今日は東大寺に初めて行く。近鉄奈良で電車を降り、右手に向かって歩き始めた。駅前から人がわんさかと流れている。大きな広い通りをずんずん歩いて行くと、左手に大きな建物が見える。奈良県庁である。奈良は京都と違って観光ずれしていないから、ちょっと田舎の古寺名刹を尋ねる感じがほのぼのとして気持ち良い。天気も良いし空気もうまい。旅はこうでなくっちゃとウキウキしてきた。ここは大宮通りと言うのだそうだが、日本一の大仏がある屈指の観光名所だけあって、そこそこ鷹揚な雰囲気が漂っている。観光客が慌てて駆け出すような無粋な真似は、ここ東大寺には似合わない。県庁も大した仕事はしてないらしく、ひっそりとしていた。というよりは、今日は日曜日だったので休みだったのだ。なんだ、そうだった。そんな風に見えるほど長閑な天気で、いよいよ念願の東大寺に近づいてくると、私の中に厳かな気分が湧いてくるようであった。
興福寺を遠く右に眺めてなおも前へ進み奈良国立博物館の先で左に曲がると、東大寺南大門が見えてくる。でかい。やっぱり寺格が違うね。京都の寺は鬱蒼とした木々のなかに厳然と建っていて、来るものの信仰心や貴賎の上下を推し量っているかのように素っ気なく見えるが、ここ奈良の東大寺は堂々として温かく、庶民的な大きな心で迎えてくれる。それは奈良という都市が、天皇と政治・文化の中心であり続けた京都と違って、佛教の馥郁たる文化の中に育まれた学園都市であるという歴史の違いでもある。ギスギスしてないところがとっても良い。南大門あたりに群れている大勢の観光客には鹿せんべいを買って貰って儲けているようだが、それだって金閣寺や清水寺の商魂たくましさほどにはあくせくしてないように思える。私はそんな奈良人が好きだ。
春日大社の鹿は人懐こく煎餅を欲しがって寄ってくるが、結構な体格で突進してくる時はちょっと怖いくらいの迫力がある。やはり動物であるから遠巻きに見るのが正解かもしれない。煎餅を持ってないことがわかると何の未練もなく去って行くのは、動物といえども生活があるのであろう。細い足でトントンと飛び跳ねるように鹿煎餅を追いかける姿はあわれ畜生の浅ましさ、聖域を護る神のお使いの矜持は微塵もない。お尻の白い毛が左右にプリプリ振れて可愛らしい子鹿も、余りちょっかいを出すと親鹿が猛然と威嚇してくるので気をつけないといけない。そんなこんなで鹿の相手は子供に任せておき、私は大仏殿へと先を急いだ。大体、野生の鹿と言っても観光資源と化した鹿達は、煎餅を食う以外はする事がない。呑気なものである。
大仏殿は平重盛が焼いてから松永久秀がまた焼いて、結局今のは横幅が3分の2のサイズに縮小されて「少しバランスが悪く」なった。どうもそう聞くとなるほどチンチクリンな形である。近くで見ると全体が全然見えずに圧倒されるだけだが、建築物としての威容と品格を遠望すれば、やはり横幅は元通りが「座りが良い」と思う。それにしてもよく焼けるものである。西洋の街並みは1600年頃から変わってない所がいくつもあるが、レンガ造りの街は地震でもない限り火事には滅法強いらしい。それに較べて日本は地震に台風に火事である。日本が抱える問題は昔も今も変わらない。東大寺は聖武天皇が全国の国分寺の元締として精魂傾けて創建したというのにふさわしく、大仏殿(金堂)を挟んで70メートルもある七重の塔が並び立っていたと言われている。壮麗な大寺院を建立するために庶民を大量動員し、そのために弾圧していた行基にも頭を下げて手伝ってもらったという話で、光明皇后が熱心に推し進める施薬院などの弱者救済も、実態はトンチンカンな政治の自己満足だったらしい。天平の世も平成の世も、政治は余り変わらない。変わらないづくしである。
大仏殿は余りにデッカいので、入り口で出入りする人が「アリン子」みたいに見える。でかけりゃ良いってもんでもないだろに、と思って私は中に入らなかった。昔から私は人ごみが嫌いで、観光地は好きなんだけど意外とお目当のものは見そびれてしまう。空いてる時にじっくり見るというのが好きなんだな。で、外から眺めて大仏は見ずじまいにした。右手の小高い丘のほうに二月堂とあるので、順路を上の方に歩くことにする。修二会というのがあり、東大寺では「お水取り」と呼んでる行事が有名である。なんでも夜の真っ暗な中、松明に火を付けて坊さんが振り回すんだそうだ。3月12日の深夜のお水取りは東大寺の数ある行事の中でも一番のクライマックスで、そりゃあもう大勢が押しかけて来て大変だそうだ。騒がしいのは嫌いなので多分私は行かないと思うが、美しい妙齢の女性が是非見てみたいわなどとせがんで来れば、断る理由は毛頭ない。というか、なにがなんでも行ってみせる気概は私は持っているつもりだ。ただ実証する機会が無いだけである。残念!
ただ行くにしても夜なので、帰りがホテルとなるとなんやかや面倒だ。出来れば奈良に住んで、誰に気兼ねすることもない自宅から参加したいものである。やはり奈良に引っ越さなくては。こないだ奈良の物件をあれこれネットで見ていたら、意外と安いので驚いた。5万も払えば1LDKのマンションくらい何てことはない、年金で充分に暮らしていける。ただ安倍首相がアベノミクス何ちゃらで年金を食いつぶしそうなのが、唯一の不安材料である。ホント安倍の奴、「年金をどうにかしたら絶対許さんぞ!」という私の怒り、賛同者を募っているのだが説得力全然無いなあ。ちょっとガックシしながら坂を下って、戒壇院の裏から外の細い道に出た。奈良の古い町並みは人通りもなく、5月の日差しが眩しく照っていた。やや低い塀の上から、初夏の白い花が爽やかな香りを漂わせている。さっきまでの喧騒が嘘のような静けさに「これが奈良の良さなんだ」と、ひとりで納得して空を見上げた。抜けるような青い空に、ひと摑みの白い雲が流れていく。来年はここに住もう!絶対住むぞ!!・・・・
未だに奈良移住計画は実行されていない。夢は夢のままが良い、とも言うけど。
興福寺を遠く右に眺めてなおも前へ進み奈良国立博物館の先で左に曲がると、東大寺南大門が見えてくる。でかい。やっぱり寺格が違うね。京都の寺は鬱蒼とした木々のなかに厳然と建っていて、来るものの信仰心や貴賎の上下を推し量っているかのように素っ気なく見えるが、ここ奈良の東大寺は堂々として温かく、庶民的な大きな心で迎えてくれる。それは奈良という都市が、天皇と政治・文化の中心であり続けた京都と違って、佛教の馥郁たる文化の中に育まれた学園都市であるという歴史の違いでもある。ギスギスしてないところがとっても良い。南大門あたりに群れている大勢の観光客には鹿せんべいを買って貰って儲けているようだが、それだって金閣寺や清水寺の商魂たくましさほどにはあくせくしてないように思える。私はそんな奈良人が好きだ。
春日大社の鹿は人懐こく煎餅を欲しがって寄ってくるが、結構な体格で突進してくる時はちょっと怖いくらいの迫力がある。やはり動物であるから遠巻きに見るのが正解かもしれない。煎餅を持ってないことがわかると何の未練もなく去って行くのは、動物といえども生活があるのであろう。細い足でトントンと飛び跳ねるように鹿煎餅を追いかける姿はあわれ畜生の浅ましさ、聖域を護る神のお使いの矜持は微塵もない。お尻の白い毛が左右にプリプリ振れて可愛らしい子鹿も、余りちょっかいを出すと親鹿が猛然と威嚇してくるので気をつけないといけない。そんなこんなで鹿の相手は子供に任せておき、私は大仏殿へと先を急いだ。大体、野生の鹿と言っても観光資源と化した鹿達は、煎餅を食う以外はする事がない。呑気なものである。
大仏殿は平重盛が焼いてから松永久秀がまた焼いて、結局今のは横幅が3分の2のサイズに縮小されて「少しバランスが悪く」なった。どうもそう聞くとなるほどチンチクリンな形である。近くで見ると全体が全然見えずに圧倒されるだけだが、建築物としての威容と品格を遠望すれば、やはり横幅は元通りが「座りが良い」と思う。それにしてもよく焼けるものである。西洋の街並みは1600年頃から変わってない所がいくつもあるが、レンガ造りの街は地震でもない限り火事には滅法強いらしい。それに較べて日本は地震に台風に火事である。日本が抱える問題は昔も今も変わらない。東大寺は聖武天皇が全国の国分寺の元締として精魂傾けて創建したというのにふさわしく、大仏殿(金堂)を挟んで70メートルもある七重の塔が並び立っていたと言われている。壮麗な大寺院を建立するために庶民を大量動員し、そのために弾圧していた行基にも頭を下げて手伝ってもらったという話で、光明皇后が熱心に推し進める施薬院などの弱者救済も、実態はトンチンカンな政治の自己満足だったらしい。天平の世も平成の世も、政治は余り変わらない。変わらないづくしである。
大仏殿は余りにデッカいので、入り口で出入りする人が「アリン子」みたいに見える。でかけりゃ良いってもんでもないだろに、と思って私は中に入らなかった。昔から私は人ごみが嫌いで、観光地は好きなんだけど意外とお目当のものは見そびれてしまう。空いてる時にじっくり見るというのが好きなんだな。で、外から眺めて大仏は見ずじまいにした。右手の小高い丘のほうに二月堂とあるので、順路を上の方に歩くことにする。修二会というのがあり、東大寺では「お水取り」と呼んでる行事が有名である。なんでも夜の真っ暗な中、松明に火を付けて坊さんが振り回すんだそうだ。3月12日の深夜のお水取りは東大寺の数ある行事の中でも一番のクライマックスで、そりゃあもう大勢が押しかけて来て大変だそうだ。騒がしいのは嫌いなので多分私は行かないと思うが、美しい妙齢の女性が是非見てみたいわなどとせがんで来れば、断る理由は毛頭ない。というか、なにがなんでも行ってみせる気概は私は持っているつもりだ。ただ実証する機会が無いだけである。残念!
ただ行くにしても夜なので、帰りがホテルとなるとなんやかや面倒だ。出来れば奈良に住んで、誰に気兼ねすることもない自宅から参加したいものである。やはり奈良に引っ越さなくては。こないだ奈良の物件をあれこれネットで見ていたら、意外と安いので驚いた。5万も払えば1LDKのマンションくらい何てことはない、年金で充分に暮らしていける。ただ安倍首相がアベノミクス何ちゃらで年金を食いつぶしそうなのが、唯一の不安材料である。ホント安倍の奴、「年金をどうにかしたら絶対許さんぞ!」という私の怒り、賛同者を募っているのだが説得力全然無いなあ。ちょっとガックシしながら坂を下って、戒壇院の裏から外の細い道に出た。奈良の古い町並みは人通りもなく、5月の日差しが眩しく照っていた。やや低い塀の上から、初夏の白い花が爽やかな香りを漂わせている。さっきまでの喧騒が嘘のような静けさに「これが奈良の良さなんだ」と、ひとりで納得して空を見上げた。抜けるような青い空に、ひと摑みの白い雲が流れていく。来年はここに住もう!絶対住むぞ!!・・・・
未だに奈良移住計画は実行されていない。夢は夢のままが良い、とも言うけど。
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