初に選挙権を得て以来ずっと皆勤賞を続けていたのを今回で途切れさせるのもどうかと思ったのだ。それ程今回の選挙は争点がぼんやりしてて、子育て位しか目立つものは無かったのである。立候補している人の名前は夕方ネットで調べて頭に入れた。

それでもぐずぐずしていて、夕方涼しくなったころを見計らって出かける。会場はいつもの小学校だが、選挙管理委員会とボランティアが10人ばかりいただけだった。受付には三人並んで座っていたが、一人が投票券を受け取って次の人が確認、三人目が投票用紙を印刷して渡すという役割分担だ、一人で良いんじゃね?って感じである。

私は前々から「ネットで選挙」を言い続けてきたが今日選挙の閑散としている様を間近に見てしまうと、尚更この制度変更を考えてしまう。市議会選挙の投票率はどのくらいなのか知らないが、どうせ大したことは無いだろう。このレベルの選挙ならネットで充分。経費をかけてやる程の価値は無い。試しに柏からテストしてみるのもアリじゃない?

そんな事を考えながら立憲民主党の女性候補に投票して会場を後にした(実は候補者のビジョンとか人となりは皆目知らないのだ、お恥ずかしい限りである)。出口でアルバイトの子が「ありがとうございました」と声をかけくれた。私も会釈を返したが、何故かそのやり取りに温かいものを感じた。ああ、人とつながるって気持ちいいな・・・。

2、今の女子サッカーは昔とは違う

予選を3戦全勝で突破した「なでしこジャパン」は、ついでにノルウェーも撃破してベスト8進出である。試合は又しても日本のカウンターが炸裂して素晴らしい勝利である。勝利を決定づけるゴールは、前がかりになった相手のボールを固い守りで防ぎ、ゴール前でこぼれたボールを身体をぶつけて奪うとスッと「右サイド」にパスをつないでスルスルっと駆け上がり、センター走り込む宮沢に見事なスルーパスを出してそのまま難なく決めた3点目だ。お手本にしたくなるような見事なカウンター攻撃である。

自陣からたった2回のパスでゴールまで決め切る「抜群の決定力」は、格上のスペイン(ランキング6位)戦でも爆発してもはや日本の「お家芸」とも言っても良いレベル。このような完璧なカウンターは、男子ワールドカップ・ロシア大会でベルギーが見せた「驚愕のカウンター」以来の衝撃と言える。しかもそれを芸術的なまでに高めて、二度三度と繰り返しやって見せる完成度は「普通じゃ無い!」。

この日本が得意とするカウンターを素人分析すると、宮沢がスルーパスを受けてゴールするまでの「走力」に秘密のすべてがあると感じた。相手ディフェンダーをかわして前に出てパスを受け、そのまま最後まで追いつかれる事なく、ゴールを決め切る力は流石「カウンターの女王」である。これは単純に、宮沢がスペインやノルウェーのディフェンダーより「足が速い」から、の一言に尽きると言える。やっぱりFWは俊足で無きゃーねぇ。どんだけ密集でドリブルの技術があっても、それを活かす走力が無ければゴールを決めるのは難しい。勿論、理想的な所とタイミングでパスを出せる技術があってのものだというのは忘れてはいけない。日本最高!宮沢最高!

さて次の試合は11日に予定されているが、相手は世界ランク1位をPKの末破って準々決勝に進出してきた「スウェーデン」である。世界ランク3位の強豪だけに厳しい戦いになるだろうが、まず引いて守るという戦略は取らないと思うので、尚更日本のカウンターが生きる筈。堅守速攻で頂点を目指せ!

3、名曲喫茶の記憶

最近見なくなって来たが、「名曲喫茶」って今でもあるんだろうか。ひと昔前までは渋谷の何とか言う喫茶店に置いてある「JBLのパラゴン」というスピーカーが素晴らしい、と雑誌で話題になっていたのを思い出す。私はどちらかと言うと「銀座のほう」が好きだったので、ただコーヒーを飲みにわざわざ北千住から銀座方面に出かけて行っては、しばしの間喫茶店でボーっとする時間を楽しんだものである(当時私は北千住に住んでいた)。たまたまソニービルの裏手に「らんぶる」という名曲喫茶があって(確か、そんな名前だったと思うんだけど)、結構有名な店のようだった。二階の入り口を入ると中は真っ暗で、暗闇に目が慣れて来ると客がそこここに座っているのが見えて来る、そんな店であった。席に座ってコーヒーを頼むと後は無言で「ひたすらクラシックの名曲を聴く」だけ。何ともおぞましい陰気な店である。

リクエストとかも出来たのかも知れないが、何ともマニアックな雰囲気に圧倒されて30分もしないうちに早々に店を出たのを覚えている。余りにも店内が暗いので、本を読みたい私には不向きだったのだ。お茶の水にも駿河台の坂の途中に「田園」という大きな名曲喫茶があって、当時はまだ中央大学の校舎が近くにあり、歩いて講義を受けに行くたびに目の前を通るのである。一応中央大のオーケストラ部に入っていた私は(ビオラ担当)、先輩方が良く入っている店というは何となく知っていた。それで、名曲喫茶自体には興味はあったのだが、先輩に出くわすのが何となく嫌で「ついつい避け」てしまって「とうとう入らず仕舞い」だったと記憶している。名曲喫茶というのは音楽を聞かせるのがメインなので、音響設備には結構お金をかけていたのではないかと思うと、今では残念な事をしたと思う。

しばらくぶりに思いついて、ネットで調べてみると柏にも名曲喫茶があるみたいだ。西口に「コンパル」というのが昭和レトロの雰囲気で頑張っているらしい。一度行ってみたい気もするが何か堅苦しそうで足が進まない。コーヒーを飲みながら単にクラシックの美しい音色を聴くというのだけでは、実は「名曲喫茶」とは言えないのだ。何より肝心の掛ける曲を店主が厳選した「往年の名盤または新進気鋭の野心作」でプログラムしなければ名曲喫茶という看板を掲げるわけにはいかない。それを入念に選んだステレオセットの「上質な音」で再現する、というのが名曲喫茶の「名曲」たる所以である。

ところが今は大抵のレコードはサブスクで聴くか YouTube で探すか、どちらにしても「余程の貴重な音源」でなければ殆どの楽曲は自由にスマホで聞ける時代になった。

昭和の時代に何故人々はわざわざ名曲喫茶に通いつめていたのだろうか?。それもこれも、身の回りに本物のクラシックを「いい音」で聞かせてくれる場所がなかったからである(自宅を何百万もかけて改造するマニアもいるにはいたようだ)。リスニング関連の雑誌も当時は何冊もでていて、それだけクラシックファンの熱量が多かった。翻って現代に名曲喫茶の需要があるかと言えば、あの、暗い中で名曲の響きに聞き惚れていたファンは、いまではもう「殆どいなくなって」しまったのである。その後の世代が出ていない。クラシックはロックやポップスのように「ライブで盛り上がる」という音楽ではないから受けが悪いのだと思っている。

モーツァルトが活躍してた18世紀のヨーロッパでは、皆が集まって楽しむとなれば「クラシック音楽」というのが定番だったのだろう。今では若者はフェスなどで大騒ぎする時代に変わってしまった。友人とクラシックのコンサートを聴いて、その後食事をしながら音楽談義に花を咲かせる・・・。

そんな古き良きノスタルジックな時代の空気を味わう為に、今度コンパルにでも行ってみようかな。


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