明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

ホリエモンは新幹線で何をツィートしたのか

2018-07-27 22:39:13 | 今日の話題
新幹線の背もたれマナー問題の解決はどうなるのか、ホリエモンのツィッターで盛り上がっているこの話題は「物事の解決方法」を探る上でいい練習になると思うので取り上げてみたい。こういう「ちょっとしたこと」が近年のストレス社会では往々にして大トラブルの直接原因になっていることが多いのだ。我々も同じような問題について、正しい解決方法を知っておく必要があると思うのである。では解決方法を順を追って説明しよう。

1 トラブルの根本原因を特定する

a. トラブルの根本原因は、座席を倒す時に付随して引き起こされる事故が「後ろの人に発生する」ことである。自業自得の事故では誰も怒らないしトラブルにもならない。発生原因者と「事故被害者が別」というのがトラブルの根本原因である。

b. そこで何故事故が起きるかを分析してみた。後ろに座っている人は「何時前の席が倒れてくるかが分からない」ので、テーブルに乗せてある飲み物などが振動で倒れることがあり、中身がこぼれて衣服などにかかってしまうことがある。その他にも丁度通路に出ようとしている人にぶつかったり、網棚から荷物を下ろそうとしている人にぶつかったり、あるいは床に落としたペンを拾おうとして頭を下げている人にぶつかったりして、色々と不測の事態を引き起こすことが考えられる。つまり「予期しない時に倒される」から事故が起きるのだ。

c. では「いつ倒されてもいいように準備しておく」ことが、後ろの座席の人には求められているのだろうか。そうなると、コーヒーをテーブルに置いて手を離すのも危険だということになり、前の人の様子をしょっちゅう窺っていないと「おちおちコーヒーも飲めなく」なってしまう。やたらと座席を動かす人が前に乗り合わせようものなら、「ゆっくり休む間も」なくなって、自由にのんびり旅行を楽しむことは新幹線では出来ないということになってしまう。これを後ろに座った人にだけ要求するのは「通常の注意の範囲」を超えていると考えざるを得ない。

d. それに比べて、背もたれを倒す時に「これから倒しますよと告知する」ことは、実行決断者が宣言するのだから理にかなっている。後ろの「事故の想定被害者」にとって見れば、これから倒れると分かっていれば事前にあれこれ準備しておけるからトラブルを未然に回避できるし、しかも万一の場合は「ちょっと待って」などの中止要請も可能である。しかし前の人が座席を倒そうとしてもいないのに「ちょっと待って」というのは、だいぶ被害妄想であるし異常でもある。問題は「座席が倒れることで引き起こされる事故」を防ぐのが目的であるから、「いつ倒れるか」を知れば事故防止はほとんど達成できたも同然なのだ。倒すかどうかは「前の人の決断のみ」に関わっているから、もっとも正確で効率が良いのは「前の人が告知する」ことに尽きる。

e. 但し新幹線が駅で停車し、乗り込んできた人が席について座席を調整する場合はいちいち告知しなくても構わないとは思う。これは初期状態の座席を「自分に合わせて調整する」行為なので、誰もが新しく座る時には「調整するだろう」と思っているから、わざわざ告知はいらないと考えるのがその理由だ。出来ることなら知らない人と無用なコミュニケーションは取りたくないものである。それをキッカケにして異性と仲良くなろうという下心のある「良からぬタチの人間」もいるそうだ。そういう人が近寄ってくるのを防ぐためにも、駅で乗車してくる人が座る場合は、調整し終わるまで「後ろの人は調整時の振動をある程度予期している」と一般的には考えてもいいと思う。

f. 乗り込んで席につき最初に座席を調整する場合を除いて、二度目以降に座席を調整する時は「何らかの方法で告知する」、で決まりである。

2 ではホリエモンの言うように、座席を倒すかどうかは前に座った人が告知なしに突然実行して構わない、というのは正しいのだろうか。

新幹線の座席構造が座席前後の空間に十分な距離があり、且つ座席を倒しても「振動が後ろのテーブルなどに全く伝わらない」のであればホリエモンの言うとおりである。しかし経験から分かる通り「実際は振動が結構ドカンとくる」のだ。だから前述のようなトラブルが予想されているのである。要するにホリエモンの意見は「彼が後ろに座っている場合は黙って倒して欲しい」と言うだけで、誰にでも通用する普遍的なルールを言っているのではない。初めて新幹線に乗る田舎の老夫婦や興奮してはしゃいでいる小さい子供や中には「他人の行動が自分への攻撃」だと考えるような反社会的異常性格者が乗っていないとも限らないのだ。実際に事故が起きた時「無言で座席を倒した前の人には落ち度がなく」ても、被害者には「だいじょぶですか」ぐらいは声をかけるであろう。そして後ろの席の被害者からは当然の言葉が返ってくる「おまえが急に座席を倒すからだ!」。言われたあなたは「確かに座席を倒したのは私だが、直接の原因は『後ろの人の不注意』ではないか、それを人のせいにして『ふざけるんじゃない!』、と言いたくなる。つまりトラブルとなる場合は、3つの事例を考えるべきである。

g. 後ろの座席に座ったのが
(1)新幹線に不慣れで、告知しないと事故が起きる人
(2)新幹線には慣れていて事故は起きないが、告知されても「ウザったい」などとは思わない社交的でフレンドリーな一般の人
(3)新幹線には慣れていて事故は起きないが、人に告知されると「わざわざ言わなくったってそんなこと分かってるよ、うるせーな」と悪態をつく反抗的ポーズをカッコいいと思っている人
の3タイプである。

h. 後ろの人が3つのタイプのうち「どれなのか」が分かれば苦労はない。分からないままに事故が起きて加害者と被害者というシチュエーションに陥ってしまっては、もう当事者同士では簡単には解決できないトラブルの罠に嵌ってしまう。それで「確認作業」が必要になる。

ちょっと待て、これじゃ(1)と(2)の人には有効でも、(3)の人には「うるさい」と思われてしまうじゃないか?

3 解決法を見つけたら、周知徹底させる

それで(1)と(2)の人には告知することにして、(3)の人にはどう対処すれば良いのだろう。

i. 多くの人間から(3)に該当する人間を「一言も言葉を交わすこともせずに見分ける」ことは無理である。だから(3)の側の人から「その事を表示する」ほうが簡単であり、確実である。つまり「私のことは無視してください」マークを国が制定し、それを首から下げるか所定の位置に目立つように表示することを義務付けるのであるもしくは「do not disturb me」と英語でしゃれて書いたカードでもよい。しかしこれでは「個人情報を首に下げて」いる状態で、スタイリッシュとはとても言えないので素直に了承はされないであろう。

j. そこで無視してくれと分からせるのに一番都合が良いのは、スーパーのレジで見せる「レジ袋不要札」である。座席の後ろに「回転式の表示札」を取り付けておき、無視して欲しい人は表示札を回転させて「告知無用」が座席の上に出るように操作することで、無言で意思を伝達できるのである。これならすべての人に受け入れられること明らかである。コストも大量生産すれば、費用は一台あたり100円ぐらいに下げられるだろうと考えられる。

h. 一応の答えが出たということで目出度く解決!と行きたいところだが、これを周知徹底させる方法はどうすればいいのかも考えてみたい。まず乗車した時に「座席に装置の使用方法並びに注意事項を書いた紙」を置いておく、というは一つの案である。だが「最初に乗った人が降りて、次に座る人に同じように説明するにはどうするか」が難しい。まあ特に名案が出てくるまでのツナギとして半年ぐらいは「ただいま〇〇を出て、次は〇〇です」という車内アナウンスの最後に「告知無用札」のご利用お願いをすればいいのじゃないだろうか。もちろんこれさえも「わざわざ言うほどのことじゃないだろう無!」と文句を言いたがる人がいるのは事実であるが、そういう「何でも反対」する人をどうやったら見分ける事が出来るかという話だから「車内アナウンス」で済ませるのが一番いいのでは、と思う。

世の中には色々な人がおり、一つの答えだけで全てに通用すると考えるほうがおかしいのだ。究極は一人ひとりに合わせて、というのが理想である。みんなは「マナーとして一応言うべきだ」とか「わざわざ言う必要なんかない」とかワーワー言っていてそれなりに楽しんでいるようだが、一つの答えに「全員を収束させることが出来る」と本気で思っているのであろうか。対立する考えのどちらかが正しくてどちらかが間違っている、と考えている人は「どっちが正しいか」を考える前にまず「問題点はどこにあるのか」から始めると、意外な形で結論に辿り着くことが出来るものである。

背もたれを倒すときに声をかけるかどうかなどという当たり前のことを「回りくどく説明せずとも、ちゃんと一言声をかければそれで済むじゃないか」というのは、人間の多様性を知らない単純な性格の常識人である。掛ければかけたでうるさく思われるし、黙っていればマナーを知らない低級なアホとみられて嫌な思いをする。ことは様々な人間同士ののコミュニケーションをどう捉えるか、という大問題に関わってくるのだ。「1+1は2」というのは前提条件であり、「1+1は10」という別の世界もありうる。だが、どちらの方法を取るにしても「人間の考える論理」は同じでなければならない。論理が一貫して同じである限り、答えも同じになる筈である。それが私の提唱する「議論をきちんと行う」ことである。議論をする能力が「日本人に最も欠けている能力」だと考えている私は、このブログを通じて何度か「考える方法」を提案してきた。今回は新幹線の背もたれを例にとってその「考える方法」を実践してみた次第である。何かの参考になればこれ以上の幸いはない。

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