3、統一教会、無抵抗の構図
一頃の盛り上がりから早1年が過ぎて、質問ばっかりで一向に進まないまま統一教会問題が「立ち消え」しそうである。何より「政府の本気度」がまるで感じられず、このまま知らないうちに「有耶無耶」になりそうな予感さえして来た。岸田政権はコロナでもそうだが、何一つ国民に「政府としての明確な結論」を示さず、「なし崩し」にしていつの間にか忘れ去ろうとしているのが見ていて何とも腹が立つ。
私はこの問題を解決するためには先ず最初にハッキリと、「統一教会は宗教では無い!」と明言してもらいたいのである。
世間じゃカルト宗教とか言うヘンテコな呼び方をしてさも本質を突いたかのように思っているフシが一部にはあるが、宗教とはそもそもが、人間より上位の超越的存在を信じることにより、低位の存在である人間の「善を促進し、悪事を戒める」ことが目的だ。つまり宗教は、「万人衆生の救済」を願うものである。だが同時に私は、宗教が罪深き人間を救う事の対価として「この超越的的存在に金銭を支払うよう求める」というのは、いままで寡聞にして聞いたことが無い。このことは要するに、「理由はどうあれ」生活を脅かす程の寄付を信者に教義で求めている団体というのは、宗教の名を騙った「金集め集団」ということである。
だから統一教会は、即座に徹底解散・布教禁止・寄付禁止・資産没収を執行すべきである。
要するに統一教会を宗教と思っているから、政府は色々な手が打てずに野放しになっているのだ。憲法で守られている「信教の自由」から外れれば、統一教会と言ったって「単なる友好団体の一つ」に過ぎない。友好団体が過度な献金を会員に要求し、会員が財産を使い果たすなど弊害が多発しているのであれば、その家族や親族の資産を守る為に「寄付の禁止や解散命令」を出すのは、政府としての当然の務めだと思う。
で、順序としては先ず「宗教という扱い」を外し、それから「違法団体の認定」、そして解散命令という流れでいいと思う。では先ず統一教会が、自分達が主張しているような宗教団体では「無い」ことを論理的に証明しよう。
○ 統一教会はなぜ宗教団体と言えないか?
① それは統一教会が信者に多額の寄付を要求するからである
何故寄付するのかと言えば、それで御先祖を「苦しみから解放する」ことが出来るらしい。これが「寄付の効果=御利益」の正体である。身体のどこかに痛みがあって、それを取り除くと言うのならば一種の「医療行為」であり、その施術に対して妥当な対価を求める行為は「正当な報酬」だと言える。患者に患部のエコー映像を見せて「こんなに悪くなっています」と説明し、その後施術した結果「患部が正常に戻った」のであれば誰も正当な報酬を支払う事に不満は言わないであろう。
では、統一教会の信者の場合はどうしているのか。あの世で「御先祖が苦しんでいる」と彼らは主張するが、誰も「その姿」を見たり聞いたりしたものはいない。あくまで信者の現在の悩みの原因は先祖の供養が足りないからだという「推測や憶測または仮説、あるいは妄想」によって主張しているだけである。「「科学的に実証されていない」ことを持ち出して法外な金銭を取るのは、正当な医療行為の報酬とは言えず、ほぼ「詐欺」に近いのでは?と私は言いたい。
だから統一教会から寄付を要求されたら、「寄付すると何か御利益がありますか?」と聞くのが正しい。統一教会が言うような「望ましい結果」が出るというのなら、その「因果応報」を科学的に実証して見よと言いたい。ちなみに他の宗教も皆、統一教会同様、得られる御利益を明言している。勿論、学業成就とか良縁獲得とか御参りする人それぞれが求める成果を勝手に「御利益がある」と言っているだけである。交通安全など、良くフロントガラスに御札をぶら下げている車を見かけるが、御札で事故が防げるなら保険なんかいらないだろう。要は「気休め」と知ってて、行事の一部として皆んな喜んで行なっているのだ。それが神社仏閣への寄付の原点である(その証拠に願いが叶わなくても賽銭を返せという人はいない)。
それを全財産を捧げるなどという狂った行為に信者を駆り立てる所が、正に「金集め」団体の本領発揮であろう。この団体は、どう見ても金集め以外のことには「全く興味が無い」ようだ。それでも御利益があると言い張るのであれば、悪くなっている患部と治った状態を「実際に皆の目の前に見せて」欲しい。例えば御先祖が生き返って「ありがとう」とか言う、というのであれば・・・
そうなったらそうなったで、別の疑義が生じる事になると思うけど・・・DNA鑑定とか・・・。とにかく莫大な金額を寄付させる事そのものが「宗教と相容れない」ものである事を明確にしておきたい。分かりやすく言えば、神は日本銀行券を貰っても喜ばないし「使い道が無い」のである。だって、欲しいものは何でも黙って手に入るから・・・以上だ。
② これで統一教会が宗教団体で無い事ははっきりしたと思う。だが、寄付は「見返りを求める行為ではない」と協会側が主張した場合はどうなのか。私の御利益理論が破綻してしまわないか?という問題が起きて来る。
つまり、不浄な財産をすべて献金することで、煩悩から脱却し、超越者に愛される「清らかな身体」になることが出来る、という論理である(こういうことを言う宗教団体は多い。何故なら少しでも信者から金銭を寄付してもらう為には、こういう理屈が必要なのである)。まあ、個人がどのような理屈を信じても「信教の自由」であるから止めはしないが、ちょっと考えて貰いたい。教団に金銭を寄付することが救済の条件なのではなく、信者が「金銭を持たない」ことが救済の条件なのである。であれば寄付の行先は「何も特定の教団である必要」はさらさら無いのじゃないか、あるいは「国庫に寄付」しても同じ効果=御利益はある筈である。
だから仮に全財産を寄付して身を清らかにするのであれば、どうぞ国庫に寄付しようではないか。
例えば自分の寄付の行先が、実は「統一教会の高位のメンバーの懐」に入っていて、皆して豪勢な暮らしを楽しんでいるとしたら、あなたはどう思うだろうか?(実際は韓国に送金されているそうだから、その実態は日本人の信者には分からないらしい)。その疑惑を根本的に払拭するためには、寄付は国庫に戻すのが一番だと思う(少なくとも寄付金の使い道は明らかになると思う)。そうすればそのお金で、多くの恵まれない子供たちに「生活補助金」を出してあげられるのだ。その方がよっぽど世の為人の為になるではないか。勿論、信者が「子供の生活を犠牲にしてまで」統一教会に寄付することで、家族崩壊に遭い泣き寝入りしているような場合には、この寄付金から「救済」することも当然可能である。
信者が不浄な金銭を持たないのであれば、それを国庫で集めて「不幸な人に配る」のが良いと思う。
以上でほぼ統一教会の「騙し体質」は充分証明されたと思う。そこで追い打ちをかける意味で、もう少し「統一教会の悪の側面」を暴いてみよう。
③ まず統一教会は、信者個人の範囲を超えて「家族や周囲の人々まで」も甚大な害を及ぼし続ける団体である。
そもそも宗教は個人の「心の問題」の筈だ。個人の範囲で信仰するのであれば、一応「あれ程の問題」にはならなかったとも言える。だが現実は二世被害者が塗炭の苦しみから抜けられずに、今なお原状回復を求めている事からも「単に個人が取り込まれるだけでは無い」と想像することが出来る。だからそれを防ぐためには最低限、信者は二十歳以上の個人に限り、またその家族、特に生計を信者に依存する「養育中の子供」については、必ず「自由で快適な生活の維持」を与える必要があると私は考える。もしこれが守られないようなことがあれば、当然「刑事罰」の対象にするべきである。つまり「信教の自由」という権利は個人の自由を認めるということであり、養育中の未成年者は、他人から強制され易い環境にあるということを考慮し、宗教には「まだ参加しないで保留」という位置づけが正しいと思う。第一子供に宗教を教えたって、殆ど意味なんか分かっちゃいないと思うよ。
④ 日本が韓国に奉仕する?
これは一番頭にくる教義であり、もはや論外、議論するに値しない「どうしようもないクズ」の戯言である。こうした誹謗中傷の論理を公言しているバカを野放しにしている政府は、一体全体「国民を守る」意識があるのかどうか疑問に思う(教会に選挙応援で取り込まれた自民党議員は国賊である)。まあ国家転覆罪などという戦前行われていたアナクロな刑罰を持ち出すのは遠慮したいが、これが「日本国民全体を一纏めにバカにした」クズ人間の思い上がり発言なのは言うまでない(統一教会というのは夫婦でやっている団体だそうだが、韓国人だそうである)。こういう日韓の平等友好な外交関係を、根底からひっくり返して何とも思わない〇〇総裁とかは、政府は「歓迎されぬ人物=ペルソナ・ノン・グラータ」に指定して、日本入国を禁止すべきである。勿論そうなった場合、入国してくれば犯罪であるから、当然「今話題の入国管理局」に収監して散々に「お説教」してやった挙げ句、国外追放にするのが妥当ではないかと思う。
でも韓国の反応が・・・と気にしてる臆病者には「安心」しなさい、と約束しよう。韓国がブツクサ言ってきても「相手にせず」で取り合わないだけである。こんなバカげた似非宗教を後生大事にしている国なら(韓国?)その時点で終わりだ。とにかく統一教会の問題は日本の問題である。韓国には黙っていて貰おう!
以上、統一教会の問題は全て「政府がやる気を出せば」簡単に解決する筈なのだ。それが遅々として進まないのは偏に「岸田政権の怠慢」である。
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