明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

新しい国の形2

2017-10-21 21:00:00 | 今日の話題
いよいよ選挙である。皆さんは誰に投票するつもりだろうか。「誰でもいいじゃないか?そんなこと」、仰る通りである。私は暇なので「新しい国の形」の続きを考えてみた。実は白状すると、この前の「新しい社会の仕組」理論を会社で話したら、それじゃ「共産主義になっちゃうじゃないか」との批判を浴びたのである。そうなのだ、これは「共産主義だ」ともいえる。しかし旧ソ連の共産主義とは少し形を変えてある。思うに、なぜ共産主義が失敗したかというと、一つは「いくら働いても給料は変わらない」ことに人々が嫌になったからである。そして二つは、計画経済によって「良いものや素晴らしいシステム」を不必要なものと考え、美味しい食事の代わりに「ただのエネルギー供給原」としての食事で済ませたことによる「価値の消失」が崩壊を招いた、と私は思っている。とにもかくにも、本当の原因は何だったのかが問われるところだが、人や物の価値を「なんでも金額の多少で測る資本主義」の仕組みはそのままにして、国民から「お金の獲得手段」を奪ってしまったからソ連は失敗したのだと分析したのである。

そこで国の仕組みをより実践的に考えてみた。これは前回の理論を「展開し煮詰めた」ものである。余りに突飛なアイディアなので本能的に拒否する人もいるかもしれないが、冷静に分析し思考してみると「案外論理的だ」と言うことが分かって貰えると思う。まあ固いことを言わずに、とにかく最後まで読んで見たら?とだけ申し上げて置くことにする。

1 まず「資産上限法」を作る
現代の資本主義社会は「貧富の格差が開く一方」である。何十億円という資産家もいれば、その日の暮らしに窮々としているホームレスもいる。それを自由競争の結果だから自業自得だと突き放すのが「自由・平等な経済活動」の理論である。しかし全部の人が「弱肉強食の世界」に挑戦したいわけではない。もっと静かな安息の日々を平和に暮らしたいと願う人たちも大勢いるのである。そこで資産上限法で「個人資産を3000万円以下」に制限する。

2 当座の混乱を避けるために「財産一代限りの法」を制定し、資産を子供に引き継げないようにする
これにより、遺産相続で「受け取る人の総資産が3000万円」を超える分は余剰として全部国庫に収納する。100年もすれば国民の殆どは一定額以下の資産になり、上限まで資産を持ってしまった人はそれ以上稼いでも全部国庫に収納されるので、「金を持つこと自体」に何の魅力も感じなくなる。これが「資産制限の目的」である。大金持ちがこの世からいなくなれば皆平等であるから、「金持ちが尊敬されたり羨ましがられたりすることが無くなって」、国民はお金以外の価値を求めるようになる。

3 そして個人の収入は「報酬一定範囲内の法」によって制限する。
つまり個人の収入は1000万円から2000万円の範囲にし、別に生活補助法で「働くことが出来ない人、または働かない人と社会に貢献しない人」は300万円を与えることにする。これにより国民全部が均一の生活を保証され、売れない芸術家や趣味に没頭する人や障害者の人たちまたは介護老人でも、「何とか不自由なく生活していく」ことが出来るようになる。財源は「高額所得者の2000万円を超える額」から再配分することで、賄えるのではないかと思っている。勿論計算したわけではないので分からないから、もう少し収入の範囲は上下するかもしれない。

4 しかし2000万ではロクな家に住めないという人がいるだろう。そこで「土地・家屋の国有化法」で、不動産は国の管理とする。
日本は島国で狭い国土に人口が密集している。物の値段で一番高いのが「土地・家屋」である。これを国の財産にして「国民全員を借家住まい」にする。多くの人が住宅ローン返済で苦しんでいるが、これからはこんなことも無くなるわけだ。資産上限法で3000万円以上の物を持てないのであるから、世の中にある品物全般が「値段に適切な上限がある」ということになる。しかし考えてみれば3000万円以上の物など「土地・家屋を除けば、そうそう目にすることはない」のではないか。我々庶民の贅沢品などは「高が知れて」いる。精々「100万円のイタリア家具」とか「500万円のドイツ車」とかである。しかし「金持ち」とか「セレブ」とかのイメージがそもそも「存在しない」のだから、個人の持ち物は「個性」で選ぶようになり、高いか安いかは「重要視されない」のではないだろうか。要は「センス」が大事、という文化が生まれてくる。それ以上の価値のある「美術品や宝石」などの財産は、3000万円を超えるものは全部国庫に収納し、必要な場合は「美術館」にでも陳列して、個人が使うもの(例えばストラディバリウスなどの楽器など)は、国が貸し出すことにする。

5 そこでダメ押しとして「教育改革法」を制定する。
高校から全部専門学校にして「社会で役に立つ技術」を習得させる。大学は本来の「学問に集中」し、研究者のみが行く学府にし、入学自体を超難関にする。今の国民皆大学生という風潮は「高学歴=高収入」という仕組みを作ったから皆こぞって有名校を目指すわけで、有名校でも無名校でも「たとえ高卒」でも学歴に関係なく収入に差はないことが保証されているのだから、大学で役にも立たないことを覚えてきた人より、むしろ専門校で「しっかり勉強して来た人」の方が会社も助かるわけである。大学へは「本当に研究者として才能がある」者だけが行けば良い。今の大学生などは大体が遊んでいるのだから、卒業したという事実が欲しいだけで高いお金を出して大学に行かせるなどは「国家的損失」ではないか。

6 結局は人生の価値は「やりたいことをやって、それが人に認められる」ことにあるのじゃないだろうか。
それで「価値を創造するか、社会貢献をする」人が、一定基準の報酬を得るという「世の中」にするのである。会社は「社会で必要とされる物造り」で社会貢献し、それが足りなければ「もっと会社が増え」、多すぎれば「どんどん会社が無くなって」自然と淘汰され、予定調和数に落ち着く。良いものが出来れば「悪い品物を作っている会社は潰れ」るので皆な一所懸命に働き、競争が生まれるので「旧ソ連のような無気力な共産主義」とは全く違う「活気溢れた社会」が実現する。しかも職業によって収入の差はないのであるから、ゴミ収集車の回収員も土木作業員もコンピュータ技術者もお笑い芸人も収入は一緒である。当然自分に合った職業.・自分のやりたい職業を選ぶようになる。給料が安いから「好きじゃないけど給与のいい会社で我慢して働く」なんてこともしなくていいわけで、好きな仕事でストレスなく働く喜びが得られて幸せ感が増えるのだ。

7 このプランは誰かが損をしないといけないわけだが、誰かが損をしなくては資産再配分は出来ない。明治維新でも太平洋戦争でも誰かが損を引き受けて没落していった。革命には犠牲はつきものだが、今回は金融で儲けた人に財産を吐き出して貰うことが一番揉めずに行けそうである。そもそも数十億円などという資産は「使おうにも使いきれない額」であって、資産100億円といっても資産3000万円といっても「その人の生活が変わるわけではない」だろう。ただ「財産のおこぼれ」に預かろうとする人達が周りに集まっておべんちゃらを言う生活が、急に誰もいなくなって「寂しくなる」のが関の山である。お金には価値がないのだから、財産を失ったといっても「現実には何も変わらない」と言える。しかも「その人一代限り」は認めるのだから、精々使いまくって消費の貢献して貰うとしよう。生まれてくる子供は何も知らないのだから、財産がなくても「悲しい」筈はない。あと100年もすれば、すべて「歴史の忘却の彼方」に消え去るであろう。明治維新の時の没落士族のように。

8 それでも金が欲しいという人は、海外に行くしかない。
国民は全員「日本銀行に口座を持ち」、収入・支出・その他すべての出入りを「クレジットカード」で処理し、「現金の無い」社会にする。現金があるから「持ち主の紐付けされてない金」が生まれて「犯罪が後を絶たない」のだ。出入りが全部記録されていれば、正しい経済活動以外の不正な収入は即逮捕されてしまうので「お金を不正に取得すること」が出来なくなる。カツ上げなどの少年犯罪も「現金で品物が買えない」のだから、犯罪そのものの発生しようがない。現金をなくすと同時に「誰のお金か常に記録する」のである。これは誰の口座から引き落とすかということなので、クレジットカードの処理と考えれば簡単である。カードは「本人確認」をしっかりシステムで保証すれば、安全・確実な経済活動が実現する。一部の「違法ではないが恥ずかしいもの」を買う人もいるのは事実だが、別に誰かに知られるわけではないし、知られても「ゆすったお金はどうせ使えない」のだから、困ることは風評だけである。これらのことを犯罪として処罰すれば、問題はない。あとは海外に移住する問題だが、「お金は3000万円しか持っていけない」わけだから、そこから億万長者を目指そうと言う「夢のある若者」には「どうぞ、ご勝手に」と申し上げるだけで充分であろう。

9 余談だが社会改革が実際に起きて誰しもが裕福な「平均的」資産を活用して人生をエンジョイするようになったら、私は「生涯の夢である詩人」になって、人生を歌って生きてみたい。勿論、収入は働かない人の「300万円」であるが、充分すぎる収入である。こんな世の中が来たら万々歳である。誰か政治家になって「立候補」しないかなと期待しているのだが、中々いないのが現実だ。党の名前は「財産均一党」である。いい名前だと思うんだけどなぁ。

思うに人類の欲望は「際限なく求める」ことから始まっている。考えてみれば、人間が働いて稼ぐ金額など「それほど大差ない筈」ではないか。それが格差が生まれるほど富める者と貧しい者との差が「もう埋めようがないほど広がって」しまっているのだ。これは社会の資本主義という仕組みが「行き着くところまで行ってしまった」からである。この辺で一度「ドンジャラ」して元に戻す必要があるのじゃないだろうか。歴史に鑑みると、神の代理人から貴族の独占へうつり、今は資本家が我が世の春を歌っている。これから中国とロシアが「覇権の仲間入り」をしそうな時代だ。イギリスやアメリカの金融・資本主義は「衰退の道」を歩んでいる今日、私の提案する「自由に働き、平等に報酬を得る国家」という選択肢も、充分考える価値があると思う。

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